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{{複数の問題
| 出典の明記 = 2015年9月
| 独自研究 = 2015年9月}}
{{神社
|名称 = 大御食神社
|画像 =[[File:大御食神社正面.jpg|300px]]<br />大御食神社正面
|所在地 = [[長野県]][[駒ヶ根市]][[赤穂町 (長野県)|赤穂]]11475(市場割)<ref name="nihon-kankou">{{Cite web|和書|url=https://www.nihon-kankou.or.jp/detail/20210ag2130148628 |title=大御食神社(美女ヶ森) |website=全国観光情報サイト 全国観るなび |publisher=日本観光振興協会 |accessdate=2021-02-06 }}</ref>{{Refnest |group="注" |長野県神社庁「神社紹介」では当社所在地を「駒ケ根市赤穂字美女森11475」(引用)としている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nagano-jinjacho.jp/shibu/kamiina.htm |title=神社紹介 上伊那支部 |publisher=長野県神社庁 |accessdate=2021-02-06 }}</ref>。}}
|所在地 = [[長野県]][[駒ヶ根市]]赤穂11475番地
| 緯度度 = 35 | 緯度分 = 43 | 緯度秒 = 25
|位置 ={{ウィキ座標2段度分秒|35|43|24.8|N|137|56|53.9|E|region:JP}}
| 経度度 = 137 | 経度分 = 56 | 経度秒 = 55
|祭神 = [[日本武尊]]<br />[[宮簀媛]](五郎姫)<br />[[八幡神|八幡大神]]
|ISO = JP-20
|社格 = 旧[[郷社]]
|ラベル位置 = right
|創建 = [[118年]]([[景行天皇]]48年)
|地図 = Japan Nagano
|本殿 = [[流造|三間社流造]]
|祭神 = [[ヤマトタケル|日本武尊]]・[[宮簀媛|五郎姫神]]・[[応神天皇|誉田別尊]]<ref name="komagane-honden">{{Cite web|和書|url=https://www.city.komagane.nagano.jp/material/files/group/19/20200208omikejinjahonden.pdf |title=大御食神社本殿 |publisher=駒ヶ根市 |accessdate=2021-02-06 }}</ref>{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}
|別名 = 美しの杜(通称:美女ヶ森)
|社格 = [[郷社]]<ref name="komagane-honden" />{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}
|例祭 = 祈年祭:4月15日<br />例大祭:9月21日/22日(平成17年から直近の休日)
|創建 = 不明<ref name="#1">『上伊那郡史』唐沢貞治郎 1921年 上伊那郡教育会</ref>{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}{{Refnest |group="注" |name="founded" |『[{{NDLDC|1102488/10}} 美社神字解]』では神代文字社伝記の当該部分を「大足彦忍代別天皇御代八十余八年」(引用、大足彦忍代別天皇は景行天皇のこと)と解読している{{Sfn |落合直澄 |1936 }}。}}
|神事 =
|本殿 = [[流造|三間社流造]]<ref name="komagane-honden" />
|別名 = 美女ヶ森<ref name="nihon-kankou" /><ref name="komagane-honden" />
|例祭 = [[#祭事]]参照
|神事 = [[#神事]]参照
}}
'''大御食神社'''(おおみけじんじゃ)は、[[長野県]][[駒ヶ根市]][[赤穂町 (長野県)|赤穂]]にある[[神社]]である。別名は'''美女ヶ森'''(びじょがもり)<ref name="nihon-kankou" />
 
