サービスパンダ
サービスパンダは、かつてアミー・パークで活動していた日本のお笑いコンビ。1996年結成、2001年解散。
サービスパンダ | |
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メンバー |
飯田ヒロシ 吉岡ヤスタカ |
別名 | ビスパン |
結成年 | 1996年 |
解散年 | 2001年 |
事務所 |
渡辺プロダクション →アミー・パーク |
活動時期 | 1996年 - 2001年 |
現在の活動状況 | 解散(飯田は取締役、吉岡はマネージャーとして活動) |
芸種 | コント |
過去の代表番組 |
タモリのボキャブラ天国 爆笑オンエアバトル 火消し屋小町 など |
メンバー
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●飯田 ヒロシ︵本名:飯田 寛︵いいだ ひろし︶、1970年7月5日︵53歳︶ - ︶、大阪府吹田市出身、ボケ担当。大阪芸術大学短期大学部出身。
●コンビ結成前はバンド﹁Bonnie Duck!?﹂のパーカッション︵その前はドラム︶を担当。城天︵大阪城公園内のストリートライブ︶を経て、上京後の1992年にトイズファクトリーよりメジャーデビューを果たす[2][3]。
●シャ乱Qとは城天時代から交流があり、ライブハウスで対バンや一緒にイベントを行うような間柄だった[3]。
●Bonnie Duck!?解散後に芸能関係の仕事に就きたいと考え、以前もらったアミー・パークのスタッフの名刺を頼りに、同事務所社長の網井雄三に手紙と履歴書を送付。網井との面接を経て、モト冬樹の付き人を3年経験する[3]。
●子役として、CM出演の経験もある[3]。
●吉岡 ヤスタカ︵本名:吉岡 靖喬︵よしおか やすたか︶1977年3月22日︵47歳︶ - ︶、東京都福生市出身、ツッコミ担当。
概要
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●コンビ名の由来は﹁昼寝をしてても人気者のパンダがサービスをする、これ以上ありがたい状態はない﹂という意味から。
●モト冬樹の付き人をしていた飯田は﹁タモリのボキャブラ天国﹂への出演︵キャブラー︶に憧れており、当時モトが出演していた﹁THE夜もヒッパレ﹂の制作会社であるハウフルスが同番組も担当していたことから、マネージャーを通じて社長の菅原正豊との連絡を取り付ける。そこで菅原からネタを作るようにアドバイスを受け、ピン芸人として渡辺プロダクションのライブに出演する。その後同ライブに出演していた吉岡に声をかけ、コンビ結成[3]。
●TVやライブ出演時はオリジナルTシャツを着用していた。
解散後
編集飯田
編集シャ乱Q時代から交流のあったつんく♂が総合プロデュースを手掛けていたハロー!プロジェクトのバックバンドのドラマーやコンサートのスタッフなど裏方の活動やゲームソフト「リズム天国」シリーズの監修サポートも務める。
またアップフロントグループのレコード会社であり、つんく♂が代表取締役のTNXで執行役員を務めるなどし[4]、2020年現在は同グループで商品企画やデザインを担当[2]。
吉岡
編集引き続きアミー・パークに所属し俳優に転じたが後に引退し、同社でマネジャーに転向。担当したタレントはモト冬樹、U字工事など。なお上記の通り、飯田もモトの付き人を経験している。
出演
編集テレビ
編集映画
編集- 赤い月 (解散後に吉岡が出演)
出典
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(一)^ ﹁お笑いタレント事典 若手大集合﹂︵キネマ旬報社、1996年︶
(二)^ ab“ステージに立つ仕事を辞めたまえとあと / 飯田寛︵アップフロントグループ︶”. まえとあと (2020年7月27日). 2022年8月23日閲覧。
(三)^ abcde(日本語) ︻白と黒のエクスタシー!︼元﹃サービスパンダ﹄飯田さんパート①︻辞めた芸人に話を聴こう︼ 2022年8月23日閲覧。
(四)^ ah105wno7c (2013年9月10日). “日本映像機材レンタル協会 & ピーオーピー合同企画 座談会 観客を魅了するステージ演出の舞台ウラ︵その1︶”. 展示会とMICE. 2022年8月23日閲覧。