エミリー・ロイド
エミリー・ロイド︵Emily Lloyd, 1970年9月29日 - ︶は、イギリス出身の女優である。16歳のとき、イギリス映画﹃あなたがいたら/少女リンダ﹄で鮮烈なデビューを飾り、世界的に脚光を浴びる[1]。全米映画批評家協会賞の最優秀主演女優賞を受賞[2]。類稀な才能で将来を嘱望されるが、ほどなくして精神病を患い、﹁ハリウッド史上最も不運な女優﹂などと呼ばれた[3]。父は﹃ハリー・ポッターと炎のゴブレット﹄の出演などで知られる俳優のロジャー・ロイド=パック[4]。
エミリー・ロイド Emily Lloyd | |||||||||
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本名 | Emily Alice Lloyd-Pack | ||||||||
生年月日 | 1970年9月29日(53歳) | ||||||||
出生地 | イギリス | ||||||||
国籍 | イギリス | ||||||||
職業 | 女優 | ||||||||
著名な家族 |
ロジャー・ロイド=パック(父) チャールズ・ロイド=パック(祖父) | ||||||||
主な作品 | |||||||||
『あなたがいたら/少女リンダ』(1987年) 『リバー・ランズ・スルー・イット』(1992年) | |||||||||
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来歴
編集生い立ち
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1970年9月29日ロンドンにて、舞台俳優の祖父、テレビ/映画俳優の父、俳優エージェントの母という芸能一家に生まれる[4][5]。彼女が18か月の時に両親は離婚し、母方に引き取られる[6]。幼い頃から父に憧れて俳優を志し、15歳のとき、ロンドン中心部から南西に位置するウォーキング(Woking)の演劇アカデミーに通い始める[7]。
一躍スターダムに
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1987年、﹃あなたがいたら/少女リンダ﹄で映画デビュー[1]。田舎町に暮らす風変わりな少女リンダを伸びやかに演じ[8][9]、母国イギリスにとどまらず、カンヌやアメリカでも大きな話題を呼んだ。批評家からも余りある賛辞が寄せられ、英国アカデミー賞最優秀女優賞ノミネート[10]、イブニング・スタンダード英国映画賞と全米映画批評家協会賞の最優秀女優賞を受賞した[11][12][13]
。一躍スターダムにのし上がり、ハリウッドからオファーが殺到する[3][14]。
この時、エミリーの成功を受けてスティーブン・スピルバーグは﹁映画ビジネスに関わることなく、普通の子供になってディズニーランドに行きなさい﹂と警告し[3]、父ロジャーも勉学に励むことを望んでいた[14]。
ハリウッドでの不遇
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1988年、17歳で単身アメリカに渡ると、大人たちから最上級のセレブとして扱われ、ビバリーヒルズにそびえる一流ホテルのスイートルームが提供された[15]。彼女を起用したい映画監督やプロデューサーからは贅沢なプレゼントが贈られ、トップスターとのパーティーに明け暮れる夢のような日々を送った[14]。しかし、次第に精神のバランスを崩し、チック症、軽度の統合失調症、うつ病、集中力低下や幻聴などの症状が現れ、薬が手放せない状態に陥ってしまう[3][16]。これ以降、精神の不安定さと薬の副作用による倦怠感、それに伴う周囲との軋轢に苦しむ人生を送ることになる。
1989年、ピーター・フォーク主演﹃私のパパはマフィアの首領﹄のW主演の座をジョディ・フォスターを含む5,000人以上の女優を破って勝ち取る[3]。撮影中のエミリーの態度に腹を据えかねたピーターが平手打ちを喰らわせると、エミリーは泣くどころかピーターに平手打ちをし返したという逸話が残っている[15][17]。同年、ブルース・ウィリス主演﹃イン・カントリー﹄に出演。撮影中の不仲を噂されたが[3][17]、エミリー本人がこれを否定している[15]。いずれも撮影中は精神疾患の影響による不遜な態度で評判を落とすが、演技に対しては真摯に取り組んでおり批評家からは一定の評価を得ている[18][19]。
