キューバ
- キューバ共和国
- República de Cuba
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(国旗) (国章) - 国の標語:¡Patria o Muerte, Venceremos!
(スペイン語:祖国か死か、我々は打ち勝つ!) - 国歌:La Bayamesa(スペイン語)
バヤモの歌 -
公用語 スペイン語(キューバスペイン語) 首都 ハバナ 最大の都市 ハバナ - 政府
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共産党第一書記 ミゲル・ディアス=カネル 大統領 ミゲル・ディアス=カネル 首相 マヌエル・マレロ 副大統領 サルバドール・バルデス・メサ 人民権力全国会議議長 エステバン・ラソ・エルナンデス - 面積
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総計 110,860km2(103位) 水面積率 極僅か - 人口
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総計(2022年) 1125.6万[1]人(83位) 人口密度 xxx人/km2 - GDP(自国通貨表示)
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合計(xxxx年) xxx,xxxキューバ・ペソ - GDP(MER)
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合計(2019年) 1031億3100[2]ドル(62位) 1人あたり xxxドル - GDP(PPP)
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合計(xxxx年) xxx,xxxドル(???位) 1人あたり xxxドル
独立
- 日付アメリカ軍軍政より
1902年5月20日通貨 キューバ・ペソ(CUP) 時間帯 UTC-5 (DST:-4) ISO 3166-1 CU / CUB ccTLD .cu 国際電話番号 53
概要 編集
国名 編集
正式名称はスペイン語でRepública de Cuba。通称歴史 編集
ヨーロッパ人の到来する以前のキューバには、南アメリカのギアナ地方から海を渡ってきたアラワク族系のタイノ族や、シボネイ族、カリブ族と呼ばれる先住民が暮らしていた。
スペイン植民地時代 編集
独立戦争(1868年 - 1902年) 編集
旧共和政時代︵1902年 - 1959年︶ 編集
1898年に締結されたパリ条約によってスペインの敗戦が決まると、スペイン植民地だったフィリピン、グアム、プエルトリコは割譲されてアメリカの植民地となり、キューバでは降伏したスペイン軍と結んだアメリカ軍により軍政が敷かれた。 1902年5月20日にキューバ共和国は独立を達成した。400年に及ぶスペイン支配から解放されたかに見えたが、それはスペインに代わるキューバの新たな主人、アメリカ合衆国による支配の始まりでもあった。同年、キューバ国憲法の制定に際して、アメリカ合衆国議会はプラット修正条項︵Platt Amendment︶を要求した。これにより、キューバはアメリカの内政干渉権を認め、グァンタナモとバイア・オンダの2か所にアメリカの軍事基地を置くことなどが盛り込まれ、実質的にはアメリカの保護国となった。なおアメリカは1903年にグァンタナモ湾を永久租借した契約を盾に、1959年の革命政権の誕生後も今日に至るまで、グアンタナモにアメリカ海軍の基地を置き続けている。 ﹁独立﹂後、キューバにはアメリカ資本が数多く進出し、製糖産業など多くの資源産業をアメリカ企業が支配した。また、政治家の不正が度重なって生じたことで、キューバの現状に対する国民の不満はより深化していった。このような国民の不満は、早くも1906年に反乱として表面化し、1909年までキューバはアメリカ軍の管理下に置かれた。反乱は1912年、1916年にも発生し、アメリカが介入する事態となった。キューバではクーデターの発生や相次ぐ政変により、1930年代まで政治的な不安定期が続いた。アメリカはやむなくプラット修正条項を廃棄︵海軍基地設置の条項は除外︶するなどした。 不安定な政治状況は、1933年から政治の主役を演じていたムラートのフルヘンシオ・バティスタ︵Fulgencio Batista︶軍曹が、1936年に政権の実権を握ったことで一定の安定を見せ、キューバ政府が社会経済の改革計画を実行できるまでになった。そして、1940年になると、バティスタの大統領就任と新憲法の公布により、ようやくキューバでは政治的緊張が緩和された。1944年の総選挙でバティスタが敗北したあと、キューバは国際連合設立︵1945年︶や米州機構設立︵1948年︶に参加した。しかし一方で、国内では砂糖の国際価格の不安定化とインフレ問題が重要課題として浮上し、政府が有効対策をとれなかったことで、社会不安が拡大した。キューバ革命︵1959年 - 80年代︶ 編集
