「吉田東伍」を編集中
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== 年譜 == |
== 年譜 == |
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* 元治元年4月14日(1864年5月19日) - [[越後国]][[蒲原郡]]保田村(現在の[[阿賀野市]])保田に旗野木七の三男として生まれる。 |
* 元治元年4月14日(1864年5月19日) - [[越後国]][[蒲原郡]]保田村(現在の[[阿賀野市]])保田に旗野木七の三男として生まれる。 |
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* [[1873年]]([[明治]]6年) - 叔父である旗野十一郎らが熱心に運動して設立された必勤舎 |
* [[1873年]]([[明治]]6年) - 叔父である旗野十一郎らが熱心に運動して設立された必勤舎(のちの保田小学校)へ入学。 |
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* [[1874年]](明治7年) - 親元から離れて新潟町にあった県営の新潟学校 |
* [[1874年]](明治7年) - 親元から離れて新潟町にあった県営の新潟学校(旧英学校)へ転校。10月母園子死去。 |
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* [[1876年]](明治9年) - 新潟英語学校へ転校。 |
* [[1876年]](明治9年) - 新潟英語学校へ転校。 |
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* [[1877年]](明治10年) - 新潟英語学校が新潟学校に合併されたのに伴い新潟学校中等部に在籍するも、12月に退学。 |
* [[1877年]](明治10年) - 新潟英語学校が新潟学校に合併されたのに伴い新潟学校中等部に在籍するも、12月に退学。 |
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* [[1881年]](明治14年) - 出身地である新潟県安田町の歴史をまとめた「安田志料」を作り始める。この年、父木七死去。 |
* [[1881年]](明治14年) - 出身地である新潟県安田町の歴史をまとめた「安田志料」を作り始める。この年、父木七死去。 |
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* [[1883年]](明治16年) - |
* [[1883年]](明治16年) -独学で小学校教員検定合格。中蒲原郡大鹿小学校教員となる。 |
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* [[1884年]](明治17年) - 吉田家の長女カツミと結婚し、養子となる。新潟学校師範部に入学するも、まもなく退学。 |
* [[1884年]](明治17年) - 吉田家の長女カツミと結婚し、養子となる。新潟学校師範部に入学するも、まもなく退学。 |
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* [[1885年]](明治18年) - 一年志願兵として仙台兵営に入る。 |
* [[1885年]](明治18年) - 一年志願兵として仙台兵営に入る。 |
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* [[1895年]](明治28年) - [[日清戦争]]特派員。『[[大日本地名辞書]]』を起稿。 |
* [[1895年]](明治28年) - [[日清戦争]]特派員。『[[大日本地名辞書]]』を起稿。 |
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* [[1899年]](明治32年) - 『大日本地名辞書』の刊行が始まる。 |
* [[1899年]](明治32年) - 『大日本地名辞書』の刊行が始まる。 |
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* [[1899年]](明治32年) - 東京専門学校 |
* [[1899年]](明治32年) - 東京専門学校(翌年[[早稲田大学]]と改称)の講師となる。 |
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* [[1907年]](明治40年) -『大日本地名辞書』完成。 |
* [[1907年]](明治40年) -『大日本地名辞書』完成。 |
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* [[1909年]]︵明治42年︶ - ﹃能楽古典世阿弥十六部集﹄︵校註︶刊行。文学博士となる<ref>[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2951183/5 ﹃官報﹄第7833号、明治42年8月4日、p.56]</ref>。すでに早稲田大学で教鞭を取ってはいたが、学歴のない博士であった。
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* [[1909年]]︵明治42年︶ - ﹃能楽古典世阿弥十六部集﹄︵校註︶刊行。文学博士となる<ref>[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2951183/5 ﹃官報﹄第7833号、明治42年8月4日、p.56]</ref>。すでに[[早稲田大学]]で教鞭を取ってはいたが、学歴のない博士であった。
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* [[1911年]](明治44年) - 『世阿弥十六部集註解』の連載始まる。 |
* [[1911年]](明治44年) - 『世阿弥十六部集註解』の連載始まる。 |
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* [[1914年]](大正3年) - 『国史百科事典』 |
* [[1914年]](大正3年) - 『国史百科事典』(未完)の編集開始。横井春野編(著者名は東伍)『地理的日本歴史』出版。 |
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* [[1918年]](大正7年)[[1月22日]] - [[千葉県]][[本銚子町]](現在の[[銚子市]])にて死去。 |
* [[1918年]](大正7年)[[1月22日]] - [[千葉県]][[本銚子町]](現在の[[銚子市]])にて死去。 |
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