アンジュー
アンジュー︵Anjou︶は、アンジェを州都としてフランス北西部にあった州の一つで、ほぼ現在のメーヌ=エ=ロワール県に対応する地方である。Anjouの-jou-は厳密には長音節とはならないので、﹁アンジュ﹂という表記もありうるが、実際には-jou-が第1音節-an-よりも長い音で発音される傾向があり、また﹁アンジュ﹂と表記すると、ange︵天使︶の日本語表記と混同されるおそれもあるので、﹁アンジュー﹂という表記は許容範囲内にあるといえる。主要な葡萄栽培の地方でもある。この地名は、古代ローマ時代にこの地方の住民であったガリア人のアンデカウィ族︵Andecavi︶に由来する。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f8/Carte_de_l%27Anjou.svg/300px-Carte_de_l%27Anjou.svg.png)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/ad/Flag_of_Anjou.svg/300px-Flag_of_Anjou.svg.png)
地理的区分
編集アンジューはロワール川北のアンジュー・シュペリウール(Anjou supérieur)と、南のアンジュー・アンフェリウール(Anjou inférieur)に分かれる。
アンジュー・シュペリウール
編集- le Baugeois, à l'est de la Sarthe
- le pays de Baugé,
- le pays de Céans (cant. de la Flèche)...
- le Segréen, à l'ouest de la fr:Sarthe
- la Bouère (Château-Gontier),
- le Craonnais
アンジュー・アンフェリウール
編集- du Saumurois à l'est du Layon
- du Bourg (cant. de Montreuil-Bellay),
- le Vaux (cant. de Gennes) etc.
- モージュ
歴史
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中世のアンジューはもと伯爵領で、1360年以降は公爵領となった。アンジューを統治していた貴族はアンジュー家と呼ばれるが、複数の家系が交替した。アンジューは、ナンテ︵ナント周辺︶、ヴァンドーム、メーヌ、マイエンヌといった近隣の伯爵領を服従させ、フランスの﹁大公国﹂︵principauté︶に数えられていた。
伯爵の一人ジョフロワ・プランタジュネは、イングランド王にしてノルマンディ公でもあったヘンリー1世の娘マチルダと結婚した。その結果、子供のヘンリー2世は、イングランド、ノルマンディ、アンジューを手に入れた。ヘンリー2世は、更にアリエノール・ダキテーヌとの結婚によってアキテーヌをも手にしたが︵アンジュー帝国︶、これは、その後の英仏の対立︵百年戦争︶の起源ともなった。
その後、この地はイングランド王ジョンの代にフランス王フィリップ2世によって回収されたが、以後も要地ということでフランス国王の有力な近親者がアンジュー伯︵公︶に叙されることが多く、そこを足がかりにフランス以外の王位を継承する例が多かった︵アンジュー=シチリア家、ヴァロワ=アンジュー家など︶。