利用者:Takobou/作業場
野里 (姫路市)
野里︵のざと︶は兵庫県姫路市の地域名、および現行の町名。
地域名としては姫路市中心部の北東に広がる、旧野里村︵のざとむら、埜里村とも︶に属する一帯を指す。
町名としてはその一部で、以下に示す各町を除いた区域である。郵便番号670-0811。
広義の野里に含まれる町丁
町名 | 読み | 郵便番号 | 世帯数 | 人口 | 校区 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
坊主町 | ぼうずまち | 670-0011 | 野里小/城乾中 | |||
河間町 | こばさまちょう | 670-0001 | ||||
鍵町 | かぎまち | 670-0009 | ||||
鍛冶町 | かじまち | 670-0002 | ||||
野里寺町 | のざとてらまち | 670-0867 | ||||
大野町 | おおのまち | 670-0868 | ||||
威徳寺町 | いとくじまち | 670-0816 | ||||
梅ヶ枝町 | うめがえちょう | 670-0817 | ||||
橋之町※ | はしのまち | 670-0008 | ||||
福本町※ | ふくもとまち | 670-0004 | ||||
米屋町※ | こめやまち | 670-0003 | ||||
五郎右衛門邸※ | ごろうえもんてい | 670-0857 |
(※印は姫路城の外堀内側に含まれる町)
町名 | 読み | 郵便番号 | 世帯数 | 人口 | 校区 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
野里 | のざと | 670-0811 | 大半:水上小/増位中 | |||
南端部:東小/東光中 | ||||||
ごく一部:野里小/城乾中 | ||||||
野里東同心町 | のざとひがしどうしんまち | 670-0863 | 野里小/城乾中 | |||
野里新町 | のざとしんまち | 670-0862 | ||||
野里中町 | のざとなかまち | 670-0864 | ||||
野里堀留町 | のざとほりどめちょう | 670-0866 | ||||
野里東町 | のざとひがしまち | 670-0861 | ||||
野里月丘町 | のざとつきおかちょう | 670-0865 | ||||
野里慶雲寺前町 | のざとけいうんじまえちょう | 670-0813 | ||||
野里大和町 | のざとやまとちょう | 670-0815 | ||||
野里上野町1丁目 | のざとうえのちょう | 670-0814 | ||||
野里大和町2丁目 |
内町 (姫路市)
内町 (姫路市) | |
---|---|
地域名 | |
姫路市中心部。赤線内が内曲輪、緑線内が中曲輪、青線内が外曲輪︵内町︶。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
| |
国 | 日本 |
都道府県 | 兵庫県 |
市町村 | 姫路市 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
市外局番 | 079[1] |
ナンバープレート | 姫路 |
内町︵うちまち︶は兵庫県姫路市の中心部を指す地域名。おおむね姫路城の外曲輪の範囲内にある旧町人地・中下級武士の居住区を指し、地域名もそれに由来する[2]が、行政上の地名ではない。
大半が姫路市立白鷺小中学校の校区であるが、東部・北部および南西部の一部は隣接校区に属する。内町という地域区分は歴史的な区分であり、小学校の校区名︵白鷺校区︵あるいは統合前の城南校区、城巽校区︶、城東校区、野里校区など︶で分類される事が多い[3]。
本項では南に隣接する地区である飾磨津口︵しかまづぐち︶についても解説する。飾磨津口の名称は姫路城の飾磨津門の外側に近接した地区であることに由来する。また、北に隣接する野里のうち姫路城外曲輪に含まれる町丁も示す。
また現在は本町の一部﹁姫路市本町68番地﹂および総社本町にあたる、中曲輪の武家地についても本来は内町には含まれないが本項で解説する。
歴史
姫路市中心部は古代は﹁日女道﹂、中世は﹁姫道村﹂のち﹁姫路村﹂と呼ばれ飾東郡に属した[4][5]。姫路城改修前は中村・福中村・宿村・国府寺村に分かれていた。
1601年︵慶長6年︶より行われた池田輝政による姫路城改修に伴う﹁慶長の町割り︵町直しとも︶﹂において、天守を始めとした内曲輪と家老・上級藩士の居住区である中曲輪︵現在の姫路市本町68番地とこれより分割された地番︵総社本町を含む︶に相当︶の外側に、中・下級藩士の居住区および町人地・寺院が配置されたのが内町の起こりである。中曲輪の門より内側には町人は原則として立ち入ることが出来ず、外曲輪すなわち内町とは厳然と区別されていた。
内町の町割りは五軒邸付近や城外に顕著に残る﹁条里制に由来すると考えられる町割り﹂、射楯兵主神社︵播磨国総社︶付近の﹁播磨国府に由来すると考えられる町割り﹂および﹁慶長の町割りに際して、広峰山を山当てにした立町を基軸とする町割り﹂の三種に分けられる[6]。
内町からさらに四方に延びる街道沿いにも下級藩士の居住区および町人地が設けられ、野里門の北が野里、外京口門の東が神谷、飾磨津門の南が飾磨津口、そして福中門・車門の西が船場と呼ばれている[7]。飾磨津口は飾磨津︵姫路港︶に通じる飾磨津門の外側を指し、曲輪外であったが町方に属した[8]。野里は播磨国風土記に﹁大野郷﹂として名前が見える古い町で、中近世には芥田氏が鋳物師棟梁として力を持っていた[9]。船場は本多忠政が二股川を整備して高瀬舟を行き来出来るようにして﹁船場川﹂と呼ばれるようになり、その集積した物資の問屋を置いた場所である[10]。神谷は神屋ともいい︵現在の町名は神屋町である︶、総社の御旅所があったからという説、紙漉きがあったという説、九所御霊天神社に由来する説などがある[11]。
内町における西国街道は本来は本町や坂元町を通っていたが、寛永の頃に中堀を浚渫した土砂を道に敷いたために通行の障害となり、俵町や福中町へ迂回するようになっている[12]。
1871年︵明治4年︶廃藩置県以後は内曲輪・中曲輪は軍用地として武家屋敷の撤去が行われ[13]﹁姫路市本町68番地﹂となり[14]、第10師団・歩兵第10連隊・歩兵第39連隊・城南練兵場・姫山練兵場・衛戍病院︵陸軍病院︶・陸軍教化隊・陸軍被服倉庫他の関連施設が建設される[15]。
1888年︵明治21年︶には飾磨津口に姫路駅が開業、1889年︵明治22年︶4月1日に姫路に市制が施行された際には内町はその中心となる。飾磨津口の各町は1875年︵明治8年︶に豊沢村の一部となり、1888年︵明治21年︶には山陽鉄道が姫路駅を外堀の南側に開業外曲輪や中曲輪の城壁の撤去や堀の埋め立てが徐々に進んでゆく。飾磨津口の各町は1889年の市制施行時には国衙村となっていて姫路市に含まれなかったが、1912年︵明治45年︶4月1日に国衙村より分離して姫路市に合併する[16]。
