ジョン・デリンジャー
ジョン・ハーバート・デリンジャー・ジュニア John Herbert Dillinger Jr | |
---|---|
生誕 |
1903年6月22日 アメリカ合衆国・インディアナ州インディアナポリス |
現況 | 死没 |
死没 |
1934年7月22日(31歳没) アメリカ合衆国・イリノイ州シカゴ |
別名 | 社会の敵No.1 |
職業 | ギャング |
罪名 |
殺人 銀行強盗 |
配偶者 | ベリル・ホービス(5年で離婚) |
生涯
編集生い立ち
編集初めての刑務所暮らし
編集社会の敵ナンバーワン
編集逮捕~救出
編集仮釈放からわずか4ヶ月後、警察はデリンジャーが刑務所仲間の妹のメアリー・ロングネッカー(Mary Longnecker,23)と付き合っているのを突き止め、オハイオ州デイトンの彼女のアパートに踏み込んで逮捕した。アパートには現金2,600ドルと拳銃4丁、追跡車両をパンクさせるための絨毯用の釘が入った布袋が見つかった。
デリンジャーはオハイオ州ライマにある拘置所に収監されたが、1933年10月12日、インディアナ州を脱獄したばかりのピアポントらが拘置所に乗り込み救出した。
その2日後、インディアナ州オーバーン警察署に押し入り、2人の警官を銃で脅しトンプソン短機関銃、拳銃数丁、スプリングフィールド銃、自動小銃、ショットガン、大量の弾薬、防弾チョッキ3着などを強奪した。所要時間はわずか数分で負傷者はなかった。さらに10月20日、インディアナ州ペルーの警察署から再び銃と弾薬、防弾チョッキを奪い、その3日後にインディアナ州グリーンキャッスルの銀行で7万4千ドル(現在の約150万ドル)を強奪した。当局はギャングの宣戦布告と見なし500人の州兵や志願兵を動員して対ギャング部隊を結成した。また連邦法に触れていないにもかかわらず、DOI(後のFBI)も捜査に参加した。
翌月の11月、シカゴのナイトクラブでビリー・フレシェットと出会い、12月後半はフレシェットを連れてフロリダ州デイトナビーチで滞在した。
デリンジャーギャングは以前にも増して次々と銀行強盗を行ったが、1934年1月15日にオハイオ州イーストシカゴのファースト・ナショナル銀行を襲った時にデリンジャーは初めての殺人を犯してしまう。銀行に駆けつけた警察との銃撃戦の際、オマリー巡査を射殺してしまったのである。
逮捕~脱走
編集リトル・ボヘミア・ロッジ
編集犯罪王の最期と「赤いドレスの女」
編集その他のエピソード
編集自動車
編集ヘンリー・フォード宛ての手紙
編集新聞広告
編集ミルウォーキーにあるフォードのディーラーはデリンジャーを新聞広告に利用した。リトル・ボヘミア・ロッジの事件のあと「ジョン・デリンジャーは捕まえられるのか?」という新聞折込チラシが配布された。ページをめくると「フォードV8に乗っている限り不可能だ!」「クラウンポイントの脱獄とリトル・ボヘミア・リゾートで使ったのもフォードV8だった」と車の宣伝が書かれ、その下に性能やスペックの説明があった。(実際にはリトル・ボヘミア・ロッジで使ったのは4気筒だった)
警察の特装車両
編集インディアナ州のサウスベンド警察は、1934年6月30日のサウスベンドの銀行強盗のあと1934年型スチュードベーカー・プレジデントの特装車を注文した。フロントウィンドウの開閉式の銃眼(狭間)、タイヤとラジエーターグリルの装甲板、強力なエンジンなどを装備しギャングに対抗しようとしたが、3週間後にデリンジャーは死亡し一度も使われることなく数年後に解体された[9]。
デリンジャー亡き後、オハイオ州のカントン警察はサウスベンド署を真似て1937年型スチュードベーカープレジデントを改造した。装甲板と厚さ30ミリの防弾ガラスを装備し重量は1トン増した。新車価格約1,200ドルに対して改造費は5,400ドルを要した[10]。
大衆文化への影響
編集義賊的なデリンジャーの人生はしばしば映画や音楽など、大衆文化の主題として採り上げられている。
映画・ドラマ
編集音楽
編集小説
編集- 『Gマン 宿命の銃弾』 - G-Man (2017年) ※スティーヴン・ハンターによる小説『スワガー・サーガ』シリーズの一作。ギャング団リーダーとして登場
デリンジャーと周辺の出来事の時系列
編集年月日 | 出来事 | 備考・その他 | |
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1903年 | 6月22日 | ジョン・デリンジャーがインディアナポリスで生まれる。 | |
10月24日 | メルヴィン・パーヴィスがサウスカロライナで生まれる。 | 後の捜査官。デリンジャー捜査班のリーダー。 | |
1920年 | 1月16日 | 禁酒法が施行される。 | |
1920年 | デリンジャー家族がインディアナ州ムーアズヴィルに移り住む。 | ||
1923年 | 12月4日 | 海軍を不名誉除隊。 | |
1924年 | 5月10日 | J・エドガー・フーヴァーが捜査局局長に任命。 | |
9月6日 | フランク・モーガンの雑貨店で初めての強盗を行う。 | ||
9月16日 | 10日前の強盗で逮捕。ペンドルトン少年院で10~20年の懲役刑。 | ||
12月16日 | ベリル・ホーヴィスと結婚。 | ||
1929年 | 6月20日 | ベリルと離婚。 | |
7月15日 | 少年院からインディアナ州立刑務所に移送される。 | ||
10月24日 | 世界恐慌が始まる。 | ||
1931年 | 10月24日 | アル・カポネに脱税で懲役10年の有罪判決。 | |
