ロドリゴ・デ・ビベロ
(ドン・ロドリゴから転送)
ロドリゴ・デ・ビベロ・イ・アベルサ︵Rodrigo de Vivero y Aberruza、1564年 - 1636年︶は、エスパーニャ貴族、植民地政治家。江戸時代初期に日本を訪れた人物でもあり、日本ではドン・ロドリゴ︵Don Rodrigo︶の呼び名で知られる。
ロドリゴ・デ・ビベロ Rodrigo de Vivero | |
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生年月日 | 1564年 |
出生地 | スペイン帝国 (現 メキシコ プエブラ州) |
没年月日 | 1636年 |
第13代 スペイン領フィリピン総督 | |
在任期間 | 1608年6月15日 - 1609年4月 |
国王 | フェリペ3世 |
村上直次郎訳﹃ドン・ロドリゴ日本見聞録﹄をはじめ、﹃国史大辞典﹄や﹃世界大百科事典﹄など、姓をビベロ・イ・ベラスコとする文献が多いが、これは父親のロドリゴ・デ・ビベロ・イ・ベラスコ (Rodrigo de Vivero y Velasco) との混同によるもので、誤りである[1]。
生涯
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1564年に父ロドリゴ・デ・ビベロ・イ・ベラスコの任地であるヌエバ・エスパーニャ︵現在のメキシコ︶で生まれ、エスパーニャ本国で成長し、フェリペ2世の王妃アナ・デ・アウストリアの小姓などを勤める。その後、ヌエバ・エスパーニャ副王だった伯父のルイス・デ・ベラスコに重用され、1595年サン・フアン・デ・ウルア要塞守備隊長兼市長、1597年タスコ市長、1599年ヌエバ・ビスカヤ地方長官兼軍司令官を経て、前総督在任中の死去にともない1608年に臨時総督としてフィリピンに派遣される[注釈1]。
フィリピン臨時総督の後、パナマ地方長官兼軍司令官などを勤め、1627年にフェリペ3世によりバリエ・デ・オリザバ伯爵に叙爵され、1636年に没した。
日本との関係
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フィリピン臨時総督在任中、マニラで起こった日本人暴動に際し暴徒を日本に送還し、貿易量の制限と暴徒の処罰を要求、徳川家康の外交顧問だったウィリアム・アダムスが訪れた際会見し、家康に友好的な書簡を送る。
1609年︵慶長14年︶、次期総督と交代のため召還命令を受け、ガレオン船3隻の艦隊でマニラからアカプルコへ向けての航海中台風に遭い、ロドリゴの乗った旗艦﹁サン・フランシスコ﹂は難破、9月30日に上総国大多喜藩領の岩和田村︵現千葉県夷隅郡御宿町︶田尻の浜に漂着、地元民に救助される[注釈2][注釈3]。大多喜城の本多忠朝も300人余りの家臣を率いてロドリゴのもとを訪れ、幕府への報告を約束し温情ある措置をとった[2]。なお僚艦の﹁サンタ・アナ﹂も、9月12日豊後の臼杵中津浦に緊急入港し[注釈4]、もう一隻の﹁サン・アントニオ﹂のみヌエバ・エスパーニャへの航海を続けた。
地元民に救助されたロドリゴ一行は、本多忠朝の歓待を受け、大多喜城から江戸城に立ち寄り、駿府城で家康と会見するなど日本滞在の後、家康からウィリアム・アダムスの建造したガレオン船︵日本名‥安針丸︶の提供を受け、﹁サン・ブエナベントゥーラ﹂と命名、1610年︵慶長15年︶8月1日に日本を出発し、同年11月13日アカプルコに帰還した。この日本滞在中の見聞録は﹃ドン・ロドリゴ日本見聞録﹄として今に残されている。
サン・ブエナ・ベントゥーラには、ヌエバ・エスパーニャとの交流拡大を目指す家康の使節アロンソ・ムニョス神父や京の商人・田中勝介らも同乗した。その翌年の1611年︵慶長16年︶、田中勝介らとともにヌエバ・エスパーニャからセバスティアン・ビスカイノが答礼使として来日し、1613年︵慶長18年︶にルイス・ソテロや支倉常長ら慶長遣欧使節団とともにサン・ファン・バウティスタ号で帰国した。
