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{{ActorActress
| 芸名 = 松井 須磨子
| 画像ファイル = 松井須磨子 モンナ・ヴァンナ.tiff
| 画像サイズ = 200px
| 画像コメント = 1913年初演『モンナ・ヴァンナ』より<br>モンナ・ヴァンナ役
| 本名 = 小林 正子<br>こばやし まさこ
| 出生地 = [[長野県]][[埴科郡]][[清野村 (長野県)|清野村]]<br>(現・[[長野市]][[松代町 (長野県)|松代町]]清野)
| 国籍 = {{JPN}}
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| 活動内容 =
| 配偶者 =
| 主な作品 = '''舞台'''<br />『[[ハムレット]]』([[オフィーリア|オフヰリア]])<br />『[[人形の家]]』(ノラ)<br />『[[復活 (小説)|復活]]』(カチューシャ)<br />『[[サロメ (戯曲)|サロメ]]』(サロメ)<br />『[[カルメン (オペラ)|カルメン]]』(カルメン)<br />'''歌謡'''<br />『[[カチューシャの唄]]』<br />『[[ゴンドラの唄]]』<br />『今度生まれたら』
| 受賞 = <!--アカデミー賞、グラミー賞などの受賞履歴-->
| その他 =
}}
{{Portal|舞台芸術}}
'''松井 須磨子'''︵まつい すまこ、[[1886年]] 二度の離婚、[[美容整形]]とその後遺症に苦しめられながらの名演、[[島村抱月]]とのスキャンダル、日本初の歌う女優としての[[ヒット曲]]と[[発禁]]騒動、そして抱月死後の後追い[[自殺]]と、その波乱の短い生涯は多くの[[小説]]や[[映画]]、[[テレビドラマ]]となっている。 36行目:
[[長野県]][[埴科郡]][[清野村 (長野県)|清野村]]︵現・[[長野市]][[松代町 (長野県)|松代町]]清野︶に[[士族]]小林藤太︵旧[[松代藩]]士︶の五女︵九人兄妹の末っ子︶、小林正子として生まれる。数え年6歳の時、上田町の長谷川家の養女となり、[[1900年]]に上田の尋常小学校を卒業する。しかし養父が亡くなったため実家に戻る。実家に戻った年、実父も亡くなった。数え年17歳の春に麻布飯倉の菓子屋﹁[[風月堂]]﹂に嫁いでいた姉を頼って上京した後、戸板裁縫学校︵現・[[戸板女子短期大学]]︶に入学する<ref>﹃人気役者の戸籍調べ﹄高沢初風、文星社、1919年、P165</ref>。 1903年、親戚の世話で[[千葉県]][[木更津]]の旅館兼小料理屋・鳥飼万蔵と最初の結婚をするが<ref name=seicho>﹃明治百年100大事件 下﹄松本清張、三一書房、1968年、p18-22</ref>、病気がちを理由に舅に疎まれ<ref>[ === 二度目の離婚、日本初の「歌う女優」と発禁騒動 ===
1908年、同郷の埴科坂城町出身の前沢誠助と結婚する。[[筑波大学|東京高等師範学校]]地歴科を卒業した前沢は、その年の11月に﹁東京俳優養成所﹂の講師になり、日本史を担当した。 1909年、[[坪内逍遥]]の[[文芸協会]]演劇研究所第1期生となる。演劇研究所の女優募集は、インテリ女性を対象にした当時としては画期的なもので、小学校しか出ておらずさしたる美貌の持ち主でもなかった須磨子には難関であったが、その熱心さと体格と声の良さから別科生として採用され、2年後に卒業した<ref name=seicho/>。家事がおろそかになること 1911年5月、文芸協会の第一回公演﹃[[ハムレット]]﹄でオフェリア役に抜擢され、[[帝劇]]デビューを果たして話題を集めた<ref name=seicho/>。