禅寺丸
ゼンジマル | ||||||||||||||||||||||||
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![]() 禅寺丸原木 | ||||||||||||||||||||||||
分類 | ||||||||||||||||||||||||
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学名 | ||||||||||||||||||||||||
Diospyros kaki 'Zenjimaru' | ||||||||||||||||||||||||
和名 | ||||||||||||||||||||||||
ゼンジマル(禅寺丸) |
概要
全体的に丸みを帯びており、小ぶり。果肉には木目状の斑点がある。小ぶりの割りに種が大きく、果肉部分が少ない。
最盛期(明治時代の末から昭和初期)には、生産量は938トンに達し︵1921年︵大正10年︶︶、名古屋方面まで出荷されたが、新品種の富有、次郎などが市場に出回ると、小粒で種が大きく実が少ない、品質にばらつきがあるなどの理由から、昭和40年代の後半ごろから市場から姿を消してしまった。
現在では市場ではほとんど見かけなくなった禅寺丸だが、今でも川崎市麻生区には多く生育しており、秋には沢山の実をつけている。また地元の農協直売所や、農家の家先の無人販売、柿生駅前の八百屋などで手に入れることができる。
由来
沿革
●1214年︵建保2年︶‥王禅寺にて偶然に発見される。
●1370年︵応安3年︶‥村人に接木をして栽培させるとともに、近隣にも栽培を広めた。
●1648年︵慶安元年︶‥江戸に出荷され始めた。美味で豊産のため栽培者が増加し、栽植が広まった。
●1889年︵明治22年︶‥町村制度実施により周辺の各村が合併した際、﹁柿が生まれた村﹂ということで、村名を柿生村とした。(1939年︵昭和14年︶に川崎市に編入され柿生村はなくなったが、柿生駅は残っている。︶
●1909年︵明治42年︶10月‥森七郎栽培の禅寺丸が明治天皇に献上された。
●2000年︵平成12年︶10月‥禅寺丸柿発祥記念祭を開催し、同寺境内の原木(樹齢約450年、伝承)の前に記念碑を建立した。
●2007年︵平成19年︶7月26日‥登録記念物として登録され、保護措置がとられることとなった。