石川雅規
日本のプロ野球選手 (1980-)
石川 雅規︵いしかわ まさのり、1980年1月22日 - ︶は、東京ヤクルトスワローズ所属のプロ野球選手である。公称169cmの小柄な体格から、﹁小さな巨人﹂、﹁小さな大エース﹂といったキャッチフレーズが用いられている。
東京ヤクルトスワローズ #19 | |
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基本情報 | |
出身地 | 秋田県秋田市 |
生年月日 | 1980年1月11日(44歳) |
身長 体重 |
169 cm 65 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2001年 自由獲得枠 |
初出場 | 2002年4月4日 |
年俸 | 9,500万円(推定) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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来歴・人物
アマチュア時代
1997年、秋田商業ではエースとして活躍し、3年生の時に第79回全国高等学校野球選手権大会に出場。1回戦では島根県代表浜田高校と対戦し、和田毅︵現福岡ソフトバンクホークス︶との投げ合いを制して9回自責点2の完投勝利を挙げている。2回戦でも浦添商業と対戦し8回を1人で投げぬいたが、惜しくも敗戦した。
その後1998年に青山学院大学に進学し、スクリューボールを習得してエースとして大車輪の活躍を見せる。大学2年の時には、対創価大学戦で延長18回を1人で投げぬいている。大学通算51試合登板23勝8敗、防御率1.63、284奪三振。最高殊勲選手1回︵2年生春︶、最優秀投手3回︵2年生春・秋、4年生春︶、ベストナイン3回︵2年生春・秋、4年生春︶を受賞している。大学の同期にはスワローズでも同僚となった志田宗大がいた。
2000年大学3年の時には日本代表にも選ばれ、シドニーオリンピックにも出場。予選ではプロ入り後に再会する古田敦也ともバッテリーを組んだ。翌2001年のドラフト会議にて、自由獲得枠でヤクルトスワローズに指名を受け、入団した。
プロ入り後
即戦力を期待され、一軍キャンプスタート。オープン戦でも好投を見せて、開幕ローテーションの座をつかんだ。先発ローテーションの関係で開幕一軍登録こそ逃したものの、開幕5試合目の4月4日の対広島東洋カープ戦で、プロ入り初先発初登板。6回2/3を投げて無失点の好投を見せて、初登板初勝利を達成した。新人ながらその後も一軍ローテーションをただ一人守り続け、10月5日には10勝に到達。最終的には横浜ベイスターズの吉見祐治[1]を抑える12勝をマークし、2002年セリーグ新人王を受賞した。秋田県出身のプロ野球選手としては、セ・パ両リーグ通じて初の最優秀新人賞受賞であった。
2003年
﹁2年目のジンクス﹂が囁かれる中、開幕2戦目に先発し、以降ローテーションを守り抜いた。7月13日には中4日ながら故郷秋田で登板し、7勝目をマークして故郷に錦を飾った。最終的には12勝3完投と引き続き活躍し、優秀JCB・MEP賞に輝いている。
2004年
2年連続ただ1人ローテーションを守り続けた疲労もあって、キャンプ中に左肘痛を発症。投げ込み不足となってしまった。4月半ばには一軍に昇格し、何とかシーズンに間に合わせて11勝をマークしたが、結果として長いイニングでもたない場面も見られ、防御率も4点台に悪化してしまった。
2005年
オフに左足を疲労骨折。初の開幕投手を務め、7回1失点で勝利を収めるなど、開幕には間に合わせて10勝をマークしたが、典型的な走り込み不足で自慢の制球が定まらないことも多く、完投数も4年目にして初めて0に終わった。6月にはセ・パ交流戦の休養日の為登板試合が無くなったこともあって、短期間ながら自身プロ入り後初のシーズン中の二軍落ちを経験し、ミニキャンプをはったこともあった。
2006年
前年に引き続いて開幕投手を務め、6回を自責点2で初勝利。これで開幕試合は2戦2勝となった。シーズンでは打者1巡目で球筋を見極められ、2巡目で打たれる事も多く、前年に続き完投数は0であった。しかし他のローテーション投手が安定しない中、1年を通して一軍に定着して10勝をマーク。新人以来5年連続の二桁勝利を達成した。その安定感が評価される形で、オールスターにも監督推薦で初出場。1試合目の3番手として登板して、2回を1奪三振の無失点に抑えている。
2007年
序盤から不調が続き、5月と6月に二度二軍降格を経験。最終的に4勝という成績に終わった。しかしそのうち3勝が自身初の完封となった9月13日︵対読売ジャイアンツ戦︶をはじめとした、2完封含む3完投[2]で先発登板数自己最低の中で完投数は自己最多タイと、復調を見せてシーズンを終えている。
2008年
セス・グライシンガー、石井一久、藤井秀悟の3人が移籍したことと、実績を考慮され投手キャプテンに指名された。自身3度目の開幕投手を務め、6回3/2を2失点で勝利投手。開幕戦の成績は3戦3勝となった。その後も好調を維持し、4月だけで前年を上回る5勝をマークしている。
エピソード
プレイ関連
●右打者の内角に食い込むカットボールや外角に沈むシンカー、シュート、見せ球のカーブなど、多彩な変化球で打たせて取るピッチングが持ち味。基本的に直球の球速は平均で130km/h台半ばと、スピードが出ないため、変化球のキレとコントロールがピッチングの身上である。現在は、ソフトバンクの和田毅やロッテの渡辺俊介らと並び、日本プロ野球界を代表する軟投派投手の一人である。
●被打率が高く、毎年投球回以上の被安打を記録しているが、低い与四球率で上手くカバーしている。
●打撃のセンスに優れ、2003年には1試合複数安打を3度記録。2007年までに1試合3打点も2度達成している。本人も打撃練習は好んでおり、本塁打を打つことを目標の一つとしてあげている。
●脚力もあり、2006年10月13日には選手兼任監督の古田敦也の代走で出場している。