冷戦終結以降︵1991年 - 現在︶ 編集
略年表 編集
●1492年 クリストバル・コロン、キューバ島に到着︵12月27日︶ ●1509年 ディエゴ・ベラスケス・デ・クエリャル、キューバ総督に任命 ●1868年 第一次独立戦争︵10年戦争︶開始 ●1895年 ホセ・マルティ、オリエンテのラプライータに上陸、第二次独立戦争開始︵4月10日︶ ●5月19日 マルティ戦死 ●1898年 米西戦争︵2月︶ ●1902年 独立、エストラーダ=パルマ政権発足︵5月︶ ●1903年 アメリカ、グァンタナモ湾を租借 ●1952年 バティスタ軍曹のクーデター︵3月︶ ●1953年 モンカダ兵営襲撃︵7月26日︶、モンカダ裁判︵9月︶ ●1955年 フィデル・カストロ恩赦、メキシコへ亡命 ●1956年 グランマ号でオリエンテ州に上陸︵12月︶7月26日運動、活動開始 ●1957年 革命幹部会による大統領官邸襲撃︵3月︶ ●1958年 反乱軍の最終攻勢始まる ●1959年 バティスタ大統領亡命︵1月1日︶ ●2月17日 フィデル・カストロ、首相に就任、革命政権成立︵キューバ革命︶ ●4月15日 フィデル・カストロ、ニューヨークへアメリカ政府に対する表敬訪問。アメリカ政府はアイゼンハウアー大統領がゴルフに出かけたとの理由で首脳会談を拒否 ●5月17日 農地改革法公布 ●1960年 アメリカ政府、キューバ砂糖輸入割当廃止の意向発表 ●2月4日 アナスタス・ミコヤンソ連副首相訪問、キューバ・ソ連通商条約調印 ●4月4日 ユナイテッド・フルーツ社有地が接収される ●6月29日 テキサコ製油所介入 ●7月1日 エッソとロイヤル・ダッチ・シェルの製油所へ介入 ●7月2日 アメリカ政府、キューバ砂糖輸入割当制度を廃止 ●8月6日 アメリカ企業接収 ●1961年 アメリカと国交断絶︵1月3日︶ ●4月4日 傭兵軍航空機によるハバナなどへの航空施設爆撃 ●4月16日 フィデル・カストロ、社会主義革命宣言 ●4月17日 反革命傭兵軍上陸事件︵- 19日 ピッグズ湾事件︶ ●4月25日 アメリカ、対キューバ全面的貿易封鎖発表 ●1962年 キューバ危機︵10月15日︶、ケネディ米大統領、対キューバ海上封鎖宣言︵10月22日︶ ●10月27日 オリエンテ州北部でU-2機撃墜 ●10月28日 フルシチョフ・ソ連首相、ミサイル撤去受け入れ ●1963年 フィデル・カストロ、初のモスクワ訪問 ●1965年 キューバ共産党結成 ●1967年 フィデル・カストロ、チェ・ゲバラのボリビアでの死亡を発表 ●1975年 第一回共産党大会、アンゴラ派兵本格化 ●1976年 ●新憲法制定 ●クバーナ航空455便爆破事件。傭兵軍のルイス・ポサダ・カリレス、乗客乗員73人全員を殺害 ●1977年 アメリカと利益代表部設置で合意 ●1981年 革命ニカラグアへ派遣した教師が暗殺 ●1983年 アメリカのグレナダ侵攻に抗議して派兵 ●1992年 憲法改正により、キューバを社会主義国家と定義。米国でトリチェリ法[注釈3] 成立、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領が署名 ●1993年 ドル所有の合法化 ●12月22日 フィデル・カストロの実の娘、アリナ・フェルナンデスがアメリカへ亡命 ●1995年 米・キューバ移民協議、難民問題でアメリカ政府と合意[22] ●1996年 アメリカでヘルムズ=バートン法[注釈4] 成立、クリントン大統領が署名 ●1998年 ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世のキューバ訪問 ●1999年 アメリカ、対キューバ経済制裁の一部緩和措置発表、エリアン少年事件 ●2000年 アメリカによる対キューバ経済制裁の一部緩和措置発表 ●2001年 アメリカからへの食糧購入開始 ●2002年 ジミー・カーター元アメリカ大統領キューバ訪問。憲法改正 ●2005年 米国務長官コンドリーザ・ライス、キューバを北朝鮮やイランと並ぶ﹁圧制の拠点﹂と発言し、打倒すべき独裁政権のひとつにあげた。キューバ航空機爆破、フィデル・カストロ暗殺未遂など親米テロの廉で逮捕され、保釈後ベネスエラへ逃亡していた傭兵軍のカリレス、アメリカへ亡命を求めて脱出するもマイアミで逮捕される ●2008年 ●2月 フィデル・カストロ、国家評議会議長引退を発表 ●2月24日、ラウル・カストロが国家評議会議長に選出 ●2009年 ●6月 米州機構総会においてキューバの復帰が認められる。