ステファン・エバーツ
来歴
編集
3歳で父からプレゼントされたイタルジェットで初めてオートバイに乗る。10歳で初レース。1988年ベルギー選手権デビュー。
1989年モトクロス世界選手権開幕戦イタリアで世界デビュー。
1991年ハンガリーで初優勝し、史上最年少で125ccチャンピオンを獲得。初チャンピオン獲得後はAMAスーパークロス参戦を意識した発言も多かったが、1990年代後半には世界選手権に専念する道を選んだ。
1999年2月にフランスのボケーで開催されたインターナショナルレースで転倒し、膝の前の骨とその下をつなぐ靭帯を切断、膝の後ろの靭帯が伸びる怪我を負い、シーズンのほとんどを棒に振る。同年第13戦ルクセンブルクで復帰し第15戦ドイツで優勝。
ホンダからハスクバーナに移籍して迎えた2000年、またも開幕前の同レースで左腕を骨折。第13戦ベルギーを出場︵ヒート1リタイヤ、ヒート2不出走︶しただけで終わった。
度重なる怪我の影響、2シーズンレースから離れていることなどを考えると、チームとしても契約には慎重にならざるをえない。そんな状況ながら2001年は名門チームリナルディ︵ヤマハ・L&M︶からの参戦が実現する。グランプリ復帰戦となった開幕戦での優勝を含めて全14戦中7勝しチャンピオンを獲得。以来同チームで2006年まで6年連続タイトルを制覇し続けた。
2006年はモチベーションに反して衰えていく自分の健康状態︵30歳を超えて回復力の低下を感じていた上、脾臓を摘出して血液の濾過機能を失っており、薬を服用していた︶と将来を鑑みて、最後のシーズンと決めて挑んだ。﹁もう40分間レースするのは無理だ﹂と言いつつも[2]、15戦14勝という圧倒的な成績で有終の美を飾った[1]。
またこの年のモトクロス・オブ・ネイションズ︵MXoN︶では、AMAスーパークロス王者で初の海外戦となった若きジェームス・スチュワートとの一騎打ちとなったが、スムーズな走りのエバーツがホールショットを奪った後、終始圧倒して勝利した[3]。
2007年からは選手としてではなくレッドブルKTMファクトリーチームのレーシングディレクターとしてモトクロスに関わっている[4]。
戦績
編集- 1975年 - 初めてオートバイに乗る
- 1982年 - レースデビュー
- 1988年 - モトクロスベルギー選手権ジュニアクラス チャンピオン
- 1989年 - モトクロス世界選手権125 ランキング15位(ビエッフェ・スズキ)
- 1990年 - モトクロス世界選手権125 ランキング3位(ビエッフェ・スズキ)
- モトクロス・デ・ナシオン2位(125)
- 1991年 - モトクロス世界選手権125 チャンピオン(ビエッフェ・スズキ)
- モトクロス・デ・ナシオン2位(125)
- 1992年 - モトクロス世界選手権250 ランキング11位(ビエッフェ・スズキ)
- モトクロス・デ・ナシオン ランキング2位(125)
- 1993年 - モトクロス世界選手権250 ランキング2位(ビエッフェ・スズキ)
- モトクロス・デ・ナシオン2位(125)
- 1994年 - モトクロス世界選手権250 ランキング2位(JHK・カワサキ)
- 1995年 - モトクロス世界選手権250 チャンピオン(JHK・カワサキ)
- モトクロス・デ・ナシオン3位(125)
- 1996年 - モトクロス世界選手権250 チャンピオン(RWJ・ホンダ)
- モトクロス・デ・ナシオン3位(125)
- 1997年 - モトクロス世界選手権250 チャンピオン(ホンダ)
- モトクロス・デ・ナシオン優勝(250)
- 1998年 - モトクロス世界選手権250 ランキング2位(L&M・RADSON・ホンダ)
- モトクロス・デ・ナシオン優勝(250)
- 1999年 - モトクロス世界選手権250 ランキング11位(L&M・RADSON・ホンダ)
- モトクロス・デ・ナシオン3位(250)
- 2000年 - モトクロス世界選手権250 ノーポイント(ハスクバーナ)怪我により不出場
- 2001年 - モトクロス世界選手権500 チャンピオン(L&M・ヤマハ)
- モトクロス・デ・ナシオン2位(500)
- 2002年 - モトクロス世界選手権500 チャンピオン(L&M・ヤマハ)
- 2003年 - モトクロス世界選手権MXGP チャンピオン(L&M・ヤマハ)
- モトクロス世界選手権125 ランキング2位(L&M・ヤマハ)
- モトクロス・オブ・ネイションズ優勝(450)
- ISDE4ストローク400cc総合優勝
- 2004年 - モトクロス世界選手権MX1 チャンピオン(L&M・ヤマハ)
- モトクロス・オブ・ネイションズ優勝(MX1)
- 2005年 - モトクロス世界選手権MX1 チャンピオン(L&M・ヤマハ)
- モトクロス・オブ・ネイションズ3位(MX1)
- 2006年 - モトクロス世界選手権MX1 チャンピオン(L&M・ヤマハ)
- モトクロス・オブ・ネイションズ2位(MX1)
記録
編集
●世界タイトル獲得数10回︵歴代1位︶[1]
●世界選手権イベント優勝101回︵歴代2位︶[1]
●最大排気量クラスタイトル6連覇︵2001〜2002年500ccクラス、2003〜2006年MX1クラス︶[1]
●日本の4メーカー︵スズキ、カワサキ、ホンダ、ヤマハ︶全てで世界タイトル獲得[1]︵2001年時点で達成︶。
●﹁ミスター875cc﹂︵125cc、250cc、500ccの3クラス全てでタイトルを獲得。ほかにはエリック・ゲボスのみ︶
●2003年最終戦フランス・エルネグランプリで、一度の週末中に全クラス︵125、250、500︶で優勝[1]。
●モトクロス国別対抗戦モトクロス・オブ・ネイションズ︵モトクロス・デ・ナシオン︶ベルギー国代表として14回出場。その14回全てでベルギー国は表彰台を獲得。
●2003年ISDE︵国際6日間エンデューロ︶の優勝メンバー。
脚注
編集- ^ a b c d e f g h モトクロスの歴史を彩った7人のレジェンドライダー レッドブル公式サイト 2023年9月23日閲覧
- ^ STEFAN EVERTS ON HIS RETIREMENT PLANS & MAYBE ONE LAST RACE Motocross Action 2023年9月22日閲覧
- ^ Video: Everts v Stewart 2006 MXoNGatedrop.com 2023年11月19日閲覧
- ^ Inside MX: Stefan Everts reveals all レッドブル公式サイト 2023年9月23日閲覧