ノート:坂の上の雲 (テレビドラマ)
最新のコメント:6 年前 | トピック:外部リンク修正 | 投稿者:InternetArchiveBot
この記事は2010年1月15日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、特定版削除となりました。 |
ノートに記載無しの大量削除
編集
他のユーザーの気持ちを代弁しますが、大量削除はノートに書いてから他のユーザー合意の下でやってください。編集合戦になりかねません--Fitness200805 2009年2月12日 (木) 23:06 (UTC)
上の方に同感です。某掲示板でも話題になっていましたが、史実を曲げて日本軍の加害性を過度に強調する表現について、歴史的事実と異なる描写について﹁日本人が朝鮮王妃・閔妃を殺した﹂というナレーションが虚偽である︵犯人は朝鮮人説が有力だが、確定していない︶という記述をLos688氏が執拗に削除しています。
Los688氏が削除したのは履歴によると次のような文章です。
●2009.12.20放送﹁留学生﹂の中で﹁朝鮮で大事件が起こった。王妃・閔妃が、三浦梧楼公使率いる日本人たちによって暗殺されたのである﹂と原作にはないばかりか、﹁日本人が﹂殺害したというナレーションを挿入した。閔妃殺害の実行犯については、現場が騒然としていたため、確実な犯人というものはついに不明だが、現場に居合わせた閔妃の世子である皇太子・純宗が﹁私の部下、禹範善が殺害した﹂と証言している。
これはwikipedia内の﹁閔妃﹂の記載とも一致しています。Los688氏は﹁正当な理由無き削除を﹂﹁説明なしに﹂行っており、wikipediaの公的立場ではなく私的な意志で削除を行っていると疑われても仕方がありません。削除人がアンフェアであることはwikipediaの信頼性を失墜させるばかりか、荒らし、編集合戦を呼び込みます。
Los688氏は削除人として本件について誠実に説明を行ってください。 --Darkwater 2010年2月8日 (月) 16:19 (UTC)
下の﹁坂の上の雲 (テレビドラマ)における史実を曲げて日本軍の加害性を過度に強調する製作態度について﹂節で話題になりましたが、現状では﹁出典がないままでの本作についての指摘などは書かない﹂という意見への反論は出ていません。現在削除依頼待ちで、その後に﹁本作をめぐる議論﹂などといった節を立てて、改めて出典を用意しつつ記述が進んでいくものと思われます。そのために今回のLos688さんの﹁執筆者の感想による批判 適切な出典提示もなし﹂という説明は、特に改めて説明するまでもないと思います。削除依頼中ですので多くの皆さんは編集を自粛しておられますから、その後に出典と共に編集に加わって頂けばいいと思います。歴史的見解とドラマでの描写の比較については﹁義経 (NHK大河ドラマ)#ドラマの描写と異説﹂が参考になると思います。--hat2867 2010年2月9日 (火) 08:53 (UTC)
Hat2867さん。すみません、貴兄の文章の意味が理解できませんでした。﹁その後に出典と共に編集に加わって頂けばいいと思います。﹂というのはなるほど最もですが、私が言っているのは現在項目として存在する﹁歴史的事実と異なる描写﹂に適切と思われる記事が、不当に削除されているというお話です。その後の項目への執筆・編集のお話ではありません。
Hat2867さんの仰る﹁今回のLos688さんの﹁執筆者の感想による批判 適切な出典提示もなし﹂という説明は、特に改めて説明するまでもないと思います。﹂とは、Los688氏が当該記事を削除した正当な理由にあたるという意味でしょうか。いったい当該文章のどの部分が﹁執筆者の感想による批判﹂にあたるというのでしょう?事実を淡々と述べているに過ぎません。また﹁適切な出典提示もなし﹂であれば﹁要出典﹂を付ければよいだけの話で、削除に足る十分な理由にはなりません。もちろん出典がどうしても必要というのならば統監府文章往電第31号を出しますが、そもそも﹁犯人は断定できていない﹂﹁純宗の証言﹂は、wiki内の閔妃,乙未事変と整合性が取れているのです。