1945年︵昭和20年︶の7月3日深夜の姫路空襲で内町はごく一部を除き焼失・壊滅してしまい、姫路城など以外の戦前からの建築物はほぼ残存していない。瓦礫撤去のために1946年︵昭和21年︶から1949年︵昭和24年︶にかけて、福中町から西二階町の間の道路に線路を引いて街中に蒸気機関車が乗り入れている[17]。終戦直後は残存した陸軍の諸施設を市役所や学校の代替として一時使用している。また城南練兵場に住宅営団が応急住宅を建設して後の通称﹁白鷺町﹂﹁大手前町﹂となり、市内に散在していた闇市を集積した﹁お城マート﹂がのちに通称﹁お城本町﹂となる[18]。一方で中曲輪南部の土塁周辺にも不法占拠により自然発生的に住宅や店舗が出現し[19]﹁北本町﹂と称している[20]。
戦後は曲折が多くて狭い旧城下町時代の道路網を近代的な広い道路網に改修することを柱とした戦災復興都市計画による大幅な区画整理が行われ、中心部を姫路駅から姫路城大手門まで貫通する幅50mの大手前通りや東西の国道2号などが建設される[21]。また船場川が本多忠政による改修で外曲輪南西角で東へ屈曲していたのを直線形に改めて旧流路を埋め立てている[22]。1981年︵昭和56年︶2月14日に東側の復興第2工区が、1984年︵昭和59年︶9月21日に西側の復興第1工区が換地処分され[23][24]町名が変更・整理されている。南部土塁の不法占拠物件は1992年︵平成4年︶までに撤去され[19]、﹁お城本町﹂の狭小な店舗・住宅群は2001年︵平成13年︶に再開発ビルイーグレひめじへと建て替えられる[18]。﹁白鷺町﹂北部は2004年︵平成16年︶に立ち退いて家老屋敷跡公園へと整備される[18]。
戦後のドーナツ化現象で一時は人口が減少傾向にあったが、2009年︵平成21年︶ごろより再開発で大型マンション等が建設されていることにより人口は増加傾向にある[25]。
含まれる町丁
凡例・補足‥内町の分類は橋本政次﹃姫路市町名字考﹄p.2-10を、飾磨津口は同p.20-22を、野里は同p.10-12を元に現在の町名に対応させた。明治初期から市制施行まで各町名に﹁姫路﹂を冠している。校区欄の校名は﹁姫路市立○○小学校/中学校/小中学校﹂を省略表記。旧城南小・旧城巽小の中学校は旧白鷺中。※印は教育委員会への届出により白鷺小中学校への変更可能。
町名 | 読み[26] | 郵便番号[27] | 世帯数[26] | 人口[26] | 主な施設・備考/概要 | 校区[28] |
---|---|---|---|---|---|---|
本町 | ほんまち | 670-0012 | 281 | 496 | 本町68番地については 姫路城#姫路市本町68番地も参照 |
白鷺小中(旧・城南小、 東部一部は旧・城巽小) (北側一部は野里小/城乾中) |
内町の中心、中ノ門の前の町。町年寄の役場である年行事所がおかれた[29]。 | ||||||
坂元町 | さかもとまち | 670-0016 | 88 | 121 | 白鷺小中(旧・城南小) | |
戦前の繁華街。映画館の山陽座があったが光源寺前町へ移転[31]、東駅前町の姫路フォーラス内を経てテラッソ姫路内のアースシネマズ姫路となる。 | ||||||
福中町 | ふくなかまち | 670-0017 | 142 | 265 |
| |
旅籠町。伊能忠敬も1811年・1813年の二度宿泊している[32]。 | ||||||
西二階町 | にしにかいまち | 670-0901 | 158 | 310 | ||
西国街道沿いに脇本陣が置かれ、戦前期は非常に栄えた商店街だった[34]。 | ||||||
魚町 | うおまち | 670-0905 | 20 | 38 |
| |
区画整理前は西魚町と呼ばれて戦前は西端に武徳殿が置かれ武道場の他種々の催しに用いられた一方、芸妓を置いた検番があった。戦後も歓楽街として知られる[35]。 | ||||||
立町 | たてまち | 670-0903 | 34 | 65 |
| |
区画整理までは竪町と称した。街道に直交することから「姫路の七不思議のひとつ・横に竪町」[36]と呼ばれた[37][38]。 | ||||||
南町 | みなみまち | 670-0912 | 64 | 96 | ||
白銀町 | しろがねまち | 670-0902 | 37 | 70 | ||
塩町 | しおまち | 670-0904 | 117 | 161 |
|
白鷺小中(旧・城南小) (西側一部は船場小/琴陵中※) |
十二所前町 | じゅうにしょまえちょう | 670-0911 | 136 | 221 | ||
総社本町 | そうしゃほんまち | 670-0015 | 146 | 263 | 1981年(昭和56年)本町より分割 本項#現存しない町名を参照 姫路城#姫路市本町68番地外も参照 |
白鷺小中(旧・城巽小) |
綿町 | わたまち | 670-0921 | 138 | 316 |
| |
二階町 | にかいまち | 670-0922 | 57 | 99 | ||
呉服町 | ごふくまち | 670-0923 | 48 | 84 |
| |
紺屋町 | こんやまち | 670-0924 | 45 | 76 |
| |
亀井町 | かめいまち | 670-0925 | 48 | 77 |
| |
東駅前町 | ひがしえきまえちょう | 670-0926 | 206 | 412 | ||
元塩町 | もとしおまち | 670-0937 | 355 | 730 |
| |
古二階町 | こにかいまち | 670-0936 | 182 | 373 | ||
北条口1丁目 | ほうじょうぐち | 670-0935 | 101 | 132 | ||
北条口2丁目 | 245 | 540 | ||||
北条口3丁目 | 269 | 593 |
| |||
北条口4丁目 | 80 | 158 | ||||
北条口5丁目 | 133 | 274 | ||||
神屋町6丁目 | かみやちょう | 670-0836 | 190 | 353 | 神谷地区にまたがる
一部が外曲輪内(旧・北条口) | |
朝日町 | あさひまち | 670-0934 | 232 | 275 | 飾磨津口にまたがる
一部が外曲輪内(旧・北条口)
| |
平野町 | ひらのまち | 670-0933 | 179 | 448 | ||
坂田町 | さかたまち | 670-0931 | 272 | 533 | 東側一部は旧名「下寺町」
|
白鷺小中(旧・城巽小) (東側一部は城東小/東光中※) |
大黒壱丁町 | だいこくいっちょうまち | 670-0853 | 109 | 216 | 白鷺小中(旧・城巽小) (東側一部は城東小/東光中) | |
