護命

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2750- 9118341020西45

580

経歴


375910

876415耀

276617[1]

806[2]

6815

7816

10819

14823

3826西

4827

78305

83491185

補注

  1. ^ 『日本後紀』弘仁2年6月6日条の卒伝は名を勝悟と表記するが、勝虞が一般的。
  2. ^ 『僧綱補任』は同年の律師補任を記す一方、弘仁6年の少僧都補任記事に「律師を経ざるか」と記しており、朱注で矛盾を指摘されている。僧綱への登竜門である維摩会講師を大同3年に務めたとの記事がある点も、朱注で「不審」とされている。『続日本後紀』の卒伝は、律師補任にふれず「擢んじて少僧都に任ず」としているので、律師を経ずに少僧都に抜擢された可能性も十分考えられる。