== 概要祭神 ==
* [[ヤマトタケル|日本武尊]] - 伝承によると[[景行天皇]]41年{{Sfn |佐野重直 |1901 |p=42 }}、日本武尊は[[ヤマトタケル#東征|東征]]の帰路の途中で当地を通過する際、[[スギ|杉]]の木の下で当地の首長であった[[赤須氏#清和源氏満快流 赤須氏|赤須彦]]のもてなしを受ける。この杉を「御蔭杉」(日の御蔭杉、月の御蔭杉とも)といい、側にあって日本武尊が手を掛けたとされる石を「御手掛石」という。景行天皇58年、御蔭杉の下に神殿を建て、日本武尊を祀る{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}{{Refnest |group="注" |ヤマトタケル赤須滞在の記事は他の史書に見えないが、『[[古事記]]』には坂の神を服従させたと伝わり、『[[日本書紀]]』では白い鹿の神を蒜で殺し、次に現れた白い犬に導かれて[[美濃国]](現・[[岐阜県]])へ出たとされる。またこの白い犬について、『諏訪史料叢書』巻28掲載の「神長守矢氏系譜」には、守矢実久が[[建御名方命]]の神功か、あるいは[[守矢氏]]の祖である小須美君の使いではないかとしている<ref>「神長守矢氏系譜」『諏訪史料叢書.巻28』諏訪教育会、昭和11年、36頁。</ref>。}}。
[[祭神]]は'''[[日本武尊]]'''(やまとたけのみこと),'''五郎姫'''(いついらつひめ・[[宮簀媛|宮簀媛命]](みやすひめのみこと)),[[八幡神]](やはたのみかみ)である。<br />
* [[宮簀媛|五郎姫神]](いついらつひめのみこと<ref name="komagane-honden" />) - [[宮簀媛]]。伝承には美夜須姫とも。[[応神天皇]]8年7月に[[尾張国]]より勧請したもので、「美女ヶ森」の名の由来とされる{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。
また、[[建御名方命]]が愛(め)で、日本武尊が「奇び杉なりや」と誉めた古杉を御神木('''御蔭の杉''')としている。(現在の木は三代目)<br />
* [[応神天皇|誉田別尊]] - [[八幡神|八幡大神]]{{Sfn |三浦譲 |1977 |p=488 }}。[[元慶]]3年([[879年]])[[3月15日 (旧暦)]]、[[石清水八幡宮]]より勧請したという{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。
[[118年]]([[景行天皇]]48年)(神社明細帳では[[景行天皇]]51年)創建とされ、[[2018年]]([[平成]]30年)に創祀1900年を迎える。<br />
旧[[郷社]]で、現在の建物は小町谷筑後守の代、元治元年(1864)棟梁は立川和四郎冨昌の弟子 斉藤常吉、彫工は名匠立川流 立木音四郎により建替えられたものである。<br />
大御食神社の創建は、社伝記(古代文字で書かれた「'''美女ヶ森昔時年代記'''」)によると、
{{Quotation|
大足彦忍代別天皇の御代四十八年(よそじまりやとせ)、御食彦御蔭の杉の木の下(もと)御安楽居(みやすらい)しその仮宮を神の御殿(みあらか)に見立て、日本武尊を祝い祀りて大御食ノ社(おおみけのやしろ)と御名を附け奉りき。}}
とある。
 
[[]]{{Sfn | |1977 |p=488 }}[[]][[]][[]][[]]<ref>[[寿]][[]]1986</ref>[[ ()|]]{{Sfn | |1974 |p=323 }}
別名の「'''美しの杜'''」の名は、社伝記によると、「'''''宮簀姫またの名は厳郎姫 を迎えまつりて、所の名を美しの杜と 御名負はせまつる'''''」とある。<br />
現在氏子らは「'''美女ヶ森'''(びじょうがもり)」と親しみを込めて呼んでいる。
 
6[[]]{{Sfn | |1921 |p=969 }}1977[[]]4,50015,000{{Sfn | |1977 |p=488 }}[[ ()|]][[]][[]]{{Sfn | |1979 |p=432 }}
== 祭神 ==
* [[日本武尊]]
 
== 歴史 ==
* [[宮簀媛|宮簀姫]]
=== 沿革 ===
その沿革は、[[明治]]5年([[1872年]])に「由緒明らかならず」として郷社に留まっているため、不明である<ref>『実在した「神代の文字」』櫻澤重利 1995年</ref><ref name="#1"/>。
 
大御食神社には「神代文字社伝記」と呼ばれるいわゆる「[[神代文字]]」で記された社伝記が存在している。これを解読したのは「神代文字」肯定派の[[平田篤胤]]の影響を受けたとされる落合直澄であるが、彼の兄であり同じく平田篤胤の影響を受けていた落合直亮が後に伊勢神宮で和歌等を神代文字で書かせて保存させ偽物騒ぎを起こした人物のため、この神字社伝も捏造された[[偽書]]であるとされた<ref> 『実在した「神代の文字」』櫻澤重利 1995年 </ref>。
* [[八幡神|八幡大神]]
*:相殿に祀られている。
*:[[元慶]]三年(879)[[石清水八幡宮|石清水八幡ノ宮]]より迎えられた。
 
