エドワード・コルストン (ウェルズ選挙区の庶民院議員)
イギリスの政治家
生涯
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ロバート・コルストン(Robert Colston)とアン・ウォーターズ︵Ann Waters、ロバート・ウォーターズの娘︶の息子として生まれた[1]。ロンドンで商業を生業とした[2]。
1705年イングランド総選挙でブリストル選挙区から出馬、同名の伯父エドワード・コルストンも支持を表明したが、結局落選している[3]。このとき、伯父がまず出馬を求められたが辞退したため、代わりに甥のほうが出馬したとされる[3]。1708年イギリス総選挙ではウェルズ選挙区の現職2名が1人は不出馬、1人はカウンティ選挙区のサマセット選挙区に鞍替えしたため、コルストンがトーリー党候補として出馬して、無投票で当選した[2]。議会では1709年から1710年にかけての会期にヘンリー・サシェヴェレルの弾劾に反対票を投じ、1711年にスペイン継承戦争の講和に賛成、1713年6月にフランスとの通商法案に賛成票を投じた[1]。1713年イギリス総選挙に出馬せず、議員を退任した[1]。
1719年4月5日に死去、ブリストルの諸聖人教会に埋葬された[1]。
家族
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1704年8月4日にメアリー・ド・バート︵Mary De Bert、1733年没︶と結婚、1女をもうけた[1]。
●サラ︵1721年1月没[4]︶ - 1720年5月、奴隷商人のエドワード・コルストン︵父の伯父にあたる︶の相続人に指名されたが、彼に先立って死去した[1]
出典
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(一)^ abcdefgHanham, Andrew A. (2002). "COLSTON, Edward I (aft.1672-1719), of Bristol". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年6月13日閲覧。
(二)^ abWatson, Paula; Hanham, Andrew A. (2002). "Wells". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年6月13日閲覧。
(三)^ abHanham, Andrew A. (2002). "Bristol". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年6月13日閲覧。
(四)^ Hanham, Andrew A. (2002). "COLSTON, Edward II (1636-1721), of Mortlake, Surr.". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年6月13日閲覧。
グレートブリテン議会 | ||
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先代 ヘンリー・シーモア・ポートマン モーリス・バークリー |
庶民院議員(ウェルズ選挙区選出) 1708年 – 1713年 同職:ウィリアム・カワード |
次代 トマス・ストラングウェイズ・ホーナー モーリス・バークリー |