下寺町 | しもでらまち | 670-0932 | 344 | 698 | 旧名「下寺町裏」 | 城東小/東光中 |
国府寺町 | こおでらまち | 670-0852 | 97 | 191 |
| |
五軒邸1丁目 | ごけんやしき | 670-0854 | 72 | 160 | ||
五軒邸2丁目 | 164 | 312 |
| |||
五軒邸3丁目 | 69 | 154 | ||||
五軒邸4丁目 | 224 | 469 | ||||
同心町 | どうしんまち | 670-0972 | 109 | 200 | 野里小/城乾中 (東側一部は城東小/東光中) | |
堺町 | さかいまち | 670-0014 | 46 | 84 | 野里小/城乾中 | |
福居町 | ふくいまち | 670-0855 | 55 | 114 | ||
竹田町 | たけだまち | 670-0013 | 30 | 59 | ||
生野町 | いくのまち | 670-0007 | 33 | 63 | ||
八木町 | やぎまち | 670-0006 | 23 | 35 | ||
金屋町 | かなやまち | 670-0005 | 21 | 36 |
町名 | 読み[26] | 郵便番号[27] | 世帯数[26] | 人口[26] | 校区[28] | 主な施設・備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
駅前町 | えきまえちょう | 670-0927 | 34 | 79 | 白鷺小中(旧・城南小) | |
西駅前町 | にしえきまえちょう | 670-0913 | 37 | 55 |
| |
豆腐町 | とうふまち | 670-0914 | 0 | 0 |
| |
南畝町 | のうねんちょう | 670-0961 | 38 | 73 |
| |
南畝町1丁目 | 62 | 90 |
| |||
南畝町2丁目 | 301 | 526 | ||||
忍町 | しのぶまち | 670-0917 | 341 | 472 | 白鷺小中(旧・城南小) (西側一部は船場小/琴陵中※) |
|
久保町 | くぼちょう | 670-0916 | 188 | 325 |
| |
高尾町 | たかおちょう | 670-0915 | 93 | 197 |
|
町名 | 読み[26] | 郵便番号[27] | 世帯数[26] | 人口[26] | 校区[28] | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
橋之町 | はしのまち | 670-0008 | 21 | 40 | 野里小/城乾中 | |
福本町 | ふくもとまち | 670-0004 | 20 | 47 | ||
米屋町 | こめやまち | 670-0003 | 17 | 47 | ||
五郎右衛門邸 | ごろうえもんてい | 670-0857 | 99 | 202 |
現存しない町名
町名 | 読み | 消滅時期 | 現状 | 出典・備考 |
---|---|---|---|---|
上寺町 | かみでらまち | 江戸時代 | 五軒邸(西部) | 角川p.612「五軒邸」 |
(旧)下寺町 | しもでらまち | 1889年(明治22年) | 坂田町の一部 | 角川p.759、[40] |
下寺町裏 | しもでらまちうら | 1912年(大正元年) | 下寺町 | 角川p.759、[40] |
東本町 | ひがしほんまち | 1963年(昭和38年) | 本町(国道2号以南) | うちまちp.113 |
西本町 | にしほんまち | |||
茶町 | ちゃまち | 1981年(昭和56年) | 古二階町・平野町・元塩町・北条口 | 角川p.945 |
伽屋町 | とぎやまち | 北条口・古二階町 | 角川p.999 | |
和泉町 | いずみちょう | 北条口・古二階町 | 角川p.162 | |
東魚町 | ひがしうおまち | 坂田町・大黒壱丁町 | 角川p.1232 | |
上久長町 | かみきゅうちょうまち | 五軒邸・堺町 | 角川p.423-424 | |
下久長町 | しもきゅうちょうまち | 五軒邸 | 角川p.748 | |
大黒町 | だいこくまち | 大黒壱丁町・総社本町・五軒邸 | 角川p.854
大黒町交差点が現存 | |
壱丁町 | いっちょうまち | 大黒壱丁町 | 角川p.181
壱丁町交差点が現存 | |
東二階町 | ひがしにかいまち | 1984年(昭和59年) | 二階町・呉服町・綿町 | 角川p.1248 |
中二階町 | なかにかいまち | 角川p.1057 | ||
東呉服町 | ひがしごふくまち | 呉服町・紺屋町・二階町 | 角川p.1239 | |
中呉服町 | なかごふくまち | 呉服町 | 角川p.1038 | |
西呉服町 | にしごふくまち | 白銀町・立町・西二階町 | 角川p.1117 | |
上白銀町 | かみしろがねまち | 白銀町・立町・南町 | 角川p.428 | |
下白銀町 | しもしろがねまち | 白銀町・立町・南町 | 角川p.752-753 | |
加納町 | かのうまち | 南町・立町・十二所前町 | 角川p.407 | |
大工町 | だいくまち | 紺屋町・呉服町・亀井町 | 角川p.854
姫路大工町郵便局が現存 | |
直養町 | ちょくようまち | 駅前町・南町 | 角川p.949
大正元年まで「直養」 | |
光源寺前町 | こうげんじまえちょう | 亀井町・東駅前町・南町・白銀町・駅前町 | 角川p.582
昭和9年まで「光源寺前」 光源寺は十二所前町へ移転 | |
東紺屋町 | ひがしこんやまち | 紺屋町 | 角川p.1240 | |
西紺屋町 | にしこんやまち | 紺屋町・呉服町・白銀町・亀井町 | 角川p.1118 | |
恵美酒町 | えびすまち | 魚町・塩町 | 角川p.264 | |
俵町 | たわらまち | 西二階町・福中町 | 角川p.937 | |
西魚町 | にしうおまち | 魚町・塩町・福中町・西二階町・博労町 | 角川p.1106 | |
福中内新町 | ふくなかうちしんまち | 福中町・魚町・坂元町・塩町・博労町 | 角川p.1320 | |
新身町 | あらみまち | 塩町・立町・十二所前町 | 角川p.118 | |
大蔵前町 | おおくらまえちょう | 博労町・塩町・十二所前町・福沢町・忍町・久保町 | 角川p.286
本来は船場地区 (橋本p.16) |
脚注
(一)^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2023年10月7日閲覧。
(二)^ 平凡社地名 1999, p. 447.