在野の歴史家・伴崎史郎が[[駒ヶ根市]]の市史編纂室において、大御食神社の社伝記に言及したところ、編纂室の「K氏」は「神代文字は、皇国史観の産物であり、信用できない」と社伝記の真実性を否定している<ref>{{Cite web|和書|url= https://utukusinom.exblog.jp/9656851/ |title=古代文字の真実[5]”古代文字は皇国史観の産物?”|date=2009-02-20|accessdate=2021-12-12}}</ref>。
== その他 ==
=== 古記録 ===
古代文字([[阿比留草文字]])で書かれた社伝記(美女ヶ森昔時年代記)は、景行天皇から村上天皇(天歴5年)までの およそ840年間のことが桐板に記されている。<br />
天明年間に、当時十一棟あった邸宅が焼失、その時 ほとんどの文献は焼失したが、社伝記の写しは火災から免れた。<br />
明治7年、松本博覧会に出品した。<br />
 
以下は「神代文字社伝記」を参考に記したものである。
* 代々[[宮司]]を務める[[社家]]の阿智祝部(阿智氏)は、[[八意思兼神]]に始まる神の系譜に繋がるとされる<ref>[[宝賀寿男]]編著『古代氏族系譜集成』中巻、[[古代氏族研究会]]、1986年。</ref>。
 
* [[景行天皇]]41年 - 日本武尊来臨{{Sfn |佐野重直 |1901 |p=42 }}。
*大御食神社の周辺には現在「湯奉(ゆぶ)の沢」という地名([[小字]])が残っている。[[慶安]]二年(1649年)の[[検地帳|御検地帳]]にもあり、日本武尊が湯浴みをしたと伝わる。
* 景行天皇58年 - 創建。日本武尊を奉斎{{Sfn |佐野重直 |1901 |p=43 }}{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}{{Refnest |group="注" |name="founded" }}。
* [[宮田村]]誌によると、「日本武尊が[[太田切川 (長野県)|大田切川]]まで来たとき、大水で渡ることが出来なかったが、一頭の馬が馳せ来たのでその馬に乗って無事川を渡った。古老はその馬を、秋冬はこの原に住み、春夏は西山に住む神馬だと申し上げた。」という伝説がある。(駒ヶ嶽御尋書-天保3年(1832年))<br/>そのとき日本武尊が腰をかけ休んだという「御座石」が、[[宮田村]]駒ヶ原に文化財として残っている。
* [[応神天皇]]8年7月 - [[尾張国]]より[[宮簀媛|五郎姫神]]を勧請{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。
* [[西行]]が社家に立ち寄り、書を残している。[[江戸時代]]後期の旅行家[[菅江真澄]]の随筆『すわの海』に この書についての記述がある。
* [[元慶]]3年([[879年]])[[3月15日 (旧暦)]]、[[石清水八幡宮]]より[[応神天皇|誉田別尊]]を勧請{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。
* [[寛平]]3年([[891年]])3月15日 (旧暦) - [[大和国]](現・[[奈良県]])の[[春日大社]]より[[流鏑馬]]が伝わる{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。
* [[応永]]15年([[1408年]])3月15日 (旧暦) - 流鏑馬神事を境内で行うようになる{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。
* [[明和]]4年([[1767年]]) - 氏子より祭事用獅子頭を寄進される<ref name="komagane-shishineri">{{Cite web|和書|url=https://www.city.komagane.nagano.jp/material/files/group/19/20200509omikejinjanosangokuichi.pdf |title=大御食神社と大宮五十鈴神社の獅子練り |publisher=駒ヶ根市 |accessdate=2021-02-07 }}</ref>。
* [[天明]]2年([[1782年]])8月 - [[神官]]宅にて[[火災]]、古文書の多くを焼失{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。
* [[文久]]3年([[1863年]])9月 - 本殿釿始め(おのはじめ)<ref name="komagane-honden" />。
* [[元治]]元年([[1864年]])4月 - 本殿[[地鎮祭]]<ref name="komagane-honden" />。
* [[明治]]2年([[1869年]])5月 - [[落合直澄]]が[[神代文字]]社伝記を解読する{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。
* 明治5年([[1872年]])11月 - 当社の社格が郷社に列せられる{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。
* [[2012年]]([[平成]]24年)9月16日 - 9月17日 - 大御食神社1900年祭<ref>{{Facebook post|komagane|345826122175241|駒ヶ根観光協会(長野県南信州)(2012年9月15日の投稿、2021年2月7日閲覧)}}</ref>。
 