1990年、﹃恋する人魚たち﹄の契約後に、﹃プリティ・ウーマン﹄のオファーがあったため、やむなく後者を断っている[3]。しかし、﹃恋する人魚たち﹄主演のシェールが﹁自分の娘役にエミリーは相応しくない︵全く似ていない︶﹂と強く主張したため降板に追い込まれる[3]。エミリーは契約違反で映画製作会社を訴え17万5000ドルの損害賠償金を手にするが、キャリアにおける大きなチャンスを逃したことに変わりはなかった[3]。﹃プリティ・ウーマン﹄でエミリーがオファーされた役をジュリア・ロバーツが、﹃恋する人魚たち﹄でシェールの娘役をウィノナ・ライダーが務めている。同年、キーファー・サザーランド主演の﹃危険な遊戯 ハマースミスの6日間[注釈1]﹄で40年代のショーガールを演じ、高評価を得た[20]。当時、交際中のロック歌手ギャヴィン・ロスデイルの女グセの悪さに悩まされたエミリーは、彼の部屋で抗うつ薬を過剰摂取し手首を切る自殺未遂騒動を起こし、6週間の入院を余儀なくされた[14][21]。
1991年、フェイ・ダナウェイ主演の群像劇﹃セックスの義務と権利[注釈2]﹄に出演。
1992年、ロバート・レッドフォード監督の﹃リバー・ランズ・スルー・イット﹄で、ブラッド・ピットと共演[22][23]。この時の撮影では、エミリーに精神科医が付き添い、監督のロバート・レットフォードはエミリーの状況をよく理解し励まし続けた[24]。同年、ウディ・アレン監督﹃夫たち、妻たち﹄にキャスティングされるが、撮影中トレーラーに閉じ籠るなどの態度を理由に2週間で解雇される。のちに体調不良で嘔吐していたためと語っている[25]。エミリーの代役をジュリエット・ルイスが務めた。
1994年、テレビのSF短編﹃Override[注釈3]﹄に出演。
1995年、SFコミックの実写映画﹃タンク・ガール﹄の主演にキャスティングされるが、﹁役作りのための剃髪を拒否したため﹂という理由で監督に解雇される[26][27]。しかし事実ではなく、監督との性格の不一致が本当の原因だろうと語っている[28]。この映画のために4か月間トレーニングに励んでいたこともありダメージは大きく、エミリーの精神は崩壊してしまった[29]。同年、インディペンデント映画﹃Under the Hula Moon[注釈4]﹄の出演を最後にアメリカをあとにする。
挫折、そして安定の兆し
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1996年、25歳でロンドンに戻り、ノッティング・ヒルの映画館エレクトリックシネマで、映画100周年を記念して企画された、映画を題材にした戯曲﹃マックス・クラッパー - 絵の中の生涯﹄で舞台デビューを果たす[30]。同年、映画は﹃ドリームゴール[注釈5]﹄﹃DEAD GIRL/狂気の愛[注釈6]﹄﹃Masculine Mescaline[注釈7]﹄﹃BULLET バレット[注釈8]﹄﹃ウェルカム・トゥ・サラエボ﹄に出演[31][32]。
1997年、著名な舞台プロデューサーのビル・ケンライトが手掛ける戯曲﹃ピグマリオン﹄のイライザ役にキャスティングされるが、演出家がエミリーとは仕事ができないという理由で降りてしまう。他のキャストとも関係が悪化し、エミリー自ら降板した[17]。同年、インド滞在中に、精神疾患には禁忌とされる抗マラリア薬メフロキンを服用して体調を崩し、さらに、ダライ・ラマ法王との面会を待っている間に、寺院内の野良犬に噛まれてしまう[17][33]
。精神的にも肉体的にも衰弱し、2週間の旅で体重が13キロ減り、強迫性障害を発症[34]。しかし無理を押して、映画﹃迫撃者[注釈9]﹄に出演している[35]。
1998年、SF映画﹃ブランニュー・ワールド[注釈10]﹄に出演。
2002年、インディペンデント映画﹃The Honeytrap[注釈11]﹄に主演。批評家から高評価を受ける[35]。
2003年、テレビSF映画﹃リバーワールド﹄と[17]、インディペンデント映画﹃Hey Mr DJ[注釈12]﹄に出演。また、イギリス各地を巡業するシェイクスピア・フェスティバルの舞台﹃ハムレット﹄でオフィーリア役を演じたが[17]、評価は芳しくなかった[17]。
2005年、注意欠陥障害と診断され、治療に専念することを決意する。同年、新聞のインタビューで、ロンドン東部の質素なアパートに一人で暮らしていることや、リンダ役を演じたことは﹁祝福でもあり、呪いでもあった﹂など語っている[15]。
2008年、ショートフィルム﹃The Conservatory[注釈13]﹄に端役で参加。
2011年、父ロジャーとともに動物愛護団体を表敬訪問し、愛犬ランドルフと戯れる様子がカメラに収められている[36][注釈14]。
2013年、自伝﹁Wish I Was There︵私はそこに居ればよかったのに︶﹂を出版[5]。生い立ちから女優としてのキャリア、精神疾患まで、波瀾万丈な人生を赤裸々に綴った。幼少期に母の再婚相手から性的虐待を受けたことを告白し、そのことが自身が抱える数々の精神疾患に大きく関与していたことを認めている[14][37][38]。