(三)^ 例として一般家庭用クリーンカレンダーの地区の区分け︵姫路市環境局美化部リサイクル課、2024年5月2日閲覧︶や市内連合自治会72地区 地域資源・活動等︵姫路市役所市民局市民参画部市民活動推進課、2024年5月2日閲覧︶では区域割りを小学校区によって分けている。ただし白鷺小中学校区は統合前の城南・城巽各校区を元にしている。
(四)^ 平凡社地名 1999, p. 444-445.
(五)^ 角川地名 1988, p. 1270-1271.
(六)^ うちまちものがたり 2006, p. 口絵﹁はじめに - 白鷺中学校区にある3つの町割り﹂.
(七)^ 橋本 1956, p. 2-10.
(八)^ 橋本 1956, p. 19-21.
(九)^ 橋本 1956, p. 10-12.
(十)^ 橋本 1956, p. 12-19.
(11)^ 橋本 1956, p. 21-27.
(12)^ 角川地名 1988, p. 664.
(13)^ 稲見 1964, p. 2-3.
(14)^ 後年に本町68番から分割された地番も存在する︵例えば姫路神社は本町83番︶が、それらも含めて﹁本町68番地﹂と総称される。
(15)^ 姫路城跡整備基本計画 2011, p. 20.
(16)^ 兵庫県総務部地方課︵編︶ 1962, p. p.692-693間の合併経緯図.
(17)^ うちまちものがたり 2006, p. 117.
(18)^ abcうちまちものがたり 2006, p. 110.
(19)^ ab姫路城跡整備基本計画 2011, p. 2,48,51.
(20)^ うちまちものがたり 2006, p. 108-109.
(21)^ “姫路市の都市形成”. 姫路市. 2024年5月2日閲覧。
(22)^ 復興の歩み 1960, p. 59-60.
(23)^ 土地区画整理誌 2017, p. 8-9,29.
(24)^ “土地区画整理事業施行済みの地区一覧”. 姫路市. 2024年5月2日閲覧。
(25)^ “姫路市中心市街地活性化基本計画︵第3期計画︶”. 姫路市. 2024年5月2日閲覧。
(26)^ abcdefghi“町別人口・年齢別人口-令和6年︵2024年︶3月末-”. 姫路市役所 デジタル戦略本部 デジタル戦略室 統計解析室. 2024年5月1日閲覧。
(27)^ abc“郵便番号検索 兵庫県 > 姫路市の郵便番号一覧”. 日本郵便. 2024年5月1日閲覧。
(28)^ abc“市立小学校・中学校・義務教育学校への入学・転校など”. 姫路市役所教育委員会事務局学校教育部学校指導課 (2024年1月22日). 2024年5月1日閲覧。
(29)^ 角川地名 1988, p. 1371-1372.
(30)^ “路線価でひもとく街の歴史 第46回 ﹁兵庫県姫路市﹂”. ファイナンス (財務省): 53. (12 2023).
(31)^ うちまちものがたり 2006, p. 119-120.
(32)^ うちまちものがたり 2006, p. 120-121.
(33)^ この西松屋は呉服店。育児用品店の西松屋は起源を同じくする別企業
(34)^ うちまちものがたり 2006, p. 116-117.
(35)^ ふるさと城南ものがたり 1989, p. 87-93.
(36)^ 他の七不思議は﹁東に西明寺、北に南条、寺に虎屋、西に東光寺、南に北条、町に国府寺﹂。
(37)^ ふるさと城南ものがたり 1989, p. 78-82.
(38)^ うちまちものがたり 2006, p. 126-127.
(39)^ 郷土・民俗資料﹁高橋秀吉コレクション﹂を残した郷土史家・高橋秀吉の個人資料館。コレクションは没後に兵庫県立歴史博物館へ移管
(40)^ ab“姫路市立城郭研究室ニュース﹁城踏﹂No.103 保健所は黒田家菩提寺跡 城郭研究室、保健所に移転中”. 日本城郭研究センター城郭研究室 (2020年12月). 2024年5月1日閲覧。
参考文献
●伊藤武義 編﹃姫路市全図及其付近﹄姫路市役所、黒田文明堂、1912年。
●播磨史談会 編﹃姫路市史 : 市制施行三十年記念﹄姫路市、1919年。
●廣岡光治﹃復興姫路案内図﹄兵庫引揚同胞通信社︵姫路︶、1948年。
●橋本政次﹃姫路市町名字考﹄1956年。(再録‥﹃播磨考・姫路市町名字考﹄臨川書店︿兵庫県郷土誌叢刊﹀、1987年。︶
●﹃復興の歩み﹄姫路市役所、1960年。
●兵庫県総務部地方課︵編︶﹃兵庫県市町村合併史 上﹄兵庫県、1962年。
●稲見, 悦治 (1964). “城下町の戦災復興と地域構造の変貌 姫路城下町の場合”. 人文地理 16(3): 225-246.