== 境内 ==
[[File:美しの杜(現在).jpg|thumb|社叢]]
[[File:大御食神社景.jpg|thumb|『郷社大御食神社之景』(1901年)]]
* 境内 - 1,500坪{{Sfn |三浦譲 |1977 |p=488 }}。
* 本殿 - 9[[坪]]{{Sfn |三浦譲 |1977 |p=488 }}。[[流造|三間社流造]]で間口は4.2[[メートル]]。[[唐破風|軒唐破風]]をもつ[[屋根]]は[[銅]]板葺で、もとは[[こけら葺]]であった。[[棟札]]から[[文久]]3年([[1863年]])9月着工、[[元治]]元年([[1864年]])4月に[[地鎮祭]]・[[上棟式|上棟]]と考えられている。[[棟梁]]は斎藤常吉、彫工は立木音四郎で、ともに[[立川和四郎|立川和四郎冨昌]]の[[弟子]]である。随所に立川流[[彫刻]]の特徴が見られる<ref name="komagane-honden" />。駒ヶ根市指定有形文化財(建造物)<ref name="komagane-bunka">{{Cite web|和書|url=https://www.city.komagane.nagano.jp/gyosei/kosodate_bunka_sports/rekishi_bunkazai/4102.html |title=指定文化財一覧 |publisher=駒ヶ根市 |accessdate=2021-02-06 }}</ref>。
* 神饌所 - [[1947年]](昭和22年)9月、[[駒ヶ根市立赤穂小学校|赤穂小]]にあった旧[[奉安殿]]を移築したもの{{Sfn |駒ケ根市誌編纂委員会 |1974 |p=324 }}。
* 拝殿 - 30坪。[[大工]]の小口平四郎と、[[東京美術学校 (旧制)|東京美術学校]][[教授]]の矢崎貞之による共同建築である{{Sfn |三浦譲 |1977 |p=488 }}。[[1920年]](大正9年)の建築{{Sfn |駒ケ根市誌編纂委員会 |1974 |p=324 }}。
* 殿 - 64殿{{Sfn | |1974 |p=324 }}
* 流鏑馬所(やぶさめじょ)<ref name="komagane-honden" />
*  - 32{{Sfn | |1974 |p=325 }}
* 社務所 - 44坪{{Sfn |駒ケ根市誌編纂委員会 |1974 |p=325 }}。
* [[鳥居]] - 石造の鳥居。[[1890年]](明治23年)、[[石工]]・北原久平による{{Sfn |駒ケ根市誌編纂委員会 |1974 |p=325 }}。
* [[狛犬]] - 元禄11年の石狛犬のほか、上段に1952年(昭和27年)10月奉納の狛犬がある{{Sfn |駒ケ根市誌編纂委員会 |1974 |p=325 }}。
* [[灯籠]] - 文化6年のもの1基、慶応戌辰年のもの1基、その他享保4年のもの(神殿前の石灯籠)がある{{Sfn |駒ケ根市誌編纂委員会 |1974 |p=325 }}。
* 御蔭杉(みかげすぎ) - [[神木]]{{Sfn |三浦譲 |1977 |p=488 }}。伝承によると[[神功皇后]]5年春3月、[[天安 (日本)|天安]]2年([[858年]])春の2度にわたって植継ぎを行ったという<ref name="komagane-bijogamori">{{Cite web|和書|url=https://www.city.komagane.nagano.jp/material/files/group/19/20200506bijogamoridensetsu.pdf |title=美女ヶ森伝説 |publisher=駒ヶ根市 |accessdate=2021-02-07 }}</ref>。『上伊那郡史』(1921年刊)には「回り二[[丈]]余り」とある{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。
* 御手掛石 - 神木周りの[[玉垣]]内に置かれている{{Sfn |駒ケ根市誌編纂委員会 |1974 |p=325 }}。
 