2014年、1月に最愛の父ロジャーを膵臓癌で失う。同年10月、かねてから交際していたミュージシャンのクリスチャン・ジュップとの間に娘アラベルが生まれる[39]。44歳での出産であった。子供が産まれたことにより精神が安定したと語っており[38]、くしくもデビュー作﹃あなたがいたら/少女リンダ﹄のリンダと同じ状況となった[14][39]。
2017年、﹃あなたがいたら/少女リンダ﹄の30周年記念上映会に登壇した。ロケ地であるイングランド南部ウェスト・サセックスのワージング(Worthing)で映画史に関する書籍出版に合わせたもので、デヴィッド・リーランド監督らとともに元気な姿を見せ、大きな歓声を浴びた[40]。
人物・エピソード
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●1987年﹃あなたがいたら/少女リンダ﹄公開時、英国版モリー・リングウォルド[41]や第二のマリリン・モンロー[14]などとも言われた。また来日時、不遜な態度で映画の役柄そのままだとも噂された[42]。
●渡米して直ぐ、ショーン・ペンやヴァル・キルマーらトップスターと交流し、ジャック・ニコルソンやレオナルド・ディカプリオ、ドナルド・トランプとも顔を合わせていたと明かしている[14]。
●1993年から1994年末、俳優のダニー・ヒューストンと交際していた[15]。
●鮮烈なデビューで多くの人の記憶に残っていることから、﹁あの人は今﹂のような扱いをしばしば受けている[3]。
出演作品
編集映画
編集公開年 | 邦題 原題 |
役名 | 形態 | 備考 |
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1987 | あなたがいたら/少女リンダ Wish You Were Here |
Lynda Mansell | ||
1989 | 私のパパはマフィアの首領 Cookie |
Carmela 'Cookie' Voltecki | ||
1989 | ブルース・ウィリス/イン・カントリー In Country |
Samantha Hughes | ||
1990 | 危険な遊戯 ハマースミスの6日 Chicago Joe and the Showgirl |
Betty Jones | [注釈 1] | |
1991 | セックスの義務と権利 Scorchers |
Splendid | [注釈 2] | |
1992 | リバー・ランズ・スルー・イット A River Runs Through It |
Jessie Burns | ||
1995 | Under the Hula Moon | Betty Wall | [注釈 4] | |
1995 | 百一夜 A Hundred and One Nights (仏題:Les Cent et une nuits de Simon Cinéma) |
|||
1996 | ドリームゴール When Saturday Comes |
Annie Doherty | [注釈 5] | |
1996 | DEAD GIRL/狂気の愛 Dead Girl |
Mother | [注釈 6] | |
1996 | Masculine Mescaline | Charlotte | 短編 | [注釈 7] |
1997 | BULLET バレット Livers Ain't Cheap (別名:The Real Thing) |
Lisa Tuttle | [注釈 8] | |
1997 | ウェルカム・トゥ・サラエボ Welcome to Sarajevo |
Annie McGee | ||
1998 | 迫撃者 Boogie Boy |
Hester | [注釈 9] | |
1998 | ブランニュー・ワールド Brand New World (別名:Woundings) |
Kim Patterson | [注釈 10] | |
2002 | The Honeytrap | Catherine | [注釈 11] | |
2003 | Hey Mr DJ | Angela | [注釈 12] | |
2008 | The Conservatory | Audition Monitor | 短編 | [注釈 13] |
テレビドラマ/テレビ映画
編集公開年 | 邦題 原題 |
役名 | 形態 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1988 | Tickets for the Titanic | Polly | ドラマ | Episode: "Everyone a Winner" |
1994 | Override | Avis | テレビ短編映画 | [注釈 3] |
1996 | Strangers | Jennie | ドラマ | Episode: "Costumes" |
2001 | Dark Realm | Emma | ドラマ | Episode: "Emma's Boy" |