●﹃角川日本地名大辞典 28 (兵庫県)﹄角川書店、1988年。ISBN 4040012801。
●横山忠雄﹃ふるさと城南ものがたり﹄城南地区連合自治会、1989年。
●﹃姫路の都市計画﹄姫路市都市局計画部都市計画課、1996年3月。
●都市問題経営研究所 編﹃お城本町地区第一種市街地再開発事業事業記念誌﹄お城本町地区市街地再開発組合、2003年。
●白鷺中学校区地域夢プラン実行委員会﹃うちまちものがたり 姫路城下町﹄2006年。
●﹃兵庫県の地名Ⅱ﹄平凡社︿日本歴史地名大系﹀、1999年。ISBN 4582490611。
●播磨地名研究会﹃新・姫路の町名﹄神戸新聞総合出版センター、2007年。ISBN 9784343004444。
●﹃姫路の土地区画整理誌 創 2017﹄姫路市都市局市街地整備部区画整理課、2017年。
●中元孝迪︵監修︶﹃改訂増補 姫路城下古道界隈﹄姫路市教育委員会文化財課、2023年3月31日。
●“特別史跡姫路城跡 整備基本計画 保存管理と整備・活用の方針” (2011年). 2024年5月4日閲覧。
●“姫路市中心市街地活性化基本計画”. 姫路市. 2024年5月4日閲覧。
外部リンク
- “文化財見学シリーズ2.『播州姫路の城下町』をたずねて”. 姫路市教育委員会文化財課 (1980年). 2024年5月1日閲覧。
本町 (姫路市)
本町 総社本町 | |
---|---|
町名 | |
姫路市中心部。緑線内が中曲輪で本町68番地と総社本町︵右下︵南西︶の一角︶にほぼ相当。本来の本町は中央部下︵南︶に位置する。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
| |
北緯34度50分16秒 東経134度41分37秒 / 北緯34.837666度 東経134.69363度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 兵庫県 |
市町村 | 姫路市 |
面積 | |
• 合計 | 1.128 km2 |
人口 | |
• 合計 | 759人 |
• 密度 | 670人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
本町:670-0012 総社本町:670-0015 |
市外局番 | 079[3] |
ナンバープレート | 姫路 |
概要
本町は姫路市街地の中心部・内町に位置する。北に坊主町、以下東回りに鍵町、姫路城の中堀を挟んで橋之町、生野町、竹田町、堺町、五軒邸2丁目、五軒邸1丁目、大黒壱丁町、本町の南西の一角が総社本町でその東から坂田町、元塩町、綿町、本町に戻って角で二階町、西二階町、角で福中町、坂元町、船場川を挟んで米田町、上片町、龍野町1丁目、吉田町、材木町、小利木町と接する。
大きく分けて姫路城外曲輪の町人地﹁内町﹂の中心となった本来の本町と、姫路城中曲輪の武家地・内曲輪の城郭︵明治以後に姫路城として認識される範囲︶を統合して軍用地とした﹁姫路市本町68番地﹂︵および本町68番地より分割された本町の地番。一般にはそれらも総称して﹁本町68番地﹂と呼ばれる︶とに分けられる。本町68番地内には姫路城の他に多数の学校や文教施設、公園や観光客向け駐車場の他に、戦災被災者や引揚者向けの住宅に起源を持つ住宅・商店街である﹁白鷺町﹂や本町商店街﹁大手前町﹂と通称される地区もある。他に闇市を整理統合したことに起源を持つ﹁お城本町﹂もあったが再開発ビル﹁イーグレひめじ﹂となっている。この総称としての本町68番地の範囲107.8ヘクタールが特別史跡の範囲とされている。一般には本町68番地が皇居のある東京都千代田区千代田1番地に次ぐ﹁日本で2番目に大きい町の地番﹂といわれる[5][6][7]が、107.8haという数値は﹁特別史跡の面積﹂であって、本町68番地から分割された地番や周辺の町の地番を含んでいる[8]。
総社本町は戦後に射楯兵主神社︵播磨国総社︶の境内に生じた町が元になっているが、戦災復興都市計画による区画整理の範囲に含まれて1981年︵昭和56年︶2月に本町68番地より分割されている[9][10]。
歴史
江戸時代
「姫路城#歴史」も参照
1601年︵天正6年︶より池田輝政によって8年掛けて行われた姫路城改修において、城郭のある内曲輪の周囲を町域として設定する﹁慶長の町割り︵町直しとも︶﹂がおこなわれる。ここでは上級武士の居住区とする﹁中曲輪﹂と、その周囲にある下級武士と町人の居住区および寺院の区域である﹁外曲輪﹂とが設定される。中曲輪の門の中心にある﹁中ノ門﹂の前に置かれ、外曲輪の町人地の中心とされたのが本町である[11]。
本町(江戸時代)
本町には播磨国の郡司であった古代豪族・角野氏の後裔である国府寺家︵志深︵しじみ、城東町付近︶にあったことから﹁志深政所﹂とも呼ばれた︶が移されて町大年寄となる。国府寺家は藩主家交代のたびに最初に町屋・在所を代表して挨拶に参上するほどの格式を持っており、姫路の宿場における本陣も勤めていた。また町政を司る役場﹁年行事﹂が中ノ門西︵のちに姫路神社、姫路信用金庫本店、同本町支店を経て駐車場︶に置かれていて、年行司組合町とされた町から年交代で町年寄が出仕し町奉行の支配を受けていた。また年行事の東方︵城南病院東︶に札の辻と呼ばれる高札場が置かれていた[12]。
中曲輪
中曲輪の門より内側には町人は原則として立ち入ることが出来ず、外曲輪すなわち内町とは厳然と区別されていた。中曲輪の武家地の町名は不鮮明な部分があり、また時代によって変遷が著しい[13]。ここでは幕末から明治初期に掛けての町名を挙げる[14]。
桜町
小桜町
大名町
大名町(大明町[17]とも)(だいみょうまち[21]だいみょうちょう[22])は桜町の南にある東西に長い町筋[21][18]。
絵図裏
案内社
岐阜町
岐阜町[23][27]︵ぎふまち︶は案内社の東にある南北に長い町筋。町割りまで北部を小野江、または梛本といい総社︵射楯兵主神社︶の旧所在地であった[23]。坂田町の善導寺はもと梛寺といって梛本にあった[23]。
桐馬場
市之橋
清水
明治・大正・昭和戦前時代
廃藩置県後は内曲輪・中曲輪は陸軍の軍用地となり、順次武家屋敷が取り払われ、本町の67番地まであった地番に続ける形で一括して﹁姫路市本町68番地﹂とされる。姫路城内に歩兵第10連隊、中曲輪に城南練兵場・第10師団司令部・衛戍病院︵陸軍病院︶・歩兵第39連隊・姫山練兵場・陸軍懲治隊︵陸軍教化隊︶・偕行社・各種倉庫等の施設が設置され、軍都姫路の中枢となる[37]。
