稲田昌植
経歴
北海道札幌市出身。東北帝国大学農科大学︵現北海道大学︶卒業。在学中の1912年︵明治45年︶三瓶勝美中尉や中澤治平中尉のスキー講習会に参加し大学にスキー部を創部した。1920年︵大正9年︶に東京外国語学校教授となり、その後東京農業大学教授となった。1925年︵大正14年︶全日本スキー連盟︵当時は大日本スキー連盟︶初代会長に就任︵~昭和20年︶。
1925年3月、貴族院男爵議員に選出され、公正会に属し1947年︵昭和22年︶5月に貴族院が廃止されるまで在任。1933年6月10日、貴族院議員視察団の一員として横浜港より﹁橫濱丸﹂で出帆し、サイパン、ヤップ、パラオ、フィリピンなどを視察し、これを﹁南遊記﹂にまとめている。1936年︵昭和11年︶、廣田内閣で拓務政務次官を務めた。太平洋戦争後は日本大学教授となる。昭和43年に78歳で没した。
著作
●スキー / 稲田昌植︵大正5年、厚生堂︶
●婦人農業問題︵大正6年、丸山舎書籍部︶
●台湾糖業政策︵大正10年、拓殖局︶
●農民離村の研究︵義父有馬頼寧との共著。大正11年、巌松堂書店︶
●農村問題と其将来︵大正14年、新政社︶
●植民と農政 ︵昭和2年、巌松堂書店︶
●維新の宏謨と農道︵井上一次、山崎延吉共著。昭和6年、農民社︶
●南遊記︵昭和8年、国民新聞社︶
●世界農業史論︵佐藤昌介共著、昭和10年、西ヶ原刊行会︶
●銀界三十年︵昭和13年、六芸社︶
●顔兄弟︵昭和15年、外地評論社︶
●続世界農業史論︵半沢耕貫共著、昭和19年、西ヶ原刊行会︶
●食糧問題の解決︵昭和25年、日本乳製品協会︶
●スキー繁昌記︵昭和29年、積雪科学館︶
関連項目
参考文献
- SAJ歴代会長と追悼碑
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。