<gallery>
File:Haidenn.jpg|拝殿
File:大御食神社本堂.jpg|本殿
File:御影の杉.jpg|御蔭杉
</gallery>
 
== 境内社 ==
{{Sfn | |1921 |pp=970 - 972 }}
 
* 御渡社([[建御名方命]]・[[弟橘媛|橘姫命]]) - [[地主神|上古地主神]]、[[産土神]]と伝えられている。
* 御続社([[伊弉諾命]]・[[伊弉冉]]・[[天之御中主神]]・[[高皇産霊神]]・[[神皇産霊神]]) - 後ろの三神を「造化の三神」という。
* 天神社([[菅原道真]])
* 伊雑社([[天照大神]])
* 稲荷社([[豊受姫神]])
* 秋葉社([[迦具土神]])
* 若宮社(佐賀喜霊神・斎異神)
* 諏訪社(建御名方命)
* 御食津彦社([[オモイカネ|八意思兼尊]]・表春命・五道命・五道山祗命・五道津彦・五道別命・御食津彦)
* 植継社(吾道赤須彦) - 植継大明神とも。
* 二木社([[天之御中主神]]・[[源経基|六孫王経基]]) - 以下の境内社がある。
** [[ミシャグジ|社宮司]]社(建御名方命)
** 神若衆社(唯二宮の臣と伝わる)
** 甲子社(大己貴命)
** 斎殿社(事代主神)
** 清和荒神社(王姫)
* 山神社([[オオヤマツミ|大山祇命]])
* 山の鼻社(建御名方命) - 以下の境内社がある。
** [[金比羅]]社(大己貴命、香具土神)
** 山神社(大山祇命)
** 利生稲荷社(豊受姫神)
* 富士社([[木花咲耶姫]])
 
  {{Sfn | |1974 |p=325 }}
 
* 真澄神社([[大山祇神]]) - 上赤須南原にあったものを、1973年(昭和48年)に合祀。
 
[[|]]18{{Sfn | |1977 |p=488 }}
 
== 祭事 ==
[[File:獅子練り.JPG|thumb|獅子練り]]
当社の[[例祭]]は9月20日至近の[[土曜日]]から[[日曜日]]にかけて行われる<ref name="komagane-shishineri" />{{Refnest |group="注" |当社の例祭について、『全国神社名鑑』(1977年刊)・『角川日本地名大辞典』(1990年刊)には[[9月21日]] - [[9月22日]]とある{{Sfn |三浦譲 |1977 |p=488 }}{{Sfn |「角川日本地名大辞典」編纂委員会、竹内理三 |1990 |p=259 }}。}}。
[[9月21日]]の[[例祭]](平成17年から直近の休日)は、氏子が獅子練りを行う。祭典の中心祭事とされ、毎年、年番耕地の若衆が取り組む。
お練りは、氏子が[[おかめ]]・[[ひょっとこ]]などと[[悪魔払い]]の獅子の機嫌を取りながら神社にお詣りをし、最後に獅子の頭を切り取り奉納する。
この行列に神主は同行せず、祭神三種の名を書いた[[幣束]]を捧げた少年三人(現在は大人)が裃を着用し、陣笠を頂いて加わっている。
 
* [[|]] - [[]][[]]{{Sfn | |1979 |p=432 }}<ref name="komagane-bunka" />[[]]4[[1767]][[]]1602827<ref name="komagane-shishineri" />
== 境内社 ==
 
[[File:大御食神社景.jpg|thumb|大御食神社景]]
== 神事 ==
* 御渡社 [[建御名方命]]・[[弟橘媛|橘姫命]]・[[地主神|上古地主神]]([[産土神]])
* 春祭祈年祭 - 4月15日{{Sfn |三浦譲 |1977 |p=488 }}。
* 御継社 [[伊弉諾命]]・[[伊弉冉]]・[[天之御中主神]]・[[高皇産霊神]]・[[神皇産霊神]]
* 新穀感謝祭 - 11月23日{{Sfn |三浦譲 |1977 |p=488 }}。
* 天神社 [[菅原道真]]
* [[流鏑馬]] - [[寛平]]3年([[891年]])、[[大和国]](現・[[奈良県]])の[[春日大社]]より伝わる。当初は宮の原(当社より東方3[[町 (単位)|町]]、御射山原とも{{Sfn |佐野重直 |1901 |p=43 }})という場所で行っていたが、[[応永]]15年([[1408年]])より境内で行うようになる。[[明治維新]]の頃より衰退{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。神事としては[[1892年]](明治25年)まで続いたとされる{{Sfn |「角川日本地名大辞典」編纂委員会、竹内理三 |1990 |p=259 }}。
* 伊雑社 [[天照大神]]
* 稲荷社 [[豊受姫神]]
* 秋葉社 [[迦具土神]]
* 若宮社 佐賀喜霊神
* 諏訪社 建御名方命
* 御食津彦社 [[オモイカネ|八意思兼尊]]・御食津彦・他
* 植継社(植継大明神) 吾道赤須彦
* 二木社(日本岐社) [[天之御中主神]]・[[六孫王経基]]
* 二木社の境内社
** [[ミシャグジ|社宮司]]社
** 神若衆社
** 甲子社
** 齊殿社
** 清和荒神社
* 山神社 [[大山祇神]]
* 山の鼻社 建御名方命
* 山の鼻社の境内社
** [[金比羅]]社
** 山神社
** 利生稲荷社
* 富士社 [[木花咲耶姫]]
* 真澄神社 大山祇神
 