現在、ロドリゴ一行が本多忠朝の居城大多喜城に立ち寄る際に通ったコースを走るロドリゴ駅伝が、漂着した御宿町、いすみ市、大多喜町で開催されている。
著書
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﹃ドン・ロドリゴ日本見聞録﹄には以下の日本語訳がある。
●ドン・ロドリゴ; ビスカイノ; 村上直次郎訳註﹃ドン・ロドリゴ日本見聞録 ビスカイノ金銀島探検報告﹄駿南社︿異国叢書﹀、1929年。 - セバスティアン・ビスカイノの﹃金銀島探検報告﹄との合本。のち奥川書房︵1941年︶、雄松堂書店︵1966年︶、雄松堂出版︵2005年、ISBN 4-8419-3022-1︶から再刊。
●ロドリゴ・デ・ビベロ; 大垣貴志郎監訳 著、JT中南米学術調査プロジェクト 編﹃日本見聞記 1609年﹄たばこと塩の博物館、1993年12月。
●フアン・ヒル 著、平山篤子 訳﹃イダルゴとサムライ――16・17世紀のイスパニアと日本﹄法政大学出版局︿叢書・ウニベルシタス﹀、2000年12月。ISBN 4-588-00693-2。 - フアン・ヒルによる校訂版﹁ドン・ロドリゴ・デ・ビベロの旅行報告書﹂全文を収録。
脚注
編集注釈
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(一)^ 前総督ペドロ・アクーニャ死去時、伯父のルイス・デ・ベラスコが2期目のヌエバ・エスパーニャ副王に在任していた。
(二)^ 地元の海女が救難者を人肌で温めたと伝えられる。ただし、史料的な裏付けはなく、また、当時の岩和田村にはまだ海女はおらず、後世に作られた話ではないか、とする指摘もある︵安藤操﹃ドン・ロドリゴの日本見聞録﹄たにぐち書店、2009年10月2日、103-104頁。ISBN 978-4-86129-095-4。︶。
(三)^ この故事を記念して1928年、御宿に日西墨三国交通発祥記念之碑︵メキシコ記念塔︶が建てられた。
(四)^ 緊急入港した﹁サンタ・アナ﹂は破船せず、家康の発行した朱印状があったため、厚遇された。
出典
編集参考文献
編集- 山本美子「近世初期の日西交渉とドン・ロドリゴ」(『千葉県の歴史』11号、1976年)
関連書籍
編集- "An unscheduled visit : Rodrigo de Vivero in Japan, 1609-1610" Michael Cooper, The transactions of the Asiatic Society of Japan, 0913-4271 ; 4th ser., v. 22 , 2008
日本語
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●金井英一郎﹃ドン・ロドリゴ物語﹄新人物往来社、1984年7月20日。 - 小説。
●小倉明﹃ドン・ロドリゴの幸運――日本・メキシコ交流の始まり﹄汐文社、2008年12月。ISBN 978-4-8113-8499-3。 - こども向け読み物[注釈1]。
●安藤操﹃ドン・ロドリゴの日本見聞録﹄たにぐち書店、2009年10月2日。ISBN 978-4-86129-095-4。 - こども向け読み物。
●岸本静江﹃家康とドン・ロドリゴ﹄冨山房インターナショナル、2019年11月14日。ISBN 978-4-86600-074-9。
(一)^ 日本・メキシコ友好400周年記念として、2008年9月に千葉県総合企画部報道広報課から発行され、県内の図書館や関係する大使館などに配布されたのち、12月に汐文社から一般書籍として発行。︵堂本暁子 (2008年9月17日). “知事定例記者会見︵平成20年9月17日︶概要”. 千葉県. 2016年11月8日閲覧。
堂本暁子 (2008年12月25日). “知事定例記者会見︵平成20年12月25日︶概要”. 千葉県. 2016年11月8日閲覧。︶