「山田吉利」の版間の差分
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[[1869年]]、吉利は家を長男の浅雄︵[[山田浅右衛門吉豊]]︶に譲り、隠居して麹町平河町︵現、[[千代田区]]︶二丁目の本宅から同八丁目清水谷上の隠宅へ移った。歴代の山田朝右衛門家は、死刑執行人としての家業を子に継がせる事を嫌悪し、弟子の中から養子をとっていたのだが、実子に家を継がせたのは唯一の例である。 [[1870年]]4月15日、政府は山田家家伝の製薬の「山田丸」(浅右衛門丸・人丹などとも称する)など、人間の肝臓や脳
[[1872年]]の[[壬申戸籍]]編成に際して吉利は隠居のままに一家を新たに興し、販売禁止の製薬﹁山田丸﹂のみを吉利の家へと分け、山田家本家から﹁山田丸﹂を分離させた。なお、麹町区の﹁除籍簿﹂︵58号︶には﹁平民﹂とある。 |