それとも乙未事変記事に間違いがあってそれが放置されていると仰るのでしょうか?そうなるとwikiの乙未事変記事に検証可能性および中立性・正確性に重大な疑義があるにも関わらず放置されているということになりますが・・・。以上を総合して考えると、やはりLos688氏が公平かつ適切な削除を行っているとは認定しがたく、このような削除人の私的行為が問題の﹁ノートに記載無しの大量削除﹂であり、ひいてはフリー百科事典としてのwikiを危うくするものと考え、危惧するところです。--Darkwater 2010年2月10日 (水) 16:17 (UTC)
失礼ですが、Darkwaterさんが勘違いされているのではないでしょうか。ウィキペディアの基本的な方針であるWikipedia:検証可能性では﹁出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます︵出典のない記述は除去されても文句は言えません︶。﹂となっています。もちろんDarkwaterさんが言われるように﹁要出典﹂を付ければよいことですし、その方が望ましいでしょう。ただし、それはあくまでも﹁その方が望ましい﹂であり、﹁お願い﹂するレベルであって非難することではありません。(私はいきなり除去するつもりはありませんが、他の人が出典のない記述をいきなり除去しても認めるつもりです)--アルビレオ 2010年2月10日 (水) 23:23 (UTC)
Los688さんが削除された部分は、削除の必要はないと考えます。歴史的事実の記述として不適切であるとは思えません。どなたかが出典などを付加すれば済むことだと思います。いきなりばっさり削除は明らかな荒らし等に限定するべきと考えます。[要出典]の添付をお勧めします。--お館さま 2010年2月11日 (木) 03:27 (UTC)
アルビレオ様、個人的なご姿勢の提示、ありがとうございます。私は勘違いをしているとは思いません。逆にアルビレオ様の見解のとおりならば﹁要出典﹂が存在する意味はどうお考えですか?私は削除人、一般人の区別にかかわらず、合理的でない削除、説明のない削除がwikiの価値を損なうため、要出典というクッションがあると理解しております。wikiを健全に運営するために﹁いきなり削除﹂こそ厳に慎むべきで﹁[要出典]﹂をまず利用するのが良識ある運用のありかたと考えます。
お館さま、私の意見を簡潔にまとめてくれてありがとうございます。
再三申し上げているようにこの様な削除乱発が、編集合戦、wikiの混乱、フリー百科事典としての自由度と中立性ひいては信頼性を損なう元凶でしょう。Hat2867氏は私の質問に答えてくださっていませんが、この点にはご同意いただけるでしょうか?--Darkwater 2010年2月11日 (木) 12:37 (UTC)
お返事申し上げます。端的に申しますと、今回の内容が﹁事実﹂なのか﹁批評﹂なのかという点ですね。恐らくLos688さんは後者だと思ったのでしょう。正直、そのように捉える方がいらっしゃってもおかしくない記述ではあったと思います。まぁ﹁要出典﹂があってもよかったとは思います。が、やはりそれのみをもって荒らしだとか言うのは言い過ぎでしょう。
記述に足る内容かどうかという点につきましては、まあ記述に足る内容ではあると思います。歴史的な内容とドラマの内容の大きな差異というものは、前述の通り﹃義経 (NHK大河ドラマ)﹄で試みられておりますし、ドラマの解説として認められてもいい記述だと思います。私は単に事実を淡々と書いたようにはちょっと見えなかった︵やや作品批判の色が見えました︶のですが、もし事実のみを述べたのであれば、出典は示すまでもないのですから問題はないわけです。逆に批評的なものとして捉えるとするならばそれは出典が足りず、その点につきましては下節でお読み下さった通りです。
