アブラーズ
メンバー
編集- サニー徳永(1964年6月7日 - 2004年8月17日):ドラム(リーダー、故人)
- アンバサダー武内(1962年7月21日 - ):ギター(営業担当)
- アルマジロ大土井(1962年11月2日 - ):ベース(会計担当)
- リットル藤井(1964年12月27日 - ):サックス(宴会担当)
ゲストメンバー
編集解説
編集結成
編集
1983年9月21日にチェッカーズの一員としてデビューする。その後、チェッカーズのシングル﹁星屑のステージ﹂︵1984年8月23日発売︶が発売され、テレビ番組出演時[いつ?][どこ?]に郁弥などのボーカル陣の衣装はラメ等が入ったものだったのに対し、徳永・尚之など楽器演奏陣の衣装にはラメ等は一切入っておらず、楽器陣より﹁ゴキブリみたい﹂との感想があった。これを期に、ボーカル陣との衣装の格差に疑問を感じた楽器演奏陣が[誰?]、﹁光り輝くボーカル陣に対して俺達はアブラムシのようなもの﹂、﹁ゴキブリ→アブラでギトギトしている﹂との理由から、遊びで﹃サニー徳永とジ・アブラーズ﹄と名乗った。これに対し、ボーカル陣はラメの反射によりキラキラしていることから﹃鶴熊猿とザ・ダイアモンズ﹄と名乗った。また、この名前を名乗っていたのは同楽曲発売当時だけで、それ以降は名乗ることは無く、アブラーズとしての活動は一切行われなかった。しかし、チェッカーズ中期︵SevenHeavenツアー︶ - 後期[いつ?]では、コンサート内のコーナーのひとつとして、アブラーズ名義でインスト曲﹁BARINBASS﹂を演奏していた。
ライブを行なう際は、メンバー全員サングラスを掛けて登場する。
再結成
編集
チェッカーズ解散後、約9年ぶりに楽器陣が4人揃って飲みに行ったことが発端となり、チェッカーズのデビュー20周年となる2003年9月21日に楽器陣だけでライブを行う計画を練り、その際に﹁アブラーズ﹂名義で行うことで意見が一致した。また、活動を開始してから徳永の持病︵舌癌︶が発覚した[3]。2004年8月17日に徳永が逝去したが、その後もアブラーズの活動は続いている。サニー徳永在籍時の曲に﹁太陽を追いかけろ﹂、﹁オゥ イェイ﹂などがある。
2018年10月24日、大阪・なんばHatchで行われたライブ﹁Roots Of Groove﹂で藤井フミヤがミッシェル藤井として出演[2][4][5]。﹁涙のリクエスト﹂を披露した[2][4][5]。
2023年、結成40周年を迎えるにあたりデビュー日である9月21日にアニバーサリーライブ﹁Roots Of Groove 40th﹂をLINE CUBE SHIBUYAで行った。
ディスコグラフィー
編集アルバム
編集- B.B.Q. Oil(2005年)
- CLOVER(2006年)
- SWINGIN' & SHAKIN'(2008年)
- Spin Off 1st issue(2009年)
- Have a Good Time(2011年)
- アブラのアドリブなんでアブリブなんちゃって(2022年) ※アドリブ曲集 CD13枚+おまけDVD1枚
シングル
編集- アブラ音頭(2005年)
DVD
編集- アブラーズ・デビューライブ「アブラーズの心」(2003年9月21日)
- アブラーズ・ツアー2005 「B.B.Q. Party」」[いつ?]
- a-bra:z 2006 TOUR「CLOVER TOUR」(おまけ映像:アブラサミット Vol.1)」[いつ?]
- 「4 of us」」[いつ?]
- 「アブラTV」」[いつ?]
- Swingin'&Shakin' TOUR DVD「ON THE MOVE」」[いつ?]