1933年 | 5月22日 | インディアナ州刑務所を仮釈放。 | |
6月10日 | オハイオ州ニューカーライルで初めての銀行強盗。 | ||
7月17日 | インディアナ州デールビルのコマーシャル銀行を襲撃。被害額3,500ドル。 | ||
8月4日 | インディアナ州モントピリアのモントピリア国立銀行を襲撃。被害額6,700ドル。 | ||
8月14日 | オハイオ州ブラフトンのブラフトン銀行を襲撃。被害額6000ドル。 | ||
9月6日 | インディアナポリスのマサチューセッツ州立銀行を襲撃。被害額21,000ドル。 | ||
9月22日 | 銀行強盗で逮捕。オハイオ州ライマの郡拘置所に収容される。 | ||
9月26日 | インディアナ州立刑務所からハリー・ピアポントら10人の囚人が脱獄。 | ||
マシンガン・ケリーが逮捕される。 | |||
10月12日 | ハリー・ピアポントら3人がデリンジャーをライマの郡拘置所から救出。 | ||
10月23日 | インディアナ州グリーンキャッスルのセントラルナショナル銀行を襲撃。 被害額75,000ドル。 | デリンジャーギャングとしての最初の強盗事件。 | |
11月 | ビリー・フレシェットと出会う。 | ||
11月20日 | ウィスコンシン州ラシーンのアメリカン&トラスト銀行を襲撃。被害額28,000
ドル。 |
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12月5日 | 禁酒法が廃止される。 | ||
12月13日 | シカゴのユニティ信託貯蓄銀行を襲撃。 | ||
12月20日 | ビリー・フレシェットとフロリダ州に休暇旅行。 | ||
1934年 | 1月1日 | アルカトラズ刑務所が開設される。 | |
1月15日 | イーストシカゴのファーストナショナル銀行を襲撃。警官に撃たれるが防弾チョッキに救われる。被害額25,000ドル。 | オマリー巡査を殺害。 | |
1月22日 | アリゾナ州ツーソンに逃亡中、ホテルで火災が発生し正体が発覚。 | ||
1月25日 | ツーソンの隠れ家で逮捕。 | ||
1月30日 | インディアナ州クラウンポイントのレイク郡拘置所に移送。 | ||
3月3日 | レイク郡拘置所を脱走。アフリカ系アメリカ人のハーバート・ヤングブラッドも一緒に逃亡。 | 捜査局の管轄下となる。 | |
3月6日 | サウスダコタ州スーフォールズの信託銀行を襲撃。被害額50,000ドル。 | ||
3月13日 | アイオワ州メイソンシティのファーストナショナル銀行を襲撃。被害額52,000ドル。 | ||
3月16日 | H・ヤングブラッドが保安官に射殺される。 | ||
3月24日 | ハリー・ピアポントとチャールズ・マクレイに死刑判決、ラッセル・クラークには終身刑。 | ||
3月31日 | ミネソタ州セントポールのアパートで捜査局と銃撃戦。大腿部を撃たれる。 | ||
4月5日 | インディアナ州ムーアズヴィルの父親にビリー・フレシェットを紹介する。 | ||
4月9日 | シカゴでビリー・フレシェットを逮捕。 | ||
4月22日 | リトル・ボヘミア・ロッジで捜査局の奇襲を受ける。 | ||
4月26日 | ジョン”レッド”・ハミルトンが死亡。 | ||
5月23日 | ビリー・フレシェットに懲役2年の実刑判決。 | ||
ボニーとクライドが射殺される。 | |||
5月27日 | ホーマー・ヴァン・メーターと共に整形手術を受ける。 | ||
6月18日 | 捜査局に逮捕と銃携帯の権限が与えられる。 | ||
6月22日 | パブリックエネミーNo,1を命名される。 | デリンジャーの誕生日。 | |
6月30日 | インディアナ州サウスベンドのマーチャンツナショナル銀行を襲撃。被害額30,000ドル。 | ||
7月4日 | アンナ・セージのアパートを借りる。 | ||
7月19日 | アンナ・セージがデリンジャーの居所を捜査局に密告。 | ||
7月22日 | シカゴのバイオグラフ劇場前で捜査局に射殺される。 | ||
7月25日 | インディアナポリスのクラウンヒル墓地に埋葬。 | ||
8月22日 | アル・カポネがアルカトラズ刑務所に収監。 | ||
8月23日 | ホーマー・ヴァン・メーターが警察に射殺される。 | ||
9月22日 | チャールズ・マクレイが脱走に失敗し射殺される。ピアポントも重傷。 | ||
10月17日 | ハリー・ピアポントの死刑執行。 | ||
10月22日 | プリティボーイ・フロイドが捜査局に射殺される。 | ||
11月27日 | サミュエル・カウリーがベビーフェイス・ネルソンに殺される。 | ||
ベビーフェイス・ネルソンが捜査局に射殺される。 | |||
1935年 | 1月1日 | 捜査局BOIが連邦捜査局FBIに改名。 |
脚注
編集外部リンク
編集- Famous Cases: John Dillinger - at the FBI
- "John Dillinger: Bank Robber or Robin Hood?" - at Crime Library on truTV.com
- ジョン・デリンジャーの墓地 - John Herbert Dillinger (1903 - 1934) - Find A Grave Memorial
- People & Events: John Dillinger, 1903-1934 - American Experience Public Enemy #1 People & Events