2003 | リバーワールド Riverworld |
Alice Lidell Hargreaves | テレビ映画 |
受賞・ノミネート
編集映画賞 | 部門 | 作品 | 結果 | 出典 |
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全米映画批評家協会賞 | 最優秀女優賞 | あなたがいたら/少女リンダ | 受賞 | [2] |
イブニング・スタンダード英国映画賞 | [11] | |||
英国アカデミー賞 | ノミネート | [10] |
書籍(自伝)
編集- Lloyd, Emily (2014). Wish I Was There. John Blake Publishing. ISBN 978-1782199588
出典
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(一)^ abClarke, Jude (2017年4月17日). “How we made Wish You Were Here” (英語). The Guardian. 2024年3月13日閲覧。
(二)^ ab“Past Awards”. National Society of Film Critics (2009年12月19日). 2021年12月10日閲覧。
(三)^ abcdefghijArnold, Ben (2016年7月27日). “Emily Lloyd: The Unluckiest Actress In Hollywood History”. Yahoo! Movies. 2018年12月16日閲覧。
(四)^ abLloyd 2014, p. 1.
(五)^ ab“Wish I Was There”. Andrew Lownie Literary Agency. 2013年7月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月4日閲覧。
(六)^ Lloyd 2014, p. 4.
(七)^ Lloyd 2014, p. 5.
(八)^ Maslin, Janet (1987年7月24日). “FILM: 'Wish You Were Here'”. The New York Times. 2024年3月13日閲覧。
(九)^ Ebert, Roger (1987年7月31日). “Wish You Were Here”. Chicago Sun-Times. 2014年9月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月16日閲覧。
(十)^ ab“Actress in a Leading Role in 1988”. British Academy of Film and Television Arts. 2018年12月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月16日閲覧。
(11)^ ab“British stars in their Glory”. The Stage: p. 21. (1988年1月28日)
(12)^ “Film Critics' group honors 'The Dead'”. The New York Times (1988年1月4日). 2013年1月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月16日閲覧。
(13)^ Kehr, Dave (1988年1月4日). “Film Critics Honor 'Hope And Glory'”. Chicago Tribune. オリジナルの2018年12月16日時点におけるアーカイブ。 2018年12月16日閲覧。
(14)^ abcdefgh“Emily Lloyd enchanted us in Wish You Were Here - then suffered years of mental turmoil”. Daily Mail Online (2020年5月30日). 2020年5月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月16日閲覧。
(15)^ abcdeKerrins, Suzanne (2005年9月1日). “I Wish I Wasn't Cursed: Secret Hell of Film Star Emily Lloyd”. 2009年3月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月15日閲覧。
(16)^ Lloyd 2014, p. 67.