== 文化財 ==
* 駒ヶ根市指定有形文化財(建造物)
[[File:本堂高画質.jpg|thumb|大御食神社本殿]]
** 大御食神社 本殿 - 2011年(平成23年)12月27日指定<ref name="komagane-bunka" />。[[#境内]]参照。
* 本殿 [[元治]]元年(1864年)建替え(棟梁・斉藤常吉、彫工・立木音四郎)、[[流造|三間社流造]]。
* 駒ヶ根市指定民俗文化財(無形民俗文化財)
* 石棒 2本
** 大御食神社 [[獅子舞|獅子練り]] - 2017年(平成29年)7月25日指定<ref name="komagane-bunka" />。[[#祭事]]参照。
[[File:西行法師真筆(大御食神社伝).jpg|thumb|社宝:西行法師書]]
* 社宝
* [[西行]]法師真筆 1福
** [[神代文字]]社伝記2冊(写本) - 原本は[[天明]]2年([[1782年]])8月の[[火災]]で焼失し、写本のみが残された、とされるが、落合兄弟の経歴から、実際は捏造された[[偽書]]であるとされた<ref name="#1"/>。{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。縦1[[尺]]、横6[[寸]]8[[分 (数)|分]]の大きさの[[キリ|桐]]製の板に{{Sfn |落合直澄 |1936 }}、[[阿比留草文字]]および[[阿波文字]]で文章が記されている{{Sfn |落合直澄 |1888 }}。上冊は9枚で厚さ約1寸2分、下冊は11枚で厚さ約1寸9分。前後に2枚ずつ添え板がある。綴りひもは[[アサ|麻]]である。外箱は杉・[[ヒノキ]]材で、縦1尺1寸3分、外のり4寸9分。左側の一部に焼け焦げた跡がある{{Sfn |落合直澄 |1936 }}。[[明治維新]]後、当社は[[伊那県]]の要請で社伝記を提出。誰にも読めないとされていたが、[[落合直澄]]が[[平田篤胤]]著『神字日文伝』を参考に解読した{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。[[1874年]](明治7年)の松本博覧会では社伝記が出展されている{{Sfn |駒ケ根市誌編纂委員会 |1974 |p=316 }}。
* [[猿田彦]]面 1個
** [[除地]]目録(写本) - [[天明]]2年寅年12月写し(原本は[[元亀]]3年){{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。
* 日本武尊 木彫立像 ([[平安時代]]作)
** 除地目録 - [[元禄]]11年{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。
* 日本武尊・八幡神・宮簀姫(五郎姫)木彫座像(御神体) [[寛延]]3年 飯田仏師 井出右兵衛運正作
** [[ミシャグジ|石神]]2本{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}
* 大陣太鼓 近藤織部祐(旗本)献納
** 除地宝目録<!--歴二年のもの-->{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}
* 御手掛石 日本武尊ゆかり
** 棟札{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}
* 平瓮石 日本武尊ゆかり
** 真社名御筆 - [[有栖川宮熾仁親王]]書{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。
* 石狛犬 [[元禄]]11年 下平村堀内兵次八寄進
** 祭神三神の神名の御真筆 - [[小松宮彰仁親王]]書{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。
* 石の鳥居 明治23年 石工北原久平
** 日本武尊の尊像(伝) - ヤマトタケルの[[衣冠束帯]]の立姿とされる。ヒノキ材による[[寄木造]]で、総丈は33[[センチメートル]]。衣装部分は[[白]]・[[赤]]・[[青]]の[[泥絵具]]で彩色されている<ref name="komagane-bijogamori" />。古代神像は[[平安時代]]の作という{{Sfn |三浦譲 |1977 |p=488 }}。
* 灯籠 [[文久]]6年 慶応戊辰年
** 日本武尊、八幡神、五郎姫の木彫座像 - 当社の[[御神体]]。[[寛延]]3年([[1750年]])、[[飯田市|飯田]]の[[仏師]]であった井出右兵衛運生の作という{{Sfn |駒ケ根市誌編纂委員会 |1974 |p=325 }}。
* 石灯籠 [[享保]]4年
** [[和太鼓|大陣太鼓]] - 上穂村を支配していた[[旗本]]の山本近藤織部祐重勝より献納されたもの{{Sfn |駒ケ根市誌編纂委員会 |1974 |p=325 }}。
** [[西行]]作とされる[[和歌]]の[[掛軸]] - [[絹]]地に西行作とされる和歌を記し、さらに3頭の[[ウマ|馬]]を[[水墨画]]で描いた掛軸。総丈1.56メートル、幅36センチメートル。和歌は[[菅江真澄]]『すわの海』にも登場している<ref>{{Cite journal |和書 |author=小堀光夫 |title=菅江真澄の旅と西行の伝承和歌 |date=2006 |publisher=菅江真澄研究会 |journal=菅江真澄研究 |volume= |issue=58 |url={{NDLDC|2626060}} |page=11 }}</ref>。
** 獅子頭 - [[#祭事]]参照。
 