しかしキューバは復帰を拒否 ●2011年 部分的に市場経済が導入される ●2014年 ●12月18日 アメリカとの国交正常化交渉を開始すると発表 ●2015年 ●4月11日59年ぶりのアメリカ・キューバ首脳会談が行われる ●7月20日 アメリカと国交回復 ●2016年 ●9月、国営企業で働く約100万人を対象に10月から課税すると発表。約半世紀ぶりに国営企業従業員への課税となる ●11月25日、フィデル・カストロ前国家評議会議長が死去[23] ●2018年 ●4月19日、ミゲル・ディアス=カネルが国家評議会議長に就任 ●2019年 ●新憲法︵現行憲法︶制定。国家元首の役職が43年ぶりに﹁大統領﹂となる ●2021年 ●4月19日、共産党第8回党大会にて引退を表明したラウル・カストロに代わる第一書記にミゲル・ディアス=カネルを選出[24]政治 編集
国際関係 編集
アメリカとの関係 編集
ラテンアメリカ諸国との関係 編集
1999年にベネズエラでウゴ・チャベス政権が成立してからは、産油国である同国からの石油輸入とキューバからの医師派遣を軸に強固な友好関係が樹立され、2004年に両国との間で米州ボリバル代替統合構想が結成された。2000年代後半に入り、ベネズエラに続いてボリビア、エクアドル、ニカラグアで左派政権が成立するとキューバはこれら諸国と友好関係を築き、2009年6月に米州ボリバル代替統合構想が発展解消する形で米州ボリバル同盟︵ALBA︶が結成された。カナダとの関係 編集
キューバとカナダは友好関係を保っており、カナダは上述のアメリカとの国交正常化交渉開始の際にも、ローマ教皇フランシスコとともに両者の仲介を行った。
ソビエト連邦及びロシアとの関係 編集
日本との関係 編集
北朝鮮との関係 編集
中国との関係 編集
国家安全保障 編集
地理 編集
キューバ島 編集
キューバの本島であるキューバ島[注釈5] は、西インド諸島に属するカリブ海で最大の島である。コロンブスの同島﹁発見﹂時にはスペイン王国の王族にちなんでフアナ島[注釈6] と命名されたが、のちにキューバの呼び名が一般化し現在にいたっている︵キューバの由来は国名参照︶。島の南西には、キューバでキューバ島に次ぐ大きさを持つ﹁青年の島﹂が浮かんでいる。 キューバ島の長さは、西端のサン・アントニオ岬から東端のマイシ岬まで約1,225キロ、南北の距離は最大250キロから最小35キロで平均値は80キロと、東西に細長い形状をしている。島の4分の1は山岳地帯となっているが、山地が島の全域に散在していることから、島に山塊はない。主要山岳地帯としては、西部にオルガノス山脈︵標高914メートル︶、中央部にトリニダー山脈︵標高1,200メートル︶、南東部にマエストラ山脈という3つの異なる山系がある。 東方山系であるマエストラ山脈は、クルス岬からマイシ岬まで南海岸に沿いながら、250キロに及んで連なっている。ほかの山系と比べると一番長く複雜で、この山脈に属する標高2,005メートルのトゥルキーノ山は、キューバの最高峰としてそびえている。南方斜面が急な断崖をなす一方で北方斜面は緩慢で、北方海岸につながる山地との間にはカウト川流域の中央低地が発達しており、キューバの主要な農業地域に数えられている。中央部山系であるトリニダー山地は、高度が低く多くの山地群で形成されており、銅・マンガン・ニッケル・クロム・鉄鉱石・タングステンなど、地下資源が豊富に埋蔵されている。西部山系であるオルガノス山脈はカルスト地形で、険しい石灰岩の山地・洞窟などが多く、ハバナ付近のコティジャ洞窟が著名である。周辺の丘陵地は、石灰岩の風化土であるマタンサス土壌[注釈7] で覆われており、肥沃で排水がよく栽植農業地として的合である。 東部と中部、そして西部の山岳地を除けば、島の大部分は200メートル以下のなだらかな起伏の丘陵地や平野であり、土壌も大半は肥沃で、大規模な機械化農業の生産にも適した土地となっている。しかし、その地形により島には水量の豊かな長い川が存在せず、200以上の河川の大半は急流をなす小さな川であるために、船舶の航行はできない。主要河川は、島の南東部を流れるカウト川︵全長240キロ︶であり、マエストラ山脈を水源とし、グァンタナモ湾に流れ込む。この川はキューバでもっとも長い川であり、下流の約100キロは航行が可能な大きさである。また、重要な内陸水路として水力発電にも利用されている。 島は長くて狭く、複雑で入り組んだ海岸線は全長3,735キロにもなる。海岸には約7万km²の大陸棚があり、海岸線には入江、湾、砂州やマングローブ林、サンゴ礁、湿地、大小の岬、半島が多様な景観を造成し、多くの湾が天然の良港となっている。主要な港は北海岸にハバナ、マタンサス、カルデナス、バイアオンダ、ヌエビタスがあり、南海岸にグァンタナモ、サンティアゴ・デ・クーバ、シエンフエゴス、トリニダーがある。特に、ハバナ港は良港として知られ、通商によって栄えた歴史がある。またグァンタナモ湾は、1903年以降現在にいたるまでアメリカのグァンタナモ米軍基地︵南方軍管轄︶が存在することで知られている。気候 編集
