エルザ (ライオン)
アダムソン夫妻に育てられたメスのライオン
生涯
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エルザには、2頭の姉妹ライオン﹁ビッグ・ワン﹂︵Big One︶ と﹁ラスティカ﹂︵Lustica︶[1]がいた[2]。ジョージは狩猟監視の業務遂行中に、やむなく母ライオンを殺す事態に陥ったため、生後数週間で孤児となった3頭を保護して連れ帰ったのだった[2]。エルザは3頭の子ライオンのうち、一番体が小さかったが、性質は勇敢で好奇心旺盛だった。ジョイは、その子ライオンが彼女の知人女性に似ていると思い、その女性の名にちなんで﹁エルザ﹂と呼ぶようになった。生後5ヶ月を過ぎた頃、ビッグ・ワンとラスティカはオランダのロッテルダム動物園︵en:Diergaarde Blijdorp︶に引き取られ、アダムソン家にはエルザのみが残った[2]。
幼いころのエルザは、飼いならされたペットと同様にジョイの元で過ごした。エルザが最も信頼したジョイは、エルザとの関係をペットと同様だと看做していた。ジョイは断固として、エルザが野生で狩をして、そして独力で生き抜くための訓練を施した[2]。ジョイの尽力は報われ、エルザは彼女の元を離れていった[2]。
やがて3歳になったエルザは、アダムソン夫妻のもとに3頭の子ライオンを引き連れて訪れた。エルザは以前と同様に、夫妻に対して親愛の情を示した。夫妻はエルザの子ライオンに、オスの2頭はジェスパ︵Jespah︶[3]、ゴパ︵Gopa︶[4]、そしてメスにはリトル・エルザ︵Little Elsa︶と名づけた。エルザとその子供たちについては、ジョイが﹃野生のエルザ﹄︵Born Free、1960年︶に続いて発表した﹃永遠のエルザ︵Living Free︶﹄︵1961年︶に記述されている。
エルザは、ネコ属の動物がしばしば感染するマラリアに類似した性質を持つバベシア症が引き起こす感染症に罹患し、赤血球を破壊されて死んだ。エルザの遺骸は、メル国立公園︵en:Meru National Park︶内に埋葬された。
エルザの死後、遺された3頭の子ライオンはアダムソン夫妻を含めた全ての人間との接触を嫌うようになった。3頭は捕獲されて、ケニアの隣国タンガニーカ︵現在のタンザニア︶にあるセレンゲティに移送された。夫妻はたびたびセレンゲティを訪れた。最初のころは3頭に会うこともできたが、その後姿を見かけることもなくなった。それでも夫妻は、エルザの子供たちとその子孫がセレンゲティで生き抜いていることに期待を持っていた。
エルザは、ジョイの著作﹃野生のエルザ﹄を始めとした三部作[5]と﹃野生のエルザ﹄を原作にした同名の映画﹃野生のエルザ﹄︵en:Born Free、1966年︶で名を残すことになった[6]。
脚注
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(一)^ ﹁陽気な子﹂という意味である。
(二)^ abcde“﹁野生のエルザ﹂の真実”. BS朝日. 2019年6月4日閲覧。
(三)^ この名は、現地に住むメル族の間で人気のある名前だったという。
(四)^ スワヒリ語で﹁臆病﹂という意味である。
(五)^ ﹃Born Free﹄に続く﹃Living Free﹄︵1960年︶と﹃Forever Free﹄︵1961年︶の2冊は、日本においては﹃永遠のエルザ﹄︵1962年︶、﹃わたしのエルザ﹄︵1963年︶、﹃エルザの子供たち﹄︵1964年︶の3冊に分けて文芸春秋新社から発行された。
(六)^ Born Free (1966) インターネットムービーデータベース、2010年12月27日閲覧
参考文献
編集関連項目
編集外部リンク
編集- Tribute to Elsa the Lioness 2010年12月27日閲覧
- Born Free Foundation 2010年12月27日閲覧