太田公子
日本のアナウンサー
略歴
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●1970年4月1日、福島中央テレビにアナウンサーとして入社[1]。
●1972年1月25日、福島中央テレビを退社[1]。
●1972年、TVK初代アナウンサー[3]。
●1976年、フリーアナウンサー[3]。
●2005年、川崎市議会議員補欠選挙の際に民主党公認で出馬するも自民党の山内和彦に敗れ落選。
●2007年、第16回統一地方選挙の際に民主党公認で川崎市議会議員に初当選。
●2011年、第17回統一地方選挙の際に民主党公認で川崎市議会議員に落選。
人物
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高校での現代国語の授業での朗読でのセンスを買われ担当教師からアナウンサーへの道を勧められる。短大に通いながらアナウンスアカデミーにて勉強の末、[4]1970年4月1日、福島中央テレビにアナウンサーとして入社、放送界入り。1972年、テレビ神奈川初代アナウンサーを経てフリーアナウンサーとして活動。2007年、第16回統一地方選挙民主党公認で川崎市議会議員に当選し1期を務める。
川崎市議会議員を引退後は、福祉ジャーナリストとして地域の福祉環境を整えたくて、宮前区社会福祉協議会副会長、まちづくり協議会理事、宮前区賀詞交換会、宮前区民祭、防災フェアなどの地域イベント司会、ローカル紙への子育て奮闘記のコラム連載等の執筆活動を行う。[4]
出演番組
編集福島中央テレビ
編集- 奥さま!11時です(1971年度)
テレビ神奈川
編集- TVKお天気情報
- 放送OP・ED(1972年 - 1982年)ナレーション
フリー
編集脚注
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(一)^ abcFCT 写真で綴る30年、110頁。
(二)^ ﹁いまを話すVol.1 川崎市長 高橋 清さん︽上︾ インタビュアー フリーアナ 太田公子さん﹂︵PDF︶﹃Stage Up﹄第4号、川崎市生涯学習振興事業団、1991年9月1日、7頁、2018年11月24日閲覧。
(三)^ abc“斎藤友子 音世界” (PDF). シュヴェスター. お知らせ. 斎藤友子ピアノ教室 (2016年12月2日). 2018年11月24日閲覧。
(四)^ ab“太田公子︵きみこ︶さん”. タウンニュース宮前区版. (2015年1月23日) 2015年7月12日閲覧。
参考文献
編集- 『FCT 写真で綴る30年』福島中央テレビ、2000年4月1日。
外部リンク
編集- 民主党神奈川第18区 - ウェイバックマシン(2009年1月10日アーカイブ分)
- 太田公子 - ウェイバックマシン(2008年4月10日アーカイブ分)