キューバの気候は亜熱帯気候かつ海洋性気候で、ケッペンの気候区分では典型的な熱帯性サバナ気候に属する。年間の平均気温は摂氏25.5度、夏の平均気温は27度、冬の平均気温は21度であり、夏には東風・南東の貿易風、冬には北東の貿易風が吹く。夏には気温のみならず、湿度も80%前後にまで上昇する。しかし、北東の貿易風が吹くため、気温は和らぎ比較的しのぎやすい環境となる。冬には平均気温が20度近くまで下がるが、それでも日中は気温が30度以上になる。 気温の較差がわずかなため、季節的な気候変化はおもに降水量によって左右される。乾期は11月から4月、雨期は5月から10月である。年平均降水量は約1,400ミリだが、トリニダー山地から﹁青年の島﹂にかけての地域では2,000ミリに上り、マエストラ山脈以東の地域では1,000ミリを下回り、グアンタナモが一番少ない。雨季と同じ時期である6月から10月、特に8月から10月にかけて多くのハリケーンが襲来し、おもに北西部地域に風水害を与える。環境 編集
生態系 編集
天然資源 編集
キューバの国土は、鉱物資源に恵まれている。特に重要視されている鉱物はニッケル、クロム、銅、鉄、マンガンである。そのほかにも、硫黄、コバルト、黄鉄鉱、石膏、石綿、石油、石灰岩などが採掘されている。 とりわけ、海底油田は北西部地域に未発見の原油ガスが埋蔵されているとされ、これまで中国を含む諸外国による探査掘削作業がたびたび行われてきた。なお、地下資源はすべて政府の所有物とされている。キューバにおけるラテライト、鉄鉱石の埋藏量は20億トン、その中に包含されるニッケルは1.7億トンであり、世界最大の規模である。地方行政区分 編集
地図上の番号 | 名称(日本語) | 名称(スペイン語) |
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1 | ピナール・デル・リオ州 | Provincia de Pinar del Río |
2、4 | ハバナ州 | Provincia de La Habana |
2 | アルテミサ州 | Provincia de Artemisa |
3 | ハバナ市 | Provincia de Ciudad de La Habana |
4 | マヤベケ州 | Provincia de Mayabeque |
5 | マタンサス州 | Provincia de Matanzas |
6 | シエンフエーゴス州 | Provincia de Cienfuegos |
7 | ビジャ・クララ州 | Provincia de Villa Clara |
8 | サンクティ・スピリトゥス州 | Provincia de Sancti Spirítus |
9 | シエゴ・デ・アビラ州 | Provincia de Ciego de Ávila |
10 | カマグエイ州 | Provincia de Camagüey |
11 | ラス・トゥーナス州 | Provincia de Las Tunas |
12 | グランマ州 | Provincia de Granma |
13 | オルギン州 | Provincia de Holguín |
14 | サンティアーゴ・デ・クーバ州 | Provincia de Santiago de Cuba |
15 | グアンタナモ州 | Provincia de Guantánamo |
16 | 青年の島 | Isla de la Juventud |
主要都市 編集
経済 編集
通貨 編集
1994年以降2種類の法定通貨が存在したが、2021年1月1日よりキューバ・ペソ︵ペソ・クバーノ︶へ一本化された[50]。レートは1米ドル=24ペソに固定されている。 1994年から2020年12月1日までは外貨兌換券である兌換ペソも法定通貨のひとつとして、主に外国人や観光業で使用されていた。兌換ペソは米ドルと等価とされ、政府公式のレートでは兌換ペソとキューバ・ペソも等価とされていた。しかし民間のレートは1兌換ペソ=24キューバ・ペソであり、持つ﹁ペソ﹂の違いで経済格差ができていた[51]。交通 編集
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科学技術 編集
国民 編集
言語 編集
公用語はスペイン語︵キューバスペイン語︶である。しかし、観光業に力を入れていること、アメリカ本土に近いこと、そして公教育の普及率が高いことなどから、ホテルやレストラン、都市部などでは英語が通じることもある。宗教 編集