- Roots Of Groove 2018 In OSAKA(2020年9月1日)
その他
編集鈴木雅之トリビュートアルバム『SUZUKI MANIA』(2004年2月25日発売)に、「め組のひと」で参加。
ライブ
編集
●2003年9月21日 ﹁アブラーズの心﹂
●チェッカーズのデビュー20周年の日に、スタジオコーストにおいて、アブラーズがライブを行った。公演の告知はアンバサダー武内︵武内享︶のホームページのみにて告知された。なお、チケットは完売。ライブ当日は、テレビ電話にて藤井フミヤ︵同じ日に、福岡サンパレスでコンサート中︶がゲスト出演し、チェッカーズ時代のサポートメンバーであった八木橋カンペー︵キーボード︶とアンディ檜山︵パーカッション︶も参加した。
●2004年2月28日 - 3月14日 ﹁自給自足﹂
●アブラーズ、初の全国ツアー。ツアー最終日の東京公演のアンコールにて、藤井フミヤが﹁ミッシェル藤井﹂としてゲスト出演。﹁NANA﹂、﹁BLUES OF IF﹂を歌唱した。演奏陣4人をバックにフミヤが歌ったのは、この時が解散後初。
●2004年7月23日 ﹁あぶらまつり﹂
●アブラーズ初のオールナイトイベントで、4人が普段それぞれが活動しているグループ等も出演した。事実上、サニー徳永の最後のステージ。
●2005年4月9日 - 5月1日 ﹁B.B.Q. party﹂
●アブラーズのCD発売に合わせて行われた、2回目の全国ツアー。
●2005年7月29日 ﹁あぶらまつり﹂
●2回目のオールナイトイベント。
●2005年10月1日 - 11月19日 ﹁OIL SHOCK﹂
●3回目の全国ツアー
●2006年7月30日 ﹁あぶらまつり﹂
●チケットに﹁あらぶまつり﹂という誤植が発覚するも、メンバー[誰?]および関係者[誰?]が面白がって会場である新木場STUDIO COASTの看板にも﹁あらぶまつり﹂と掲げられていた。
●2006年﹁CLOVERツアー﹂
●全国11箇所で行われた。
●2006年11月16日 ﹁アブラサミット Vol.1﹂︵福岡[どこ?]︶
●2007年7月29日 ﹁あぶらまつり﹂
●新木場STUDIO COASTで行われた。
●2007年10月20日﹁アブラサミットVol.2﹂︵川崎CLUB CITT'A'TTIC︶
●2008年3月15日 - 3月30日﹁アブラーズ 2008ツアー“Swingin' & Shakin'” ﹂
●福岡[どこ?]、広島[どこ?]、大阪、名古屋[どこ?]、東京で行われた。
●2008年3月18日 ﹁3人だけのミニサミット ﹂︵京都メトロ大学︶
●2008年3月21日、3月28日、4月5日 ﹁アブラサミット 08!﹂
●大阪、川崎[どこ?]、札幌で行われた。
●2008年7月13日 ﹁あぶらまつり 2008﹂
●新木場STUDIO COASTで行われた。
●2011年8月12日、RISING SUN ROCK FESTIVAL 2011 in EZO
●Green Oasisステージ
●2018年10月24日、﹁Roots Of Groove﹂
●大阪・なんばHatchで開催[4][5]。藤井フミヤが﹁ミッシェル藤井﹂としてゲスト出演[4][5]。チェッカーズ時代の楽曲を披露した[4][5]。
脚注
編集
(一)^ “アブラーズのスペシャル・ゲストに藤井フミヤ登場! 涙のリクエスト他、チェッカーズ・ナンバーを披露!﹃薄目で見てくれれば、チェッカーズだから!﹄”. WWSチャンネル. WWS JAPAN 株式会社 (2018年10月26日). 2022年6月18日閲覧。
(二)^ abc“︻デビュー40周年︼藤井フミヤがフル稼働の一方、暴露本で“確執”明かした高杢禎彦は﹁1泊7000円の旅館スタッフ﹂に!チェッカーズの“現在地””. 週刊女性PRIME. 主婦と生活社 (2017年10月17日). 2023年10月8日閲覧。
(三)^ “諸星和己&鶴久政治新ユニット構想でグループ再結成にも注目”. NEWSポストセブン. 小学館 (2014年8月24日). 2022年6月18日閲覧。
(四)^ abcde“アブラーズのライヴに藤井フミヤが登場! チェッカーズ曲連発でファン感涙 | OKMusic”. okmusic.jp. JAPAN MUSIC NETWORK, Inc (2018年10月26日). 2022年6月18日閲覧。
(五)^ abcde“藤井フミヤ&アブラーズ︵チェッカーズの楽器チーム︶でチェッカーズ曲を大盤振る舞い︿Billboard JAPAN﹀”. AERA dot. (アエラドット). 朝日新聞社 (2018年10月26日). 2022年6月18日閲覧。