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{{By|2002年}}は[[オープン戦]]で負傷し、43試合・打率.266・1本塁打・8打点と精彩を欠いた。 |
{{By|2002年}}は[[オープン戦]]で負傷し、43試合・打率.266・1本塁打・8打点と精彩を欠いた。 |
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{{By|2003年}}は5月25日の試合で不振の[[中村紀洋]]に代わって自身初の4番に座るなどして |
{{By|2003年}}は5月25日の試合で不振の[[中村紀洋]]に代わって自身初の4番に座るなどして打率.309、13本塁打、50打点の成績を残した。 |
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{{By|2004年}}は打撃を活かすため内野手へ転向。しかし、開幕前に[[吉岡雄二]]が負傷したこともあって北川も開幕スターティングメンバーに名を連ね、この年もアテネ五輪に出場した中村の代わりに4番に座っている<ref>﹃さらば大阪近鉄バファローズ﹄P33</ref>。この年、在籍する近鉄とオリックスとの球団合併問題が浮上。9月の[[プロ野球ストライキ|ストライキ]]のあった2試合を除く133試合にフル出場、打率.303・20本塁打・88打点の自己最高成績を収め |
{{By|2004年}}は打撃を活かすため内野手へ転向。しかし、開幕前に[[吉岡雄二]]が負傷したこともあって北川も開幕スターティングメンバーに名を連ね、この年もアテネ五輪に出場した中村の代わりに4番に座っている<ref>﹃さらば大阪近鉄バファローズ﹄P33</ref>。この年、在籍する近鉄とオリックスとの球団合併問題が浮上。9月の[[プロ野球ストライキ|ストライキ]]のあった2試合を除く133試合にフル出場、打率.303・20本塁打・88打点の自己最高成績を収めた{{Efn2|同年のパ・リーグで全試合出場を果たしたのは、北川・[[中島裕之]]・[[川﨑宗則]]の3人だけだった。}}。シーズン最終戦だった9月27日の対オリックス戦では4回表に[[具臺晟]]からソロ本塁打を放ち、これが大阪近鉄バファローズ最後の本塁打・打点となった。北川もシーズン終了後、大阪近鉄の合併消滅に伴い発足した新球団・[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]との[[プロ野球再編問題 (2004年)|選手分配ドラフト]]を経てオリックスに所属することとなり、背番号も'''23'''となった。
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=== オリックス時代 === |
=== オリックス時代 === |