日本劇場
沿革
●1933年12月24日 - 小林一三・根津嘉一郎・大川平三郎などの出資により設立された劇場。客席2614席で、立見席もあった。のちに改装して客席数を2068席にし、ゆとりのある客席に変わる。﹁4000人劇場﹂といわれていたが、詳細は不明である。
●1935年 - 東宝に吸収合併。
●第二次世界大戦 - 劇場内で風船爆弾が製作される。
●1981年2月15日 - 施設の老朽化と東京都の再開発事業により閉館。この日に合わせ、﹁サヨナラ日劇フェスティバル﹂が数日間開催される。閉館時の劇場は、耐用年数がギリギリで老朽化が激しく、劇場内の天井をつるしていたピアノ線が切れる寸前であった。
●1984年10月6日 - 有楽町センタービルオープン。
︵これ以後は有楽町センタービルを参照︶
概要
もともと高級映画劇場として開場。当初は日本映画劇場株式会社が経営していたが、経営不振となり日活が買収する。しかし、日活も経営に失敗。東宝の手に渡り、漸く再建を果たす。
東宝経営後は基幹劇場の一つとして機能し、終戦後も占領軍へは東京宝塚劇場を提供することで接収を免れる。
戦後は東宝映画と実演の二本立て興行を行い、特に実演は日劇ダンシングチーム︵NDT︶のレビューと人気歌手のショーが注目を浴びた。とりわけ﹁日劇の舞台に出る事﹂が人気芸能人のステータスとなっていた時期があった。昭和30年代はロカビリー旋風に乗り、﹁日劇ウェスタンカーニバル﹂は大盛況となった。
1981年、娯楽の殿堂も老朽化には勝てず、閉鎖。劇場としての歴史は現在の日劇PLEXに繋がっている。
関連事項
- 東宝
- 映画館 日劇PLEX
- 日劇ミュージックホール
- NHK紅白歌合戦