近代史ものであるという作品の性質上、事実を述べただけでも議論が起こるわけですから、保護解除までに今後どこまで記述をしていくかという事を話し合っておくといいかもしれませんね。下節で申し上げましたが﹁ドラマでの多少の脚色は特筆すべき事項ではない﹂と思っておりますので、現状の﹁陸軍大学校において〜﹂のような記述は私は些末と考えますし、逆に今回の三浦公使の話は記述の価値があると思います。一方で﹁日清戦争においては〜﹂の部分は明らかな相違とは認めがたいので難しい問題だな、などと考えています。
ちなみに、元凶がどうとかそういう話題につきましてはちょっと関心がございませんので、同意などの意思表示はご容赦ください。--hat2867 2010年2月11日 (木) 13:48 (UTC)
記事内容の軽重のご判断はhat2867さんの個人的ご意見としては拝聴いたしますが、掲載は内容は事実であるかの妥当性と、それを補完する資料によってご判断ください。--お館さま 2010年2月12日 (金) 00:27 (UTC)
Hat2867さん。まずご返答ありがとうございます﹁今回の内容が﹁事実﹂なのか﹁批評﹂なのかという点ですね。恐らくLos688さんは後者だと思ったのでしょう﹂というご指摘はその通りなのだと思います。ただ、当該記事には後者とするだけの合理的な理由が見あたりません。
﹁原作にはないばかりか、﹁日本人が﹂殺害したというナレーションを挿入した﹂→単なる事実です。
﹁閔妃殺害の実行犯については︵略︶純宗が﹁私の部下、禹範善が殺害した﹂と証言している﹂→史実です。出典もあります。ちなみにこの純宗、母の仇として禹範善を暗殺しています。
どこにも﹁NHKはけしからん﹂的な批判はないのです。史実と異なる描写が入っていることを指摘しているに過ぎません。もっともLos688氏がこの事件についてなんらかの利害者であるのなら︵例えば日本人殺害説を強弁しているような輩なら︶単なる事実の列挙を﹁批判﹂と受け止めるであろうことは予測できます。しかし、そうするとLos688氏の削除人としての資質の問題が大いにあることになります。だから私は︵もともとHat2867さんにではなく︶Los688氏にきちんとした説明を求めているのです。回答は無いようですが。
本件記事につきましては、項目に適した記事であり、実際に史実とも異なる事項ですから︵閔妃,乙未事変参照︶僭越ながら、私が表現など多少表現など改めて︵含出典︶復活させようと思っています。--Darkwater 2010年2月11日 (木) 15:13 (UTC)
私はLos688さんの行為に批難するべき点があるとは思いません。別に編集者の個別の行為について議論しても仕方がないのですが、ここでの今後の議論を円滑に進めるために確認していただいた方がいいように思うので、具体的に、上で問題とされていることについてコメントします。
記述の除去について誠実に説明するべき
要約欄の︽執筆者の感想による批判 適切な出典提示もなし︾の前段についてはご不満もあるかもしれませんが、後段の︽出典提示もなし︾だけで記述を取り除く理由として充分であり、特に説明を加える必要もないように思われます。
いきなり記述を除去するのではなく、まずは要出典を貼るべき
アルビレオさんが書かれていることの繰り返しになりますが、必ず要出典を貼らなくてはいけないというルールはなく、︽Wikipedia:検証可能性では﹁出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます︵出典のない記述は除去されても文句は言えません︶。﹂︾が原則です。もちろん、Wikipediaは共同作業によって成り立つプロジェクトですから、この記事での編集を円滑に進めるためにもいきなり除去するのではなくて要出典を貼ってほしい、とお願いするのはアリです。しかし、︽私的な意志で削除を行っていると疑われても仕方がありません︾とか︽削除人としての資質の問題が大いにある︾と批難するのは行きすぎた行為であって、かえってLos688さんに対する配慮を欠いているように感じます。
Wikipedia内の他の項目︵閔妃、乙未事変他︶の記載と一致しているのに出典を求める必要があるのか