一方、本来の本町では国府寺家は廃藩置県後に東京へ移り、本町には元藩主酒井氏の遺徳を偲んで1879年︵明治12年︶に姫路神社が創建される。1913年︵大正2年︶には北側の中堀のうち姫路神社付近より東が埋め立てられ、1915年︵大正4年︶には姫路女子技芸学校︵現・姫路市立琴丘高等学校︶が1925年︵大正14年︶まで設置される。他に姫路商業会議所︵現・姫路商工会議所︶も本町に最初の事務所を置いている。また姫路初の鉄筋コンクリート製ビルも本町に建設されている。1932年︵昭和7年︶には残る中堀も西の白鷺橋まで埋め立てられ国道2号の用地となる[12]。
1945年︵昭和20年︶7月3日深夜からの姫路空襲で本町も被災するが、姫路信用金庫本店から藤森病院︵閉業後に城南多胡病院が城南病院として移転︶の間は奇跡的に焼失を免れる[12]。
昭和戦後・平成・令和時代
戦後は残存した軍施設を役所や学校の代替として用い、城南練兵場跡地に昭和20年10月から戦災者用応急商店舗100戸、厚生省の標準型組立式簡易住宅100余戸および住宅営団の応急住宅100戸が建設され[38]、空襲被災者や引揚者を収容し、白鷺町のもととなる。また内町に南北に通るみゆき通りの延長上にも城南通という商店街が形成されて本町商店街・大手前町の元となる。さらに市内各地に分散していた闇市を城南練兵場跡地に収容して﹁お城マート﹂と呼ばれ、仮設店舗のみで居住は認められていなかったが次第に定住するようになりお城本町と呼ばれるようになる。一方で中曲輪南部の土塁周辺にも不法占拠により自然発生的に住宅や店舗が出現し[39][40]﹁北本町﹂と称している[41]。さらに城南小学校・白鷺中学校・姫路東高校︵併せて定時制の姫路北高校︶といった公立学校、淳心学院・賢明女子学院といった私立学校、市役所をはじめ裁判所・税務署・労働会館・商工会議所といった公的機関も設置されるに至る。姫路城北側の姫山練兵場跡地も昭 和20年11月の﹁住宅緊急措置令﹂公布を期に、財務局より借入の形式で旧軍用建物を住宅に転用し、さらに県営・市営の木造平屋建住宅が同練兵場跡を埋め尽くすに至る[42]。さらに第39連隊跡に建設された県営本町住宅・県職員住宅[43]は仮設ではなく4階建鉄筋コンクリート造りの恒久的な建築物に変わり、後日広島市の場合[44]と同様姫路市の都市計画上に禍根を残すことになる[42]。
これらの状況を放置すれば都市形成上重大な影響が生じ、文化財保護の面からも問題があることから、特別史跡指定区域の管理団体である姫路市が中心となって文化庁・大蔵省︵現財務省︶・兵庫県の四者により1967年︵昭和42年︶12月に﹁特別史跡姫路城跡周辺地区整理促進連絡協議会﹂を設立し、1969年︵昭和44年︶6月に﹁特別史跡姫路城跡整備管理方針﹂︵以下﹁四者協定﹂という︶を策定する。この四者協定において、公園化区域︵1969年当時の都市公園区域約65ha︶は諸施設の移転を図りながら史跡公園化を目指すこととし、特別史跡指定区域を20の地域に区分してそれぞれの地域ごとに管理方針策定することとなる[45]。
1970年︵昭和45年︶の姫山練兵場跡の住宅撤去開始に始まり、裁判所・税務署︵それぞれ北条へ︶・市役所︵安田へ︶などが移転。特に元陸軍被服倉庫の市役所は姫路市立美術館へと改装され1980年︵昭和55年︶開館し、その北側には兵庫県立歴史博物館が開館。2003年︵平成15年︶には市立美術館は国の登録有形文化財に指定される[45]。1989年︵平成元年︶には姫路市制施行100周年を記念した﹁姫路百祭シロトピア﹂を姫山練兵場跡・姫山住宅跡にて開催、跡地をシロトピア記念公園として整備する。1990年︵平成2年︶には本町拘置所跡地に日本城郭研究センターと一体の姫路市立城内図書館︵中央図書館に相当︶を開設する[46]。旧市之橋の営林署官舎・国鉄官舎[47]を撤去した跡には西御屋敷跡の発掘調査で確認した屋敷割り及び街路等の遺構を生かし、1992年︵平成4年︶に﹁西御屋敷跡庭園好古園﹂を開園する。2006年︵平成18年︶には白鷺町北部を撤去して﹁家老屋敷跡公園﹂および観光客向け便益施設を整備する[48]。
世帯数と人口
2024年(令和6年)3月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[49]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
本町 | 281世帯 | 496人 |
総社本町 | 146世帯 | 263人 |
それ以前の世帯数と人口は以下の通りである。
調査年 | 世帯数 | 人口 | 備考 | 出典 |
---|---|---|---|---|
1898年(明治31年) | 191世帯 | 644人 | [50] | |
1921年(大正10年) | 181世帯 | 699人 | [51] | |
1949年(昭和24年) | 817世帯 | 2,989人 | 本町東部73世帯・257人
本町西部61世帯・280人 白鷺町414世帯・1527人 総社本町269世帯・925人 |
[52] |
1951年(昭和26年) | 1,030世帯 | 3,827人 | 本町東部77世帯・324人
本町西部157世帯・567人 白鷺町332世帯・1398人 総社本町269世帯・925人 お城マート195世帯・613人 |
[53] |
1978年(昭和53年) | 1,384世帯 | 3,839人 | 城南校区988世帯・2722人
城巽校区238世帯・638人 野里校区158世帯・479人 |
[54] |
1981年(昭和56年) | 1,187世帯 | 3,264人 | 本町(城南)892世帯・2395人
本町(城巽)18世帯・32人 本町(野里)115世帯・389人 総社本町162世帯・448人 10月1日時点(2月に総社本町を分離、 城巽校区で町域変更あり) |
[54] |
1984年(昭和59年) | 1,119世帯 | 2,953人 | 本町959世帯・2,508人
総社本町160世帯・445人 10月1日時点 (9月に本町含む城南校区で町域変更あり) |
[55] |
1990年(平成2年) | 980世帯 | 2,323人 | 本町820世帯・1,911人
総社本町160世帯・412人 |
[56] |
1995年(平成7年) | 820世帯 | 1,910人 | 本町662世帯・1,525人
総社本町158世帯・385人 |
[57] |
2000年(平成12年) | 624世帯 | 1,356人 | 本町482世帯・1,010人