(17)^ abcdefgJardine, Cassandra (2003年7月23日). “Wild Child Who Went Over the Edge”. The Daily Telegraph. 2005年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月16日閲覧。
(18)^ Vincent, Canby (1989年8月23日). “Review/Film; Father and Daughter, in and Against the Mob”. The New York Times. 2018年6月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月16日閲覧。
(19)^ Groen, Rick (1989年9月15日). “Festival of Festivals: In Country”. The Globe and Mail
(20)^ Ebert, Roger (1990年7月27日). “Chicago Joe and the Showgirl”. RogerEbert.com. 2017年12月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月16日閲覧。
(21)^ Lloyd 2014, pp. 96–97.
(22)^ “'A River Runs Through It': THR's 1992 Review”. The Hollywood Reporter (2017年9月10日). 2018年12月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月29日閲覧。
(23)^ Malcolm, Johnson (1992年10月30日). “Redford Capsizes 'A River Runs Through It'”. Hartford Courant. 2018年12月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月29日閲覧。
(24)^ Kerrins, Suzanne (2005年9月1日). “I Wish I Wasn't Cursed: Secret Hell of Film Star Emily Lloyd”. 2009年3月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月15日閲覧。
(25)^ Lloyd 2014, p. 103.
(26)^ Rachel Talalay (2013). Too Hip For Spielberg: An interview with Director Rachel Talalay (Blu-ray featurette).
(27)^ Anderson, Martin (2008年8月5日). “Rachel Talalay for Tank Girl reboot”. Dennis Publishing. 2018年5月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月16日閲覧。
(28)^ Lloyd 2014, p. 142.
(29)^ Lloyd 2014, p. 143.
(30)^ Sweet, Matthew (1996年11月24日). “Stage, Screen and in Between”. The Independent. 2018年12月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月16日閲覧。
(31)^ Ebiri, Bilge (2018年7月13日). “Around the World in 51 Soccer Movies”. The Village Voice. 2018年9月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月16日閲覧。
(32)^ Maslin, Janet (1997年11月26日). “Film Review; Dangers And Jitters Of Life in Sarajevo”. The New York Times. 2018年11月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月16日閲覧。
(33)^ “Lariam”. The American Society of Health-System Pharmacists. 2012年1月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月16日閲覧。
(34)^ Lloyd 2014, pp. 165–168.
(35)^ ab“Emily Lloyd”. AllMovie. 2018年11月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月16日閲覧。
(36)^ “Behind the Scenes with Roger and Emily”. YouTube. 2024年3月16日閲覧。
(37)^ “Emily Lloyd blocked out abuse memories for years”. Daily Express (2013年5月12日). 2018年12月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月18日閲覧。
(38)^ abLloyd 2014, p. 83.