<gallery>
== 交通 ==
File:Sugisyadenki.jpg|神代文字社伝記
* 最寄駅:[[飯田線]][[小町屋駅]]
File:西行法師真筆(大御食神社伝).jpg|西行作とされる掛軸
* 高速道:[[中央自動車道]][[駒ヶ根インターチェンジ]]
</gallery>
* 駐車場:有り
 
== 交通アクセス ==
;[[公共交通機関]]
:[[東海旅客鉄道|JR]][[飯田線]]・[[小町屋駅]]が最寄り。直線距離で1,240メートル<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mapion.co.jp/phonebook/M06005/20210/ILSP0061170657_ipclm/ |title=大御食神社 |website=[[Mapion]] 電話帳 |publisher=[[ONE COMPATH]] |accessdate=2021-02-06 }}</ref>。または[[駒ケ根駅]]から約2[[キロメートル]]{{Sfn |三浦譲 |1977 |p=488 }}、[[タクシー]]で10分間<ref name="nihon-kankou" />。
;[[自家用自動車]]
:[[中央自動車道]]・[[駒ヶ根インターチェンジ]]から[[自動車]]で20分間。普通車15台分の[[駐車場]]がある<ref name="nihon-kankou" />。
 
== 大御食神社に関連する作品 ==
* 詩歌(かっこ内は作者)
** 昔時をあふぎし見れば瑞籬の御蔭の杉の高くもあるかな([[三条西季知]]){{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=970 }}{{Sfn |佐野重直 |1901 |p=43 }}
** 代々を経しほども知られてうつくしの森の神杉神さびにけり([[佐々木弘綱]]){{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=970 }}{{Sfn |佐野重直 |1901 |p=43 }}
** あまつなるえみしことむけかへらしゝ美影を今も仰く神杉([[徳大寺実則]]){{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=970 }}
** 東征旌旆仰雄風、此地王孫曾駐驄、猶是老杉摩碧落、千秋色与大動崇([[野村素介]]){{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=970 }}
** 吾妻路のまかれるわたをすくにせししるし御蔭のすきはこの杉(国克、美濃国){{Sfn |佐野重直 |1901 |p=43 }}
** いや高き御かけの杉は足引の屋まとおくなの神代よりして(直虎、尾張国){{Sfn |佐野重直 |1901 |p=43 }}
* 1919年(大正8年)制定の赤穂学校校歌(作詞:小町谷常是)において当社について歌われている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.e-sasaki-web.com/index.php?mp=blogn&eid=3769 |title=赤穂学校校歌100周年記念・駒ヶ根歴史フットパス |author=佐々木祥二 |date=2018-06-18 |accessdate=2021-02-07 }}</ref>。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references />
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
 
