神山征二郎
1941-, 映画監督。
神山 征二郎(こうやま せいじろう、1941年〈昭和16年〉7月16日 - )は、日本の映画監督[1]、脚本家。岐阜県岐阜市中西郷出身[2][3]。
こうやま せいじろう 神山 征二郎 | |||||
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生年月日 | 1941年7月16日(82歳) | ||||
出生地 | 日本・岐阜県岐阜市 | ||||
職業 | 映画監督 | ||||
ジャンル | 映画 | ||||
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経歴 編集
農家に生まれる[3]。岐阜県立岐阜北高等学校に在学中は画家を志していた[3]。日本大学芸術学部映画学科に在学中は演劇に傾倒していたが、1964年︵昭和39年︶、4年生の時に肋膜炎を患い大学を中退し帰郷する[3]。病気の回復後に再び上京し、映画芸術誌編集部のアルバイトを経て、1965年︵昭和40年︶、新藤兼人監督が主宰する近代映画協会に参加する[3][4]。なお、大学時代の同窓生にアニメーション監督の富野由悠季がいる。
新藤兼人、吉村公三郎、今井正各監督の助手を務めた後、1971年︵昭和46年︶、﹃鯉のいる村﹄︵製作‥近代映画協会︶にて監督デビュー、全国労映賞を受賞する[3]。1975年︵昭和50年︶には﹃八甲田山﹄︵製作‥橋本プロダクションほか︶にチーフ助監督として務め、橋本忍、野村芳太郎、森谷司郎らと知り合った[3]。その後、近代映画協会では日本映画監督協会新人奨励賞を受賞した﹃二つのハーモニカ﹄︵1976年︶や、文化庁優秀映画奨励金を交付された﹃看護婦のオヤジがんばる﹄︵1980年︶など5作品を撮影した[3]。
1981年︵昭和56年︶、﹃日本フィルハーモニー物語 炎の第五楽章﹄にフリーランスとして関わり、同年、大沢豊、後藤俊夫と﹁こぶしプロ﹂を設立する[3]。1982年の東宝映画﹃ひめゆりの塔﹄では今井正監督に協同した[3]。
1983年︵昭和58年︶に公開された﹃ふるさと﹄︵製作‥こぶしプロ︶は、モスクワ映画祭主演男優賞︵加藤嘉︶、全国映連賞最優秀作品賞、同最優秀監督賞ほかを受賞、文化庁優秀映画製作奨励金を交付されるなど、国内外で高い評価を受ける[3]。1986年、﹃春駒のうた﹄で、タシケント映画祭最優秀作品賞[3]。
1987年︵昭和62年︶、﹃ハチ公物語﹄で山路ふみ子映画賞を受賞、また年間興行収入ベストワンとなる大ヒットとなった[4]。
1988年︵昭和63年︶に﹁神山プロダクション﹂を設立[4]。1990年︵平成2年︶の﹃白い手﹄は日刊スポーツ映画大賞監督賞、毎日映画コンクール優秀賞を受賞した[4]。以降、﹃遠き落日﹄︵1992年︶、﹃ひめゆりの塔﹄︵1995年︶、﹃郡上一揆﹄︵2000年︶、﹃大河の一滴﹄︵2001年︶などの作品を監督する[4]。
2001年︵平成13年︶、﹁時代と地域を見据えた映画製作﹂に対し第54回中日文化賞が贈られた[5]。
その後も、﹃草の乱﹄︵2004年︶、﹃ラストゲーム 最後の早慶戦﹄︵2008年︶、﹃学校をつくろう﹄︵2011年︶などの作品がある[4]。
人物 編集
師である新藤、今井、吉村の衣鉢を継ぐ正統的な社会派映画作家であるが、時代の変化もあり師匠たちのような高い評価には恵まれなかった。大ヒットした﹃ハチ公物語﹄にも批評家たちは冷淡で、当時彼らにキワモノ扱いされたことに対する神山の憤懣は、後年に海外での好評がアメリカ版リメイクにつながった際、﹃映画芸術﹄誌上での辛辣な一文という形で吐き出されている[要追加記述]。主な監督作品 編集
●﹃鯉のいる村﹄︵1971年︶ ●﹃時計は生きていた﹄︵1973年︶ ●﹃二つのハーモニカ﹄︵1976年︶ - 宮城県矢本が舞台。 ●﹃あすも夕やけ﹄︵1977年︶ ●﹃洟をたらした神﹄︵1978年︶[注釈1] ●﹃看護婦のオヤジがんばる﹄︵1980年︶ ●﹃日本フィルハーモニー物語 炎の第五楽章﹄︵1981年︶ ●﹃ひめゆりの塔﹄︵1982年︶- 協力監督。監督は今井正。 ●﹃ふるさと﹄︵1983年︶ ●﹃春駒のうた﹄︵1986年︶ ●﹃旅路 村でいちばんの首吊りの木﹄︵1986年︶ ●﹃ハチ公物語﹄︵1987年︶ ●﹃千羽づる﹄︵1989年︶ ●﹃伊勢湾台風物語﹄︵1989年︶- アニメーション ●﹃ドンマイ﹄︵1990年︶ ●﹃白い手﹄︵1990年︶ ●﹃遠き落日﹄︵1992年︶ ●﹃月光の夏﹄︵1993年︶ ●﹃さくら﹄︵1994年︶ ●﹃ひめゆりの塔﹄︵1995年︶ ●﹃三たびの海峡﹄︵1995年︶ ●﹃マヤの一生﹄︵1996年︶- アニメーション ●﹃宮澤賢治 その愛﹄︵1996年︶ ●﹃郡上一揆﹄︵2000年︶ ●﹃大河の一滴﹄︵2001年︶ ●﹃草の乱﹄︵2004年︶ ●﹃北辰斜にさすところ﹄︵2007年︶ ●﹃ラストゲーム 最後の早慶戦﹄︵2008年︶ ●﹃鶴彬 こころの軌跡﹄︵2009年︶ ●﹃学校をつくろう﹄︵2011年︶ ●﹃救いたい﹄︵2014年︶ ●﹃時の行路﹄︵2020年︶脚本 編集
●赤毛のアン︵1979年︶ ●赤毛のアン グリーンゲーブルズへの道︵2010年︶ ●トム・ソーヤーの冒険︵1980年︶著書 編集
●﹃町が海におそわれた 伊勢湾台風物語﹄ 学習研究社、1989年、ISBN 4-05-103585-9 ●﹃生まれたら戦争だった。 映画監督神山征二郎・自伝﹄シネ・フロント社、2008年、ISBN 978-4-915576-21-8脚注 編集
注釈 編集
- ^ 当初テレビドラマとして制作されたが、スポンサーが内容に難色を示し結局放送は中止され、後に劇場で公開されたという経緯がある。自伝の中ではフィルモグラフィーから除外されている。
出典 編集
外部リンク 編集
- 神山征二郎 - allcinema
- 神山征二郎 - KINENOTE
- 神山征二郎 - 日本映画データベース
- Seijirô Kôyama - IMDb(英語)