(39)^ ab“Emily Lloyd: I wish my dad 'Trigger' could have met his new granddaughter”. Daily Mirror. (2015年5月9日). オリジナルの2017年8月18日時点におけるアーカイブ。 2024年3月16日閲覧。
(40)^ “Wish You Were Here 30th Anniversary event”. YouTube 慈善団体﹁Worthing WOW﹂チャンネル. 2024年3月23日閲覧。
(41)^ ﹃CINE SWITCH Vol.1﹄株式会社フジテレビジョン、1987年12月19日、29頁。
(42)^ ﹃CINE SWITCH Vol.1﹄株式会社フジテレビジョン、1987年12月19日、26頁。
注釈
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(一)^ ab﹃危険な遊戯 ハマースミスの6日間﹄︵1990年︶第二次世界大戦中のロンドンを舞台に、ギャングを気取る脱走兵の男と映画スターを夢見る女の危険な6日間を描く、実際に起こった事件をもとにした人間ドラマ。
(二)^ ab﹃セックスの義務と権利﹄︵1990年︶ルイジアナ州の田舎町を舞台に、新婚ながらセックス恐怖症の女性、自分を抱いてくれない夫に不満を募らせる女性、自分を買った男の妻に逆恨みされ命を狙われる娼婦など、現代人のセックスの悩みを風刺した群像劇コメディ。
(三)^ ab﹃Override﹄︵1994年︶テレビで放映されたSF短編。著名な俳優ダニー・グローヴァーの監督デビュー作。
近未来︵2023年︶、新たに発足した貧困層向けの国家プロジェクトにより、子供給付と自動制御トラックドライバーの職を得たシングルマザーの黒人女性が、給付金目的の男にそそのかされ、子供を奪われそうになる風刺ドラマ。
(四)^ ab﹃Under the Hula Moon﹄︵1995年︶アリゾナ州の砂漠で、ハワイ風に装飾したトレーラーハウスで暮らす1組の男女が、刑務所から脱走してきた凶悪な異母兄弟の出現により騒動に巻き込まれるドタバタコメディ。
(五)^ ab﹃ドリームゴール﹄︵1996年︶プロサッカー選手の夢をあきらめ、日々を消化するだけの生活を送っていた一人の男が、ある女性との出会いで再び夢を取り戻し、栄光を掴みとるまでを描いたヒューマンスポーツドラマ。﹃あなたがいたら/少女リンダ﹄のデヴィッド・リーランド監督が司祭役を務め、エミリーとの共演を果たしている。
(六)^ ab﹃DEAD GIRL/狂気の愛﹄︵1996年︶売れない俳優アリが、ヘレンという美しい女性を殺してしまうが、まだ生きていると信じこみ、死体と共同生活するコメディ。
(七)^ ab﹃Masculine Mescaline﹄︵1996年︶短編映画。ロンドンのアルコール中毒者が、天使によって自らの責任と向き合うことを強いられる物語。
(八)^ ab﹃BULLET バレット﹄︵1996年︶真っ当な道を歩もうとする前科者の男が、ギャングの襲撃で肝臓移植が必要になった弟のために、かつての仲間を集めてチームを組み、ギャングの強盗計画を横取りしようとする犯罪バイオレンス。
(九)^ ab﹃迫撃者﹄︵1998年︶真っ当な道を歩もうとする前科者の男が、バンドマンとして再起を図ろうとするのだが、麻薬取引のトラブルに巻き込まれ、命を狙われてしまう犯罪バイオレンス。
(十)^ ab﹃ブランニュー・ワールド﹄︵1998年︶イギリスの近未来に起こる内戦を舞台に、兵士の葛藤や戦地で物のように扱われる女性の内面に焦点を当てた異色のSF。
(11)^ ab﹃The Honeytrap﹄︵2002年︶恋人を深く愛していながらもどこかで裏切られる不安を抱えているキャサリンが、謎の隣人に紹介された私立探偵の提案で、将来の夫をテストすることになり、次第に恐怖に巻き込まれていく心理サスペンス。
(12)^ ab﹃Hey Mr DJ﹄︵2003年︶レトロなナイトクラブのDJボックスだけが唯一の癒しだった30代の会社員ライアンが、強烈なカリスマ性を持つ凶暴な男オスカーと出会い、狂気に巻き込まれていくバイオレンスホラー。
(13)^ ab﹃The Conservatory﹄︵2008年︶ミュージカル音楽院に通う4人の高校生がオーディションの枠を巡って熱き闘いを繰り広げる短編コメディ。
(14)^ イギリス原産の犬種スタッフォードシャー・ブル・テリアが、凶暴なピットブルとの容姿の類似により同一視されてしまう現状を危惧し、誤解を解くための啓蒙活動に賛同している。