スペースウォー!
1962年のコンピュータゲーム
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﹃スペースウォー!﹄︵Spacewar!︶は、宇宙戦争をモチーフとした対戦型コンピューターゲームで、世界初のシューティングゲームとされている。1962年、当時マサチューセッツ工科大学︵MIT︶の学生であったスティーブ・ラッセル︵Steve Russell, 1937年 - ︶を中心に、DEC社のミニコンPDP-1上で稼動するデモンストレーションプログラムとして開発された[1]。また宇宙船の形から﹁wedge and needle﹂︵﹁楔と針﹂の意︶とも呼ばれる。
![]() PDP-1で稼働する『スペースウォー!』。 | |
ジャンル | シューティングゲーム |
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対応機種 | PDP-1 |
開発元 | スティーブ・ラッセル |
発売元 | フリーゲーム |
人数 | 2人 |
メディア | 鑽孔テープ |
発売日 | (発売日ではない)1962年完成、5月に公開 |
売上本数 | 全米50ヶ所 |
その他 | 不特定多数の人に遊ばれた初のテレビゲーム。 |
ゲーム内容
編集![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/28/PDP-12_VCF_2001.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d1/Vinton_Cerf-20070512.jpg/320px-Vinton_Cerf-20070512.jpg)
経緯
編集開発
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1961年夏、DECからMITのコンピュータ室にPDP-1が贈られた[5]。学内関係者達はPDP-1を熱心にいじり倒し、こうした人々が、ハッカーの元祖となっていった。
MITのあるマサチューセッツ州の隣、コネチカット州[6]で生まれたラッセルは、ダートマス大学から転校して来た時点で既にコンピュータマニアだった。1961年頃からMITで活動していた TMRC: Tech Model Railroad Club ︵直訳すると﹁工学模型鉄道クラブ﹂︶に入会したが、ここは名前通り元々鉄道模型のサークルだったものの、この時にはコンピュータマニアの集団と化していた[注釈2]。
ラッセルは年次科学セミナーのため、E・E・スミスのSF小説﹃レンズマン﹄[7]と﹃宇宙のスカイラーク﹄、そしてマービン・ミンスキーの作ったプログラム﹃Three Position Display﹄︵﹃Minskytron﹄とも呼ばれた︶にヒントを得て、﹃スペースウォー!﹄を作った。最初は宇宙船とミサイル以外何も無かったが、仲間達がフィーチャー︵ゲームのルールや演出︶を付け加え、1962年5月のセミナーで公開されたバージョンがオリジナルとされている。
モーリス・ウィルクスによれば[8]真剣な目的は外界からの刺激に対するコンピュータの反応をプログラミングすることにあったとされ、ジョン・マッカーシーはゲームに興じる人々を見て、ウィルクスに﹁衝撃に満ちたしかめっ面﹂を示した、という。
その後
編集派生版
編集![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4f/Spacewar-on-java.jpg/220px-Spacewar-on-java.jpg)
オリジナル版の現状
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2006年において判明しているPDP-1版﹃スペースウォー!﹄の稼働状況を以下に記す。
●現存する2台のPDP-1の内、稼動するのはカリフォルニアのコンピューター歴史博物館にある1台だけである。2年かけて修復され、今は﹃スペースウォー!﹄も動作するようである。もう1台はMITに寄贈されたPDP-1第2号機で、これは実際に﹃スペースウォー!﹄開発に用いられた機体でもある。2002年の時点で第2号機はイギリスで開催されたGame Onに貸し出され、稼動展示されていたが、電源不具合発生後、使用不可になった。
●2004年日本で開催されたテレビゲームとデジタル科学展でPDP-1が展示された。しかしこれはVintageTech社製レプリカであり、内部的にはLinuxでのPDP-1エミュレーターであった。このレプリカでも﹃スペースウォー!﹄が動いていたようだが、プレイできない状態であったため、宇宙船は現れては太陽に吸い込まれ、現れては太陽に吸い込まれを繰り返していたらしい。
その他
編集参考文献
編集- NHKスペシャル 新・電子立国 第4巻 ビデオゲーム・巨富の攻防: ISBN 4-14-080274-X
- それは『ポン』から始まった:赤木真澄 アミューズメント通信社 ISBN 4-9902512-0-2 C3076
脚注
編集注釈
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(一)^ MITにて活動していたクラブ 。直訳すると﹁工学模型鉄道クラブ﹂となるが、﹃スペースウォー!﹄の開発当時はコンピューターハッカーの集団ともなっていた︵後述︶。もちろんスティーブ・ラッセルもアラン・コトックもTMRCのメンバーである。
(二)^ NHKが﹃新・電子立国﹄において、このゲームのためにラッセルを取材した際、ラッセルの家に大規模な鉄道模型があったが、インタビューをしようとした矢先に模型が脱線、ラッセルは顔面蒼白で模型の復旧にあたり、収録が30分程遅れたというエピソードがある。
(三)^ この内大学は3ヶ所しか無く、その一つユタ大学で、ノーラン・ブッシュネルは本作に出会い、商業ビデオゲームのコンピュータースペースを作成する。
出典
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(一)^ 上村雅之 (3 2009). “テレビゲームの産業・技術史︵第一部︶ ― 世界初のテレビゲームブーム ―”. デジタルゲーム学研究 3(2): 192-193.
(二)^ NHKスペシャル 新・電子立国 第4巻、63-67頁
(三)^ NHKスペシャル 新・電子立国 第4巻、67頁
(四)^ Digital Equipment Corporation (1962年12月31日). “Sine-cosine Routine”. 2018年9月8日閲覧。
(五)^ NHKスペシャル 新・電子立国 第4巻、53-54頁
(六)^ NHKスペシャル 新・電子立国 第4巻、48頁
(七)^ NHKスペシャル 新・電子立国 第4巻、57-58頁
(八)^ ﹃ウィルクス自伝 ――コンピュータのパイオニアの回想﹄p. 282︵19章︶
(九)^ NHKスペシャル 新・電子立国 第4巻、72頁
(十)^ Gerasimov, Vadim. “Spacewar! - Original 1962 code on PDP-1 emulator”. 2012年3月25日閲覧。
(11)^ D.Ritchie. Space Travel: Exploring the solar system and the PDP-7 Archived 2012年4月29日, at WebCite
関連項目
編集- 陰極線管娯楽装置 - 1947年に作成されたシューティングゲーム。特許は取得したが市販はされていない。