「金森誠之」を編集中
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この他、唯一の建築設計作として、自宅の設計がある。昭和九年に大田区山王にみずから設計した自宅は現存しているが、この自宅は金森四二歳の時の作品として知られる。
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この他、唯一の建築設計作として、自宅の設計がある。昭和九年に大田区山王にみずから設計した自宅は現存しているが、この自宅は金森四二歳の時の作品として知られる。
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法面地に建てられているので三階建てのようにみえるが、実際は地下一階、地上二階で得意の鉄筋煉瓦構造である。この地には、もともと |
法面地に建てられているので三階建てのようにみえるが、実際は地下一階、地上二階で得意の鉄筋煉瓦構造である。この地には、もともと八景園という建物があったが、跡地が東京湾を望む高台にある上、暖かい別荘地として売りに出されていたところ、妻の薦めで購入したもので、現在の建物は創建当時のまま保たれている。一階には十畳と六畳の部屋続きになっている洋間があり、それは趣味のひとつであるダンスパーティを自宅で行うための工夫であるという。当時の上流階級ではダンスパーティ開催が一種のステータスシンボルであった。この家は雨漏りがするんですよと長男夫人は述べていたというが、原因は屋上で何度か開催されたダンスパーティのせいだったようである。
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==栄典== |
==栄典== |