教育 編集
保健 編集
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医療 編集
評価 編集
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社会 編集
生活 編集
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施策 編集
●政府が監督下する文化的施策 ●図書館‥キューバ最大の図書館はハバナの国立図書館︵蔵書数約220万冊︶である。ハバナをはじめ主要都市には市立図書館が設置されている。 ●博物館‥ハバナの国立博物館は、古典から現代に至る芸術作品、および先住民・文化の遺物を収集している。 ●補足‥一部自治体は、演劇や舞踊などの文化活動を支援している。反乱 編集
同国では嘗てのカストロ政権から、政府を民主的な立ち位置へ変換することを目標とした組織的な活動が顕著に現れている一面がある。
ヒューマン・ライツ・ウォッチの調査報告によれば、キューバ政府はあらゆる形態の政治的反対意見をほぼ弾圧しているとのことである。
治安 編集
治安維持 編集
警察 編集
人権 編集
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マスコミ 編集
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通信とメディア 編集
テレビ 編集
1940年代、ラジオ局のCM-21PとRHC-Cadena Azulが近々、テレビ放送を開始すると発表したがテレビ局の設立と放送網の構築するにあたって莫大な費用で複雑であったことから予想より大幅に時間がかかった。 1946年12月、ラテンアメリカで初めて、CM-21Pが試験的にマルチポイントでの放送を行った。 1950年10月、ユニオンラジオが開局した後、次々と開局し同月25日に商業用としてテレビが導入されたことによってカリブ海地域では初めて、ラテンアメリカでは2番目に放送を開始した国となった。同年、12月18日にCMQ-TVがチャンネル6で放送を開始。(正式にCMQとしては翌年3月11日。)また、ユニオンテレビが10月下旬にキューバリーグ冬季野球大会の第一試合を生中継したことにより野球がキューバの国民的娯楽として確立するきっかけとなった。この頃は、報道・料理・コメディと多様な番組がありテレビは16インチ350ドルから30インチ2000ドルと高価なものであったが、1952年までに10万台以上が輸入され普及した。 1952年3月10日、フルヘンシオ・バティスタによるクーデター成功によって検閲が行われた。同年、フィデル・カストロによるモンカダ兵営に対して攻撃が行われたため検閲が強化され1953年10月24日まで続いた。再び始まったのはキューバ革命終結後の1959年である。政府は放送網を整備を始めカマグエイに地方局チャンネル11を開局させ翌年、CMQチャンネル6から「CMQ」の名を外した。1961年にはチャンネル6と民間放送のチャンネル4とチャンネル2の広告を終了させた。 1958年3月19日、チャンネル12の「TELECOLOR SA」が16時間に亘るカラー放送を開始したことにより、アメリカに次いで世界で2番目にカラー放送を開始した国となった。 2022年の時点で国営が5局、デジタル放送専門が2局、HDデジタル放送が4局がある他、多数の地方局がある。
新聞 編集
インターネット 編集
1994年6月、アメリカのスプリントとの64KBit/s通信との確立した後、インターネットの拡大は頓挫した。要因としてソ連崩壊によるキューバ経済の低迷や米国の対キューバ禁輸措置による海底ケーブルの敷設の遅滞やコンピュータとその周辺機器の価格高騰により入手が困難となったことが考えられる。
2009年、オバマ大統領がアメリカ企業がキューバに対してのインターネットサービスの提供を許可することを発表したのち、通信を促進するため規制を修正する動きがあったがキューバ政府はベネズエラ政府と協力とのを望み拒否した。同年、テレキューバにフロリダ州キーウェストとハバナの海底ケーブルを敷設の認可が下りていたが、双方の政治的配慮により事業が滞った。 2008年までパソコンや携帯電話の個人所有は政府の許可が必要であったが、合法化されたことで63万台以上が利用可能なったものの帯域幅が限られているために企業・学校・研究所など集団で使用される施設を優先とした。その後のネット利用者の推移は2012年に総人口の約30%、2016年7月には38.8%(433万4022人)、2022年時点で総人口の68%が利用している。 ベネズエラとの通信は2011年に光ファイバーが敷設され2013年1月に一般利用者への利用が可能となった。 2015年、政府は国内35ヶ所にWi-Fiスポットを開設し、2018年3月にほとんどの主要都市に拡大し全国約500ヶ所となった。 2018年、年末までにモバイルでのインターネットサービスを提供する計画を掲げ、12月に計画を始動させ2019年に限られた地域で4G通信が始まった。 2019年7月29日、家庭や企業でのプライベートのWi-Fiを合法したものの許可を得る必要がある。
