矢土勝之
漢詩人、官僚、政治家
経歴
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伊勢国飯野郡阿波曽村︵三重県[2]飯野郡射和村大字阿波曽[6]、飯南郡射和村を経て現松阪市阿波曽町︶[注釈2]で生まれる。土井聱牙に師事し漢学を修めた[1][2][3][5]。
太政官に出仕[2][3][5]。東京で岩倉具視、伊藤博文の知遇を得た[1]。1898年︵明治31年︶3月、第5回衆議院議員総選挙︵三重県第4区、自由党︶で当選した[1][7]。1902年︵明治35年︶8月の第7回総選挙︵三重県郡部、立憲政友会︶では落選し[8]、衆議院議員に1期在任した[2][3][5]。
森春濤の高弟で[4]、その子森槐南らと交友した[1]。伊藤博文没後は故郷に隠棲し[4][6]、1920年11月、尿毒症併発により山田赤十字病院で死去した[4]。
著作
編集- 過元旻 編、矢土勝之 点『二十二史言行略 第3・4冊』鳳文館、1885年。