アルマニャック
地理
編集Baïse川(Baïse)谷中程に位置し、オーズとオーシュを東西につなぐ軸の周辺に位置する。
地方は以下の区分がされる:
- オータルマニャック(Haut-Armagnac)またはアルマニャック・ブラン(Armagnac blanc) - 石灰岩質の土壌を持ち、トウモロコシ栽培とブドウ栽培が盛ん
- バ=ザルマニャック(Bas-Armagnac)またはアルマニャック・ノワール(Armagnac noir) - ドゥーズ川とミドー川に近接する
- フェザンサック(Fézensac)
以下の地方が加わることもある:
- テナレーズ(Ténarèze) - コンドンの北西部
地質
編集歴史
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エリンベルム︵現在のオーシュ︶のアウシル族︵Auscii d'Elimberrum︶とエルサ︵現在のオーズ︶のエルサテス族︵les Elusatesd'Elusa︶は、どちらもアクイタニアで暮らす部族であった。
この地方はガスコーニュ公領の一部である、フェザンサック伯領となった。
960年、初代アルマニャック伯にベルナール1世がつき、彼を始祖とするアルマニャック家はジェロー1世、ベルナール2世と続いた。1040年から1052年にはベルナール2世がガスコーニュ公位を継承したため、伯領は1052年まで公領となった。彼の孫にあたるジェロー3世は、1140年以降フェザンサック伯領とアルマニャック伯領を統合した。1163年、この家系からフェゼンサゲ伯領が生まれた。
1245年にアルマニャック伯家男系が断絶すると、初代フェゼンサゲ伯ロジェの息子であるジェローがアルマニャック伯ジェロー6世となった。しかし1285年にジェロー6世が死ぬと2つの伯領は再び分離した。やがてジェロー6世の孫ジャン1世︵1311年 - 1373年︶と彼の子孫がアルマニャック伯領にロデーズ伯領、カルラ伯領、ロマニュ伯領、オーヴィラール伯領、コマンジュ伯領、シャロレ伯領を併合した。
アルマニャック伯領は息子ジャン2世、孫ジャン3世に受け継がれた。ジャン3世の後を継いだのは弟のベルナール7世で、彼は百年戦争中のアルマニャック派とブルゴーニュ派の内戦︵fr︶時にアルマニャック派の首領であった。1473年、フランス王ルイ11世の有名な敵であったジャン5世が死んだ。1481年、アルマニャック伯領はフランス王領に統合された。しかしシャルル8世は、伯領をジャン5世の弟シャルル1世へ返還した。
シャルル1世の後継となったのは、シャルル・ダランソン︵マルグリット・ド・ナヴァルの最初の夫︶、次いでアンリ・ダルブレ︵2度目の夫︶であった。アンリ・ダルブレとマルグリットの間に生まれたジャンヌ・ダルブレがアルマニャック伯領を継承し、その後ジャンヌの息子であるアンリ4世がフランス王位についたことで、1589年に王領となった。
1645年、ルイ14世はアルマニャック伯の称号をアルクール伯アンリ・ド・ロレーヌ︵fr︶へ授けた。この家系はフランス革命まで続いた。