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*{{Pathnav|令制国一覧|[[北海道 (令制)]]|後志国}}
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[[画像:Hokkaido Suttsu-gun.png|thumb|265px|北海道寿都郡の位置(1.寿都町 2.黒松内町 緑:後に他郡から編入された区域)]]
'''寿都郡'''(すっつぐん)は、[[北海道]]([[後志国]])[[後志総合振興局]]の[[郡]]。
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以下の2町を含む。
* [[寿都町]](すっつちょう)
* [[黒松内町]](くろまつないちょう)
== 郡域 ==
[[1879年]]([[明治]]12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、以下の区域にあたる。
* 寿都町の一部(樽岸町以西)<ref name="sonota">その他の区域は[[1955年]]に[[歌棄郡]]、[[磯谷郡]]から編入。</ref>
* 黒松内町の一部(旭野、黒松内、中里、豊幌、大成、東川以南)<ref name="sonota" />
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[[江戸時代]]、寿都郡域は[[和人地]]となる。[[松前藩]]によってスツツ[[場所]]が開かれ、[[寛永]]4年4月には[[寿都神社]]が創建されている。
陸上交通は、沿岸部に[[渡島国]]から[[天塩国]][[増毛郡]]へ至る道︵[[国道229号]]の前身︶が通じ、また[[胆振国]][[山越郡]]からの道はもともと[[寛政]]・[[文化 (元号)|文化]]年間よりもあとに黒松内在住の利右衛門が[[木賃宿]]と[[渡し船|渡船]]を営んでいたが、安政年間に黒松内越︵[[北海道道9号寿都黒松内線|道道寿都黒松内線]]の前身︶が開削され、これは黒松内を通り追分で分岐しそれぞれ寿都と[[歌棄郡]]に通じていた。黒松内越は歌棄場所請負人桝屋栄五郎の父・定右衛門が黒松内以北を、黒松内以南は箱館弁天町の福治郞、千代田の才太郎の2人が工事を請け負っている。海上交通は[[北前船]]の航路も開かれていた。 [[江戸時代#江戸時代後期|江戸時代後期]]の[[文化 (元号)|文化]]4年には、寿都郡域は[[天領]]とされた。[[文政]]4年には松前藩の元に戻されたものの、[[安政]]2年再び天領となり、[[津軽藩]]が寿都に出張[[陣屋]]を築き警固にあたった。安政6年の6藩分領時から戊辰戦争までは津軽藩領となっていた。[[戊辰戦争]]︵[[箱館戦争]]︶終結直後の[[1869年]]、[[大宝律令]]の[[国郡里制]]を踏襲して寿都郡が置かれた。郡の成立時、東に隣接する歌棄郡とは[[朱太川]]で境界を成し、緑橋より上流の黒松内地区は当初[[胆振国]][[虻田郡]]に属していた。 30行目:
* [[明治]]2年[[8月15日 (旧暦)|8月15日]]︵[[1869年]][[9月20日]]︶ - [[北海道 (令制)|北海道]]で[[国郡里制]]が施行され、'''[[後志国]]'''および'''寿都郡'''が設置される。'''[[開拓使]]'''が管轄。 * 明治5年 - [[胆振国]][[虻田郡]]黒松内村の所属郡が本郡に変更<ref>[http://www.kuromatsunai.com/kuro_immig/img_youran/history.pdf]</ref>。
** [[4月9日 (旧暦)|4月9日]]([[1872年]][[5月15日]]) - 全国一律に[[戸長]]・副戸長を設置([[大区小区制]])。
** [[10月10日 (旧暦)|10月10日]](1872年[[11月10日]]) - 4月に設置された区を大区と改称し、その下に旧来の町村をいくつかまとめて小区を設置(大区小区制)。
* 明治9年([[1876年]])9月 - 従来開拓使において随意定めた大小区画を廃し、新たに全道を30の大区に分ち、大区の下に166の小区を設けた。
{{Hidden
| ta1 = left; color:green;
| bg1 = #ccccff;
| header = 明治9年の大区小区
| content =
:* 第7大区
:** 4小区 : 湯別村、樽岸村、六条村、岩崎村
:** 5小区 : 中歌村、矢追村、政泊村
:** 6小区 : 黒松内村
}}
* 明治12年([[1879年]])[[7月23日]] - [[郡区町村編制法]]の北海道での施行により、行政区画としての'''寿都郡'''が発足。
* 明治13年([[1880年]])1月 - 寿都郡外三郡役所(寿都[[磯谷郡|磯谷]][[歌棄郡|歌棄]][[島牧郡|島牧]]郡役所)の管轄となる。
* 明治14年︵[[1881年]]︶- 矢追村と六条村が町制施行し、中歌村が大磯町、渡島町、新栄町に、岩崎村が岩崎町、開進町にそれぞれ分かれる。 * 明治15年([[1882年]])[[2月8日]] - [[
* 明治19年([[1886年]])
** [[1月26日]] - [[
** 12月 - 函館支庁が廃止。
* 明治30年([[1897年]])[[11月5日]] - 郡役所が廃止され、'''[[寿都支庁]]'''の管轄となる。
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== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
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{{北海道の市と郡}}
{{後志支庁の自治体}}
{{DEFAULTSORT:すつつくん}}
[[Category:後志国|郡すつつ]]▼
[[Category:北海道の郡]]
[[Category:後志管内]]
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