いろは樋(いろはどい)は、寛文2年(1662年埼玉県志木市新河岸川に架けられた野火止用水水路橋である。野火止用水の水を新河岸川を跨ぎ越して、宗岡地区に導いた[1]

経緯

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126260 m4-5[2]

主な建造物

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  • 小枡(こます)









4847

宗岡潜管

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使使調18983160109.1 m

衰退期

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194924W19512650196540

末流

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いろは樋から来た用水は宗岡地区を樹形図状に分かれていた。現在流路跡がわかるのが、中宗岡一丁目交差点~宗岡小学校前にある一里塚を左に曲がり、産財氷川神社付近まで続いている石蓋の歩道がその名残である。

史跡

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その他

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志木市本町市場坂上の信号付近に小枡、大枡、いろは樋、いろは樋の縮小模型(江戸期のもの)が展示され、当時の様子を忠実に再現している。また中宗岡1丁目宗岡交番の脇に明治期の受取口の大枡と宗岡潜管の一部が展示されている。志木市立郷土資料館の敷地内にも、1978年に行われた柳瀬川[3]の改修中に川底から発掘された潜管が展示されている。また、いろは樋が架かっていた場所の近傍に道路橋のいろは橋が架かるが、その親柱にはいろは樋のレリーフが掲げられ、その欄干はいろは樋の桁を模したデザインのものとなっている。

脚注

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(一)^ 

(二)^  

(三)^  on the web

参考資料

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関連文献

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  • 斎藤長秋 編「巻之四 天権之部 宗岡里 内川」『江戸名所図会』 3巻、有朋堂書店〈有朋堂文庫〉、1927年、70-71頁。NDLJP:1174157/40  -- 挿絵にいろは樋が描かれている

外部リンク

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座標: 北緯35度50分6.3秒 東経139度34分47.9秒 / 北緯35.835083度 東経139.579972度 / 35.835083; 139.579972