== 参考文献 ==
* {{Cite book |和書 |author=三浦譲 |title=全国神社名鑑 上巻 |publisher=全国神社名鑑刊行会 史学センター |year=1977 |ref=harv }}
* {{Cite book |和書 |url={{NDLDC|765237/24}} |author=佐野重直 |title=南信伊那史料 巻之下 |publisher=佐野重直 |year=1901 |ref=harv }}
* {{Cite book |和書 |url={{NDLDC|965702/521}} |author=唐沢貞治郎 |title=上伊那郡史 |publisher=上伊那郡教育会 |year=1921 |ref=harv }}
* {{Cite book |和書 |title=[[角川日本地名大辞典]] 20 長野県 |editor1=「角川日本地名大辞典」編纂委員会|editor2=竹内理三|editor2-link=竹内理三 |publisher=[[角川書店]] |year=1990 |ref=harv }}
* {{Cite book |和書 |author=下中邦彦|authorlink=下中邦彦 |title=[[日本歴史地名大系]] 20 長野県の地名 |publisher=[[平凡社]] |year=1979 |ref=harv }}
* {{Cite book |和書 |author=駒ケ根市誌編纂委員会 |title=駒ケ根市誌 現代篇 下巻 |publisher=駒ケ根市誌刊行会 |year=1974 |ref=harv }}
* {{Cite book |和書 |url={{NDLDC|992105/37}} |title=日本古代文字考 2巻 上 |author=落合直澄 |publisher=吉川半七 |year=1888 |ref=harv }}
* {{Cite book |和書 |url={{NDLDC|1102488}} |title=美社神字解 上下合巻 |author=落合直澄 |publisher=惟神教会出版部 |year=1936 |ref=harv }}
 
== 関連文献 ==
<!--出典として利用していないが[[Wikipedia:信頼できる情報源]]と考えられる文献-->
=== 大御食神社刊 ===
* {{Cite book |和書 |title=美女社大御食神社神代文字社伝記解読 附美女ケ森大御食神社由緒の略記 |author=大御食神社 |publisher=大御食神社 |year=1983 }}
* {{Cite book |和書 |title=美女ケ森大御食神社 由緒の略記 |author=大御食神社 |publisher=大御食神社 |year=1983 }}
 
=== 市村誌 ===
* {{Cite book |和書 |url=http://misuzu-mokuji.net/detail.php?id=210001 |title=駒ヶ根市誌 古代・中世編、別編年表 |author=駒ヶ根市誌編さん室 |publisher=駒ヶ根市 |year=1990 }}
* {{Cite book |和書 |url=http://misuzu-mokuji.net/detail.php?id=388001 |title=宮田村誌 上巻 |author=宮田村誌編纂委員会 |publisher=宮田村誌刊行会 |year=1982 }}
 
=== 映像作品 ===
* 『上伊那の祭りと行事 30選』上伊那広域連合企画、井上井月顕彰会・ヴィジュアルフォークロア製作、北村皆雄監督、2013年 (DVD)
 
=== その他 ===
* {{Cite book |和書 |title=美女ヶ森大御食神社 1900年記念誌 |publisher=大御食神社総代会 |year=2012 }}
* {{Cite book |和書 |title=美女ヶ森大御食神社の社宝 |publisher=大御食神社総代会 |year=2014 }}
* {{Cite book |和書 |title=大御食神社と祭典 |author=気賀澤兼義 |editor=市場割学芸委員会 |publisher=市場割祭典委員会・市場割学芸委員会 |year=1997 }}
 
== 関連項目 ==
{{Commonscat}}
*[[日本武尊]]
* [[信濃国]]
* [[阿智神社 (阿智村)]]
 
== 外部リンク ==
* [http://www.kagakueizo.org/create/visualfolklore/501/ 大(おお)御食(みけ)神社 お練り行列 駒ヶ根市 大御食神社] - [[科学映像館]]
* {{国立国会図書館のデジタル化資料|965702/521|上伊那郡史(大御食神社のページ)}}
* [https://www.library.pref.nagano.jp/licsxp-opac/shinshubooksearch.html?q=大御食神社 信州ブックサーチ「大御食神社」] - [[県立長野図書館]]
 
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{{デフォルトソート:おおみけしんしや}}
[[Category:長野県の神社]]