尾高朝雄

日本の法学者 (1899-1956)

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  1899128 - 19565153
1956年

来歴




1916 () 西

1927寿[1]

192811133

[2]

[3][4]

1947

19527

1956

年譜

  • 1919年 - 旧制第一高等学校一部甲類卒業、同年、東京帝国大学入学
  • 1923年 - 東京帝国大学法学部卒業、同年、京都帝国大学入学
  • 1926年 - 京都帝国大学文学部卒業、同年大学院に進学
  • 1928年 - 京都帝国大学大学院を退学し、京城帝国大学法文学部助教授に就任する
  • 1930年 - 京城帝国大学法文学部教授
  • 1944年 - 東京帝国大学法学部教授
  • 1956年 - 逝去

家系

著作


[5][6]

1936

1942

1932

 195619472012

1949

19491953

1949

19502013

19522006

19561971

 2014

   2017

 2018 ISBN 4906917763

2019

20196 

論文

門下生

  • 井上茂…お茶の水女子大学教授
  • 小林直樹…東京大学教授
  • 碧海純一…東京大学教授
  • 阿南成一…大阪市立大学教授
  • 矢崎光圀…大阪大学教授
  • 松尾敬一…神戸大学教授
  • 松下輝雄…神戸大学教授
  • 平野秩夫…名古屋大学教授

脚注

  1. ^ 高橋彦博「東京社会科学研究所の社会実験」法政大学
  2. ^ 小林直樹『尾高朝雄先生と若き学徒たち』ジュリスト960号2p
  3. ^ 清宮四郎『尾高朝潮教授の死を悼む』ジュリスト324号12p
  4. ^ 鵜飼信成編『ハンス・ケルゼン』159p
  5. ^ 石川健治『統治のヒストリーク』26p奥平編「危機の憲法学」収録
  6. ^ 清宮四郎『尾高朝潮教授の死を悼む』ジュリスト324号12p