同年9月、﹃[[人形の家]]﹄の主人公ノラを演じて認められたが、同作の訳者で演技指導をしていた[[島村抱月]]との恋愛が問題となり、文芸協会を追われ、1913年、 1915年、島村抱月とともに[[ロシア帝国]]の[[ウラジオストク]]を訪れ、ロシアの劇団との合同講演をプーシキン劇場で行い大好評を博した。また後に流行歌となる﹁[[ゴンドラの唄]]﹂︵[[吉井勇]]作詞・中山晋平作曲︶ ▲1911年、﹃[[人形の家]]﹄の主人公ノラを演じて認められ、1913年、島村抱月と[[芸術座 (劇団)|芸術座]]を旗揚げし、﹃[[復活 (小説)|復活]]﹄︵[[レフ・トルストイ|トルストイ]]原作、抱月訳︶の[[カチューシャ]]役が大当たりし、人気女優となった。須磨子が歌った主題歌﹁[[カチューシャの唄]]︵復活唱歌︶﹂︵抱月作詞・[[中山晋平]]作曲︶のレコードも当時2万枚以上を売り上げる<ref>[[南博]]︵編︶﹃日本モダニズムの研究 思想・生活・文化﹄ブレーン出版、1982年、257頁。ISBN 4-89242-108-1。</ref>大ヒットとなった。須磨子は日本初の'''歌う女優'''となった。 1917年、﹃[[生ける屍]]﹄の主題歌﹁さすらいの唄﹂︵[[北原白秋]]作詞・中山晋平作曲︶が大ヒット。レコードは5〜6か月間に27万枚を売り上げた<ref>[[南博 (社会心理学者)|南博]]︵編︶﹃日本モダニズムの研究 思想・生活・文化﹄ブレーン出版、1982年、258頁。ISBN 4-89242-108-1。</ref>。▼ ▲1915年、島村抱月ともに[[ロシア帝国]]の[[ウラジオストク]]を訪れ、ロシアの劇団との合同講演をプーシキン劇場で行い大好評を博した。また後に流行歌となる﹁[[ゴンドラの唄]]﹂︵[[吉井勇]]作詞・中山晋平作曲︶も歌唱した<ref>[https://www.city.kami.lg.jp/soshiki/64/gondola.html 吉井勇作詞﹁ゴンドラの唄﹂] 吉井勇記念館、香美市公式ホームページ、2012年12月25日更新。</ref>。 1917年に発売したレコード﹁今度生まれたら﹂︵ ▲1917年、﹃[[生ける屍]]﹄の主題歌﹁さすらいの唄﹂︵[[北原白秋]]作詞・中山晋平作曲︶が大ヒット。レコードは5〜6か月間に27万枚を売り上げた<ref>[[南博]]︵編︶﹃日本モダニズムの研究 思想・生活・文化﹄ブレーン出版、1982年、258頁。ISBN 4-89242-108-1。</ref>。 他にも、アメリカ曲を原曲とする「ばらの娘」や、『沈鐘』の劇中歌「森の娘」などのヒット曲を出す<ref name="南葉二" />。
▲1917年に発売したレコード「今度生まれたら」([[北原白秋]]作詞)では、歌詞の中にある「かわい女子(おなご)と寝て暮らそ」の部分が当時の[[文部省]]により[[猥褻]]扱いされ、日本における'''[[発禁]]レコード'''第1号となった。
=== 自殺 ===
1918年11月5日、[[スペインかぜ|スペイン風邪]]で抱月が病死すると、2ヶ月後の1919年1月5日、[[東京市]][[牛込区]][[横寺町]]︵現・[[東京都]][[新宿区]]横寺町︶にあった芸術倶楽部の道具部屋において[[自殺]]︵[[縊死]]︶した<ref>[{{NDLDC|966251/24}} ﹃松井須磨子とその縊死せし場所﹃歴史写真. 大正8年2月號﹄]︵国立国会図書館デジタルコレクション︶</ref><ref>[[服部敏良]]﹃事典有名人の死亡診断 近代編﹄︵吉川弘文館、2010年︶279頁</ref>。 抱月と不倫関係にあった須磨子は、遺書で抱月の墓 == 主な出演記録 ==
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* 11月 -『緑の朝』([[ダヌンチオ]]作、[[小山内薫]]訳)狂女イサベルラ役。第11回合同公演、明治座。