文化 編集
食文化 編集
文学 編集
音楽 編集
美術 編集
代表的な画家としては、20世紀半ばに活躍し、アフロ・キューバ美術を再発見したウィフレド・ラムが挙げられる。革命後はラウル・マルティネスらによってキューバの人民革命を鼓舞するプロパガンダ・ポスターが製作された。現在はホセ・ベディア・バルデスの『アメリカ大陸年代記』など、西欧近代文明の限界に挑戦する美術運動が進んでいる。
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映画 編集
建築 編集
キューバにおける建築は折衷的かつ多様な建築で有名となっている。
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カーニバル 編集
植民地時代からカトリックの暦に合わせてカーニバルが行われており、特にサンティアーゴ・デ・クーバとハバナのカーニバルは規模が大きい。コンパルサやコンガと呼ばれるチームが楽器と歌と踊りを交えて道路を練り歩く。
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世界遺産 編集
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ハバナ旧市街とその要塞群 - (1982年、文化遺産)
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トリニダードとロス・インヘニオス渓谷 - (1988年、文化遺産)
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サンティアーゴ・デ・クーバのサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城 - (1997年、文化遺産)
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ビニャーレス渓谷 - (1999年、文化遺産)
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キューバ南東部のコーヒー農園発祥地の景観 - (2000年、文化遺産)
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アレハンドロ・デ・フンボルト国立公園 - (2001年、自然遺産)
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シエンフエーゴスの都市的歴史地区 - (2005年、文化遺産)
祝祭日 編集
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
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1月 1日 | 解放記念日 | Triunfo de la Revolución | バティスタが1959年1月1日未明に亡命したことで、フィデル・カストロのキューバ革命が達成されたことを記念する日。 |
5月 1日 | メーデー | Día de los trabajadores | |
7月26日 | モンカダ兵営襲撃(革命記念日) | Asalto al cuartel Moncada | 1953年に、フィデル・カストロ率いる160名の兵士が、サンティアーゴ・デ・クーバにあるキューバ陸軍モンカダ兵営を襲撃した日。襲撃は完全に失敗したが、後に反政府組織「7月26日運動」の名称由来となったこともあり、現在ではフィデル・カストロ主導によるキューバ革命の始まりであると考えられている。通常は、他の2, 3日の祝日とともに祝われる。 |
10月10日 | 独立戦争開始記念日 | Día de la Independencia | 1868年に、カルロス・マヌエル・デ・セスペデスが自己所有の奴隷に自由を与え、スペイン植民地当局に対する独立戦争(十年戦争)を開始した日。 |
12月25日 | クリスマス | Navidad | キューバ革命後、クリスマスは休日をともなう祝日ではなくなった。しかし、1998年のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の訪問を受け、政府は再びクリスマス休暇を復活させた。 |