総社本町142世帯・346人 |
[58] |
2005年(平成17年) | 650世帯 | 1,238人 | 本町504世帯・899人
総社本町146世帯・339人 |
[59] |
2010年(平成22年) | 431世帯 | 830人 | 本町286世帯・527人
総社本町145世帯・303人 |
[60] |
2015年(平成27年) | 434世帯 | 814人 | 本町274世帯・509人
総社本町160世帯・305人 |
[61] |
2020年(令和2年) | 443世帯 | 812人 | 本町279世帯・510世帯
総社本町164世帯・302人 |
[62] |
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[63]。
番地 | 小学校・中学校/義務教育学校 | 備考 | |
---|---|---|---|
本町(以下を除く区域) | 姫路市立白鷺小中学校 | 旧城南小校区 | |
総社本町(全域) | 旧城巽小校区 | ||
本町(兵庫県道516号砥堀本町線以東、以下を除く) | |||
本町(姫路医療センター・シロトピア公園以北) | 姫路市立野里小学校 | 姫路市立城乾中学校 | 医療センター内に病児学級 |
交通
- 神姫バス「姫路城大手門前」「姫路郵便局前」「姫山公園南」「姫山公園北」「野里門」「姫路城大手門・好古園前」「聴覚特別支援学校・文学館前」バス停(系統多数)、姫路城ループバス(本町のほぼ全域を周回)[64]
- JR姫路駅・山陽姫路駅まで姫路城大手門前より約900m
施設・旧跡
本町・国道2号以南
本町68番地・総社本町
ここでは内曲輪・中曲輪の変遷を併せて示す。内曲輪には江戸時代には町名がなかった[65]。本町68番地に相当する中曲輪の旧町名について、現状の施設は主要なものの大まかな位置を示す。﹁白鷺町﹂﹁大手前町﹂﹁お城本町﹂﹁北本町﹂は正式な行政地名ではない通称のため括弧書きにしている。※は総社本町に位置する。
参考文献の各地図、および橋本(1956)・稲見(1964)・﹃ふるさと城南ものがたり﹄・﹃新・姫路の町名﹄・﹃うちまちものがたり﹄・﹃姫路城跡基本整備計画﹄・中元(2023)を元にした。
町名(江戸末期) | 明治~戦前 | 戦後 | 現状 | ||
---|---|---|---|---|---|
内曲輪 | 天守・二の丸ほか | 姫路城 | |||
御作事所 | 歩兵第10連隊 | 連隊跡地 | 姫路市立動物園 | ||
三の丸 | 姫路城三の丸広場 | ||||
西の丸 | 鷺城中学校 | 姫路城西の丸庭園 | |||
勢隠 | 姫山公園 | 姫山公園 | |||
姫路神社 | |||||
桜町 | 城南練兵場 | 大手前公園 | |||
「白鷺町」北部 | 家老屋敷跡公園 | ||||
歩兵第39連隊 | 城南小学校⇒白鷺小学校 | 白鷺小中学校 | |||
白鷺中学校 | |||||
姫路聾学校 | 聴覚支援学校 | ||||
神姫バス姫路営業所 | |||||
射楯兵主神社※ | |||||
連隊区司令部 | 姫路商業会議所 | 姫路郵便局※ | |||
小桜町 | 調馬場 | 兵庫県姫路護國神社 | 白鷺宮⇒兵庫県姫路護國神社 | ||
将校集会所 | 姫路商工会議所 | 城見台公園 | |||
被服倉庫 | 姫路警察署 | 臨時駐車場 | |||
総社変電所 | |||||
第10師団司令部 | 賢明女子学院 | ||||
大名町 | 歩兵第39連隊 | 城南小学校⇒白鷺小学校 | 白鷺小中学校 | ||
白鷺中学校 | |||||
県営本町住宅
県職員住宅 |
臨時駐車場 | ||||
「北本町」 | 南部土塁散策路 | ||||
城南練兵場 | 「白鷺町」南部 | 「白鷺町」
国道2号改修記念碑 | |||
「お城マート」⇒「お城本町」 | イーグレひめじ | ||||
城南街⇒本町商店街(「大手前町」) | |||||
電電公社 | NTT西日本 | ||||
第8旅団司令部 | 姫路公会堂 | 姫路市民会館※ | |||
逓信省姫路電信局 | 電電公社 | 姫路モノリス※ | |||
NTT西日本※ | |||||
偕行社 | |||||
絵図裏 | 被服倉庫 | 姫路市役所 | 姫路市立美術館 | ||
憲兵隊 | 労働会館
姫路税務署 |
東御屋敷跡公園 | |||
案内社 | 兵器支廠 | 姫路東消防署 | |||
姫路東高校
姫路北高校 | |||||
衛戍病院 | 陸軍病院 | 国立姫路病院 | 姫路医療センター | ||
兵器庫 | 淳心学院 | ||||
第10師団司令部 | 第10師団司令部
第8旅団司令部 連隊区司令部 | ||||
賢明女子学院 | |||||
第十師団長官舎 | 淳心会本部
カトリック姫路教会 | ||||
岐阜町 | 案内社と同様 | ||||
桐馬場 | |||||
市之橋 | 歩兵第39連隊 | 営林署官舎
国鉄官舎 |
好古園 | ||
清水 | 陸軍懲治隊 | 陸軍教化隊 | 本町拘置所 | 市立城内図書館 | |
火薬庫 | 姫路自動車教習所
白鷺園 | ||||
国立病院宿舎 | 空き地 | ||||
姫山練兵場 | 姫路保健所 | 県立歴史博物館 | |||
市営姫山住宅 | シロトピア記念公園 |
ゆかりの人物
「Category:姫路藩の人物」も参照
●お夏・清十郎 - お夏が生まれ、清十郎が手代を務めた但馬屋が本町にあった[66]。
●藤森眞治 - 藤森病院院長。日本病院協会副会長、日本医療法人協会々長をつとめる[67]。
●藤森春樹 - 藤森病院の後身・藤森耳鼻咽喉科院長。姫路市医師会会長、姫路市学校保健会会長。保健福祉向上への貢献に対し2019年︵令和元年︶姫路市篤行高士の称号授与[68][69]。
●鄭義信 - 劇作家、脚本家、演出家。北本町出身[70]。
脚注
(一)^ “兵庫県姫路市本町 (282010020)”. 国勢調査町丁・字等別境界データセット. 2024年4月7日閲覧。
(二)^ “兵庫県姫路市総社本町 (282010120)”. 国勢調査町丁・字等別境界データセット. 2024年4月7日閲覧。
(三)^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2024年5月5日閲覧。
(四)^ ab“郵便番号検索 兵庫県 > 姫路市の郵便番号一覧”. 日本郵便. 2024年5月1日閲覧。
(五)^ ふるさと城南ものがたり 1989, p. 41.
