小泉節子
日本の女性、作家・小泉八雲の妻 (1868-1932)
小泉 節子(こいずみせつこ1868年(慶応4年)2月4日[1] -1932年(昭和7年)2月18日[2])は小泉八雲の妻。日本に関する八雲の著述を支えた。
概要
生い立ちから八雲との結婚まで
結婚生活
1891年11月に八雲の転勤で夫婦は熊本に転居。節子は八雲との意思疎通のために英語を勉強するが結局ものにならなかった[12]。しかし八雲が語る片言の日本語の﹁ヘルンさん言葉﹂を節子は正確に理解し、夫婦はお互いの意思疎通ができた[13]。熊本では長男の一雄が生まれた。1894年夫婦は神戸に引っ越した。八雲が熊本時代に執筆した知られぬ日本の面影が好評となったのを受けて、著述に専念するようになった[14]。これ以後の八雲の主要作品に節子が素材を提供している[15]。1896年夫婦は東京へ転居する。東京でも節子は八雲に作品の素材を探して提供した。伝承だけでなく当時出版されていた書物を節子が読んで、その内容を﹁ヘルンさん言葉﹂で八雲に伝え、彼の執筆を支えた[16]。夫婦は東京で二男一女をもうけるが、1904年9月26日に八雲が亡くなった。
脚注
参考文献
- 「八雲の妻 小泉セツの生涯」 長谷川洋二著 今井書店 2014年
- 「全訳小泉八雲全集第12巻」 小泉節子・小泉一雄 株式会社恒文社 1967年 p567-p580 「祖母のこと、父のこと」