大正8年(1919年)
* 1月 -﹃肉店﹄︵中村吉蔵作︶お吉役‥﹃[[カルメン (オペラ)|カルメン]]﹄︵[[メリメ]]原作、川村花菱脚色︶カルメン役。第12回公演、有楽座。 == 著作 ==
* 『復活劇の梗概』「[[番紅花_(雑誌)|番紅花]]」1号 1914年(大正3年)3月。 ー 「復活」の経緯について自ら記している。
** 雑誌「番紅花」は、松井の「サロメ」の楽屋に主宰となる[[富本一枝|尾竹一枝]]ら同人が集う中で発刊が決められた。
* 『最近の不平』「番紅花」4号 1914年(大正3年)6月。 ー 「牡丹刷毛」にも収録。
* ﹃[{{NDLDC|914638}} 牡丹刷毛]﹄ [[新潮社]]、1914年︵大正3年︶7月。 {{全国書誌番号|42009104}} {{NDLJP|914638}} * 『忘れ難きことども』「演芸画報」1918年(大正7年)年12月。{{青空文庫|001472|50761|新字新仮名|忘れ難きことども}} ー 島村抱月への弔文
== 松井須磨子を扱った作品 ==
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=== 映画 ===
*『恋の津満子』 (1919年、[[日活向島撮影所|日活向島]]、[[小口忠]]監督)[[女形]]の[[東猛夫]]が須磨子役を演じている。
*『[[女優須磨子の恋]]』(1947年、[[松竹]])[[溝口健二]]監督、[[田中絹代]]主演・[[山村聡]](島村抱月)ほか。
*『[[女優 (1947年の映画)|女優]]』(1947年、東宝)[[衣笠貞之助]]監督、[[山田五十鈴]]主演・[[土方与志]](島村抱月)ほか。
*﹃[[華の乱]]﹄(1988年、東映、[[深作欣二]]監督︶は[[与謝野晶子]]を描いたものだが、舞台公演﹁復活﹂上演シーンがある。[[松坂慶子]]が須磨子︵カチューシャ︶役、[[石橋蓮司]]が共演者[[沢田正二郎]]役、[[蟹江敬三]]が脚本家の[[島村抱月]]役で出演している。 === ドラマ ===
*﹃[[風雪 (テレビドラマ)|風雪]]﹄第63話﹁女優須磨子﹂︵1965年7月1日、[[日本放送協会|NHK]]︶[[和田勉]]演出、[[原知佐子]]主演・[[下元勉]]︵島村抱月︶ほか。 *『[[春の波涛|春の波濤]]』(1985年・[[大河ドラマ]]、NHK)は[[川上貞奴]]を描いたものだが、[[名取裕子]]が須磨子役で出演している。
*『殉愛』(1988年・[[愛の劇場]]、[[TBSテレビ|TBS]]・[[松竹]])[[栗原小巻]]が松井須磨子役で主演、[[伊藤孝雄]]が島村抱月役で出演している。
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*[[島村抱月]]
*[[坪内逍遥]]
* [[自殺・自決・自害した日本の著名人物一覧]]
== 外部リンク ==
* {{青空文庫著作者|1472|松井 須磨子}}
* [
* [https://www.nakamuraya.co.jp/pavilion/founder/people/p_008.html 松井須磨子│創業者ゆかりの人々│新宿中村屋]
* [
{{Normdaten}}
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[[Category:戸板女子短期大学出身の人物]]
[[Category:長野県出身の人物]]
[[Category:自殺した日本の人物]]
[[Category:1886年生]]
[[Category:1919年没]]
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