スポーツ 編集
オリンピック 編集
野球 編集
サッカー 編集
キューバでサッカーのイメージは一見無いものの、実はサッカーキューバ代表はFIFAワールドカップには1938年大会に1度だけ出場を果たしている。さらにCONCACAFゴールドカップには10度も出場しており、これまでに3回ベスト8に進出した事もある。また、カリビアンカップでは2012年大会で初優勝を達成している。なお、1912年にはサッカーリーグの『カンペオナート・ナシオナル・デ・フットボール・デ・キューバ』も創設されている。
著名な出身者 編集
- フアン・アロンソ(元サッカー選手)
- ホセ・アブレイユ(野球選手)
- アリシア・アロンソ(バレエダンサー、舞踏家、キューバ国立バレエ団監督)
- オスマニー・ウルティア(元野球選手)
- グロリア・エステファン(ロックヴォーカリスト&シンガーソングライター)
- トニー・オリバ(元メジャーリーガー)
- レイ・オルドニェス(元メジャーリーガー)
- ホエール・カサマヨール(プロボクサー、バルセロナオリンピック金メダリスト、現世界チャンピオン)
- スリア・カラタユド(陸上競技選手)
- アンディ・ガルシア(俳優)
- ホセ・カンセコ(元メジャーリーガー)
- バート・キャンパネリス(元メジャーリーガー)
- オレステス・キンデラン(元野球選手)
- マイク・クェイヤー(元メジャーリーガー)
- ユリエスキ・グリエル(メジャーリーガー)
- セリア・クルース(サルサ歌手)
- アルベルト・コルダ(写真家)
- ホセ・コントレラス(メジャーリーガー、フィリーズ)
- ルディ・サーゾ(ベーシスト)
- チュス・アロンソ(元サッカー選手)
- SHEILA(モデル、タレント)
- フアン・トゥニャス(元サッカー選手)
- コンパイ・セグンド(音楽家・ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ)
- フレデリク・セペダ(野球選手)
- アロルディス・チャップマン(メジャーリーガー、レッズ)
- ルイス・ティアント(元メジャーリーガー)
- マーティン・ディーゴ(元ニグロリーガー、アメリカ野球殿堂入り)
- オレステス・デストラーデ(元日本プロ野球選手)
- アルフレド・デスパイネ(日本プロ野球選手)
- クリストバル・トリエンテ(元ニグロリーガー、アメリカ野球殿堂入り)
- カミロ・パスカル(元メジャーリーガー)
- アントニオ・パチェコ(元野球選手)
- ロベルト・バルボン(元日本プロ野球(阪急、現・オリックス)選手)
- ラファエル・パルメイロ(元メジャーリーガー)
- ペレス・プラード(「マンボの王様」)
- アリエル・ペスタノ(元野球選手)
- ノルヘ・ベラ(元野球選手)
- トニー・ペレス(元メジャーリーガー、アメリカ野球殿堂入り)
- オマーラ・ポルトゥオンド(歌手ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ)
- マチート(アフロ・キューバン・ジャズの創始者、コンゲーロ)
- ミニー・ミノーソ(元メジャーリーガー)
- ヘルマン・メサ(元野球選手)
- ホセ・メンデス(元ニグロリーガー、アメリカ野球殿堂入り)
- リバン・モイネロ(日本プロ野球選手)
- ケンドリス・モラレス(メジャーリーガー、マリナーズ)
- ペドロ・ラソ(プロ野球選手)
- アレクセイ・ラミレス(メジャーリーガー、ホワイトソックス)
- オマール・リナレス(元日本プロ野球(中日)選手)
- ドルフ・ルケ(元メジャーリーガー)
- ゴンサロ・ルバルカバ(ジャズ・ピアニスト)
- カミラ・カベロ(歌手)
- オスヴァルド・アロンソ(サッカー選手)
- オネル・エルナンデス(サッカー選手)
象徴 編集
キューバの国の象徴には、嘗ての宗主国であったスペインの文化に由来するものが含まれている。
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脚注 編集
注釈 編集
出典 編集
参考文献 編集
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●キューバ関係記事の一覧 ●キューバ共産党 ●キューバの軍事 ●キューバ危機 ●キューバ (軽巡洋艦) ●一党独裁制 ●スンスネオ ●チェ・ゲバラ ●ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ ●カリブ・スペイン語外部リンク 編集
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