(六)^ うちまちものがたり 2006, p. 104.
(七)^ ﹁[﹁本町68番地の謎に迫る 市文化センターで催し﹂神戸新聞朝刊姫路版︵26頁︶、2004年2月13日 - ウェイバックマシン 本町68番地の謎に迫る 市文化センターで催し]﹂﹃神戸新聞﹄、2004年2月13日、朝刊姫路版。オリジナルの2004年2月23日時点におけるアーカイブ。
(八)^ 姫路城跡整備基本計画 2011, p. 25-26.
(九)^ 角川地名 1988, p. 846,1371-1372.
(十)^ うちまちものがたり 2006, p. 101-103.
(11)^ 角川地名 1988, p. 1270-1271﹁姫路﹂.
(12)^ abcふるさと城南ものがたり 1989, p. 57-62.
(13)^ 平凡社地名 1999, p. 448.
(14)^ 橋本 1956, p. 2.
(15)^ 平凡社地名 1999, p. 459.
(16)^ ab角川地名 1988, p. 666.
(17)^ abc姫路市史 1919, p. 193.
(18)^ abcdふるさと城南ものがたり 1989, p. 52-54.
(19)^ 平凡社地名 1999, p. 458.
(20)^ ab角川地名 1988, p. 614.
(21)^ ab平凡社地名 1999, p. 459-460.
(22)^ 角川地名 1988, p. 858.
(23)^ abcdefgh平凡社地名 1999, p. 457.
(24)^ 角川地名 1988, p. 261.
(25)^ abc姫路市史 1919, p. 193-194.
(26)^ 角川地名 1988, p. 128.
(27)^ 角川地名 1988, p. 514.
(28)^ “ひょうご伝説紀行 ー 妖怪と自然の世界 ー ﹃播州皿屋敷﹄を訪ねて”. 兵庫県立歴史博物館. 2024年5月2日閲覧。
(29)^ 角川地名 1988, p. 521.
(30)^ ab平凡社地名 1999, p. 460.
(31)^ うちまちものがたり 2006, p. 105-106.
(32)^ 角川地名 1988, p. 174.
(33)^ 平凡社地名 1999, p. 456.
(34)^ 角川地名 1988, p. 736.
(35)^ “鷺の清水”. 全国ロケーションデータベース. 2024年5月2日閲覧。
(36)^ “広報ひめじ No.765 平成4年10月”. 姫路市 (1992年10月). 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月2日閲覧。
(37)^ 姫路城跡整備基本計画 2011, p. 20.
(38)^ 稲見 1964, p. 16-17.
(39)^ 稲見 1964, p. 4.
(40)^ 姫路城跡整備基本計画 2011, p. 2,48,51.
(41)^ うちまちものがたり 2006, p. 108-109.
(42)^ ab稲見 1964, p. 17.
(43)^ うちまちものがたり 2006, p. 107.
(44)^ 戦災復興計画#広島の戦災復興計画、原爆スラム・市営基町高層アパート参照。
(45)^ ab姫路城跡整備基本計画 2011, p. 47.
(46)^ 姫路市の図書館 2019, p. 4.
(47)^ うちまちものがたり 2006, p. 106.
(48)^ 姫路城跡整備基本計画 2011, p. 50.
(49)^ “町別人口・年齢別人口-令和6年︵2024年︶3月末-”. 姫路市役所 デジタル戦略本部 デジタル戦略室 統計解析室. 2024年5月1日閲覧。
(50)^ 姫路市 1903, p. 6.
(51)^ 姫路市 1921, p. 9.
(52)^ 姫路市調査課 1949, p. 71-72.
(53)^ 姫路市調査課 1951, p. 9.
(54)^ ab“昭和53年9月末 姫路市町別人口・年齢別人口”. 姫路市. 2024年4月7日閲覧。
(55)^ “昭和59年9月末 姫路市町別人口・年齢別人口”. 姫路市. 2024年4月7日閲覧。
(56)^ “平成2年3月末 姫路市町別人口・年齢別人口”. 姫路市. 2024年4月7日閲覧。
(57)^ “平成7年3月末 姫路市町別人口・年齢別人口”. 姫路市. 2024年4月7日閲覧。
(58)^ “町別人口・年齢別人口-平成17年︵2005年︶3月末-”. 姫路市. 2024年5月5日閲覧。
(59)^ “町別人口・年齢別人口-平成17年︵2005年︶3月末-”. 姫路市. 2024年5月5日閲覧。
(60)^ “町別人口・年齢別人口-平成22年︵2010年︶3月末-”. 姫路市. 2024年5月5日閲覧。
(61)^ “町別人口・年齢別人口-平成27年︵2015年︶3月末-”. 姫路市. 2024年5月5日閲覧。
(62)^ “町別人口・年齢別人口-令和2年︵2020年︶3月末-”. 姫路市. 2024年5月5日閲覧。
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(65)^ ﹃兵庫県市町村合併史 付図﹄兵庫県総務部地方課︵編︶、1962年、﹁明治初年の自然村図 播磨国飾東・飾西・神東・神西郡 (14)の明細図﹂︵注‥最初期の姫路市の範囲拡大図︶ 頁。doi:10.11501/3030288。これでは内曲輪は﹁︵城郭︶﹂とのみ記されている。
(66)^ 姫路城下古道界隈 2023, p. 14.
(67)^ “病院長プロフイル・19仕事熱心な精力家藤森眞治氏︵姫路市藤森病院長︶”. 病院 12(1): 43. (1 1955).
(68)^ “市民表彰等”. 姫路市役所政策局市長室秘書課. 2024年5月5日閲覧。
(69)^ ﹁藤森耳鼻咽喉科 1915年開業 姫路の医院、惜しまれ閉院へ 市が篤志称号、功績に感謝の声 /兵庫﹂﹃毎日新聞﹄、2019年8月23日。
(70)^ うちまちものがたり 2006, p. 109.
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