●石川の入団以来、新人から5年連続の2桁勝利の記録は達成している選手は、プロ野球史上3人しかおらず、西崎幸広︵元日本ハム-西武︶が記録して以来の記録達成者となった。その後2007年に和田毅が達成し、4人目の達成者となっている。
●大学時代から相当数の登板をこなしており、プロ入り後も2006年までは怪我がちの投手陣の中でローテーションを守り続けていた。
ジンクス
●かつては援護点を多くもらっていたことで有名で、同僚の藤井秀悟や川島亮が1失点に抑えて負けることも多かったのに対し、石川は6、7失点でも勝利投手になった事もある。2007年は川島並に落ち着いてしまい、藤井の方が援護を受けていた。
体格
●スポーツニュース番組﹁すぽると!﹂内のインタビューで、身長に関して﹁公称では169cmになってますけど、ホントは167.数cmくらいなんですけどね﹂と、笑いまじりに明かした。しかし通常身長と同じ程度と言われる、腕を広げた際の長さが180cmあり、遠心力を生かして130km/h台の速球を投げることができる。
●かなりの童顔である。2005年オフに同僚の川島亮、米野智人、青木宣親と自主トレをし、その風貌から青木に﹁カツオ﹂と名付けられた。また、シドニー五輪で登板した時には、相手チームキューバの選手が、低身長・童顔の石川がマウンドに上がるのを見て、吹き出したという逸話もある。
●球団主催のイベントの質問コーナーで、ファンの子供に混じって座っていたところを古田に﹁そこの小さい子﹂と当てられてしまった。その際は﹁どうしたらプロになれますか?﹂という問いを返して笑いを取っている。
●キャンプ地では修学旅行生に間違われることが多いという。一般客から﹁どこから来たの?﹂と聞かれ、反射的に﹁秋田です﹂と答えてしまったこともある。プライベートでもパチンコ屋において、補導を受けそうになったり、つまみ出されそうになったこともあるという。
●2006年頃にはウエートオーバーに悩まされていたようで、﹁靴下を自分自身で履けなかったのは情けなかった﹂と本人もインタビューで明かしている。
交流・家族
●グラウンド外においては、学校は違うが同学年同士の顔見知りだった藤田太陽、仁部智、中学時代およびスワローズの先輩である鎌田祐哉ら、秋田出身の球界人と交流を続けている。
●石井弘寿とはいたずらを仕掛けあう仲で、靴の中にカレーパンを入れられたことがある。
●2003年に結婚した夫人は青山学院大学の同期で、客室乗務員勤務歴をもつ。二人の間には翌2004年末に生まれた男児がひとりいる。
趣味
●2004年オフの﹁ジャンクSPORTS﹂に出演した際に、打たれた日はリベンジと称して﹁実況パワフルプロ野球﹂を取り出し、自分を先発させ、当日の対戦相手を完封するのが日課だと語った。
タイトル・表彰
- 新人王(2002年)
- スピードアップ賞:1回(2002年)
- 優秀JCB・MEP賞:1回(2003年)
通算成績(2007年シーズン終了時)
年度 | 登 板 |
完 投 |
完 了 |
完 封 勝 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
H P |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
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2002年 | 29 | 2 | 0 | 0 | 2 | 12 | 9 | 0 | - | - | .571 | 735 | 178 1/3 | 183 | 20 | 29 | 2 | 104 | 76 | 66 | 3.33 |
2003年 | 30 | 3 | 0 | 0 | 2 | 12 | 11 | 0 | - | - | .522 | 793 | 190 | 201 | 21 | 33 | 7 | 97 | 88 | 80 | 3.79 |
2004年 | 27 | 1 | 0 | 0 | 0 | 11 | 11 | 0 | - | - | .500 | 708 | 163 1/3 | 200 | 21 | 22 | 5 | 72 | 90 | 79 | 4.35 |
2005年 | 26 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 8 | 0 | 0 | 0 | .556 | 637 | 149 2/3 | 180 | 18 | 24 | 4 | 105 | 82 | 81 | 4.87 |
2006年 | 29 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 10 | 0 | 0 | 0 | .500 | 648 | 151 | 191 | 12 | 17 | 3 | 81 | 82 | 76 | 4.53 |
2007年 | 26 | 3 | 5 | 2 | 2 | 4 | 7 | 0 | 2 | 3 | .364 | 405 | 96 2/3 | 104 | 15 | 16 | 5 | 50 | 51 | 47 | 4.38 |
計 | 167 | 9 | 5 | 2 | 6 | 59 | 56 | 0 | 2 | 3 | .513 | 3926 | 929 | 1059 | 107 | 141 | 26 | 509 | 469 | 429 | 4.16 |
関連項目
●秋田県出身の人物一覧
●若松勉 - プロ入り時の監督。石川を先発で起用した。
●安田猛 - チームのOBで、軟投派の左腕であることから引き合いに出されることも多い。
●古田敦也 - アマ時代からバッテリーを組み、監督としても2年間接した。
●鎌田祐哉 - 同郷のチームメイト。互いのコメントが新聞記事になることもしばしば見られる。
脚注
(一)^ 吉見はこの年11勝を挙げている。ただし吉見の勝ち星は勝ち数を稼がせるための中継ぎ登板のものが含まれるのに対し、石川は全て先発で12勝を挙げている。
(二)^ 完封を逃した対西武ライオンズ戦も、9回2死からアレックス・カブレラにホームランを打たれ、惜しくも完封を逃したものであった。
外部リンク
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