クラリオンガール
概要
1975年に初代のアグネス・ラムが選ばれて以降、烏丸せつこ、宮崎ますみ、蓮舫、大河内志保、立河宜子、原千晶といった著名タレントを生み出してきた[注1]。1997年︵平成9年︶までは水着審査などグラビアアイドル的な容姿が重視され、芸能界デビューの登竜門といわれていた。
1998年から﹁クラリオンガール・スカラーシップ﹂と改名され[4][5]、目標や夢の実現に向け頑張る人を応援するという企画として﹁何かしら目標を持ち、それに突き進む女性﹂という選考基準が採用され[6]、水着審査は廃止された[7][8]。
2002年には中断したが、2003年からは、フジテレビジョンとの共催によるインターネット・携帯サイト連動型企画として﹁クラリオンガール・オーディション﹂の名称で再開された[4]。企画内容も﹁メディアデビューを目標とし音楽を愛する女性﹂に変更となり[4]、歌唱、楽器演奏、ダンス、DJなどなどが審査対象になった[8]。しかし、クラリオンが日立製作所に買収された2006年︵平成18年︶の選出を最後に終了した[7]。
歴代クラリオンガール
- 第1回:アグネス・ラム(1975年)
- 第2回:マイレ・デール(1976年)
- 第3回:サビーネ・金子(1977年)
- 第4回:堀川まゆみ(1978年)
- 第5回:田中なおみ(1979年)
- 第6回:烏丸せつこ(1980年)
- 第7回:長谷川由美(1981年)
- 第8回:大竹かおる(1982年)
- 第9回:香川えみ(1983年)
- 第10回:黒川ゆり(1984年)
- 第11回:宮崎ますみ(1985年)
- 第12回:塩川美佳(1986年)
- 第13回:川島みき(現・川島だりあ、1987年)
- 第14回:蓮舫(1988年)
- 第15回:結城めぐみ(1989年)
- 第16回:かとうれいこ(1990年)
脚注
注釈
(一)^ 書籍﹃アグネス・ラムのいた時代﹄によると、クラリオンガールという用語が正式に使用されるようになったのは1979年︵第5代・田中なおみ︶以降で、初代から第4代までは﹃平凡パンチ﹄とクラリオンの意向により、後付けのような形でクラリオンガールと呼ばれるようになったという[3]。
出典
(一)^ 北島友和 (2009年12月25日). “挑戦し続けるカーAV界のフロントランナー クラリオン70年の歩み”. Response. 2021年9月20日閲覧。
(二)^ “スター登竜門のキャンギャルの歴史 近年の新潮流は?”. 週刊ポスト: p. 1. (2018年4月14日) 2021年9月20日閲覧。
(三)^ 長友, 健二、長田, 美穂﹃アグネス・ラムのいた時代﹄中央公論新社︿中公新書ラクレ 238﹀、2007年2月、17-18, 28頁頁。ISBN 9784121502384。 NCID BA80583399。
(四)^ abc﹃Web Scholarship Clarion MEDAMA -MEZASE DAIBA MUSIC AUDITION-を実施﹄︵プレスリリース︶クラリオン株式会社、2003年5月30日。2021年9月20日閲覧。
(五)^ やかん (2000年9月12日). “2001クラリオンガール・スカラーシップ発表記者会見レポ”. web CG 2021年9月20日閲覧。
(六)^ “新クラリオンガールは歌手志望”. web CG. (1998年9月17日) 2021年9月20日閲覧。
(七)^ ab岡野誠 (2016年5月29日). “水着キャンギャルの終焉 背景に企業広告の方針変更”. 週刊ポスト 2021年9月30日閲覧。
(八)^ ab“クラリオンガールオーディション2004&クラリオンミュージックオーディション2004”. スクランブルエッグ on the Web (2004年7月24日). 2021年9月20日閲覧。