テンプル教会
概要
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1307年のテンプル騎士団廃止後、イングランド王エドワード2世が教会を王家管理下においた。後に、テンプル教会を借りて弁護士の法学校2校を運営していた聖ヨハネ騎士団に、教会が与えられた︵この法学校が現在の法曹院、インナー・テンプルとミドル・テンプルに発展する︶。
1540年、ヘンリー8世がイングランドにおける聖ヨハネ騎士団の活動を廃止させたことから、再びテンプル教会は王家の資産となった。
1608年、ジェームズ1世との合意によって、2つの法曹院には教会の維持運営を条件として、礼拝堂としてのテンプル教会を利用し続ける永久的な権利が授けられた。
1666年のロンドン大火では幸い被害はなかった。しかし建築家クリストファー・レンによって建物に手が加えられ、祭壇上スクリーンの追加、またオルガンが初めて教会内に導入された。その後、1841年︵ヴィクトリアン・ゴシック様式の壁と天井の追加︶と1862年の2度修復工事がなされている。
第二次世界大戦中、1941年5月10日のドイツ空軍による空爆で、教会建物はひどく損傷した。︵ヴィクトリア朝期の修復工事部分を含む︶教会の木造部分とオルガンは破壊され、内陣の大理石製円柱は高熱で砕け散った。円柱は今もヴォールトを支えているが、その多くは複製品に取り替えられるなどして大規模に修復された。
2003年に発表されたダン・ブラウンの推理小説﹃ダ・ヴィンチ・コード﹄と、小説の映画版﹃ダ・ヴィンチ・コード (映画)﹄︵2006年︶に取り上げられた。
外部リンク
編集座標: 北緯51度30分47.52秒 西経0度06分37.44秒 / 北緯51.5132000度 西経0.1104000度