この指摘を一般化すると、Wikipedia内の項目﹁甲﹂である事実﹁A﹂について出典つきの正確な記述がなされていれば、他の記事﹁乙﹂﹁丙﹂﹁丁﹂では出典を明示せずに﹁A﹂について記述してもよいではないか、ということになるかと思います。しかしこれだと、いちいち関連しそうな他の項目をチェックしなければ、記事の検証可能性や中立性を確認できないことになりますから、閲読者側に大きな負担を掛けることになってしまいます。︵……これってWikipediaの︽信頼性を損なう︾状況につながると思いませんか?︶記事の検証可能性を示す責任は執筆者側にあります。だから、同じ事実﹁A﹂を書くにしても、﹁甲﹂だけでなく﹁乙﹂や﹁丙﹂にも出典を示すとか、﹁丁﹂の中では出典を示さないが替わりに記述末尾に詳細は﹁甲﹂を参照として出典を確認出来るところに飛びやすくするとか、なにかそういった整備・工夫があるのが望ましいのではないでしょうか。
単なる事実の列挙で史実なのにどうして消すのか
Wikipediaでは事実性よりも検証可能性が大切だということはご承知の通りです。もちろん、太陽は東から昇って西に沈むよねみたいな一般常識的なことは、それは誰だって経験的にそうだと分かるから出典なしで書いても構わないわけです。一方、閔妃を殺害したのは日本人だなんて確証はないよね︵むしろ違うらしいよ︶、というのは、それを何かで勉強して知っている人と、私みたいに歴史の事なんて全然分かりませんという人とがいるので、出典がないことを理由に記述除去されてもしかたがないわけです。だから︽執筆者の感想による批判︾と突っ込まれたことに対して、︽単なる事実の列挙を﹁批判﹂と受け止めるであろうことは予測でき︾るなどと返すのはちっとも生産的ではないと思います。ともあれ、Darkwaterさんが︽表現など多少表現など改めて︵含出典︶復活させ︾てくださるとのことですので、それで今回の件は落ち着くのかなと思います。長くなりました。以上です。--Bluebell 2010年2月12日 (金) 03:11 (UTC)
下でもありましたが史実と断じる事自体に問題があるという意見もあります︵閔妃を殺害したのは日本人という説も一応あるんですよね?︶。とりあえず削除依頼が完了してからの話になると思いますが、記述の仕方につきましては角の立たないようにして頂けるといいと思います。私が引っ掛かるのは例えば﹁〜ばかりか、﹂とか﹁それにも関わらず〜﹂という表現ですね。なんというのでしょう、非難の色が見えるといいますか……。とりあえず﹁本作をめぐる議論﹂という節は、恐らく下を見た感じですと後に追記されると思いますので、議論や批評ではないこちらの話題は﹁ドラマの描写と異説︵あるいは学説、諸説?︶﹂などといった節を作るのがよろしいかと思うのですがいかがでしょうか。
お館さま。本作はテレビドラマであり多少の脚色は云々という事は下で述べました。﹁事実であるかの妥当性と、それを補完する資料﹂はもちろん大切な要素です。しかし、だからといって原作にない点や一般的な学説との相違をいちいち指摘する、というのはちょっと冗長ではないか、という意図で実例をお話ししました。もちろん実際の選択につきましては私個人の意見ですので、読んで頂いただけでも幸いです。--hat2867 2010年2月12日 (金) 06:54 (UTC)︵修正︶--hat2867 2010年2月12日 (金) 07:00 (UTC)
横レスですが・・・私もこの問題については、Los688氏は適切な説明の上、要出典をつけて変更を促すのが良策であったと思います。いきなりばっさり削除はDarkwaterさんが指摘されているとおり編集合戦やフリー百科事典の価値を損なう遠因となると思います。﹁Los688﹂をgoogle検索してみるとずいぶん非難の多い方と多数のサイトに出ているようですが、今回のような編集姿勢が問題視されているのではないでしょうか?
hat2867さん﹁史実と断じる事自体に問題があるという意見もあります︵閔妃を殺害したのは日本人という説も一応あるんですよね?︶﹂とのことですが、日本人が殺害したという説はあるにはありますが目撃証言のような適切な出典がありません︵ねつ造と判明した文書をもとに日本人作家の創作がある︶。そもそも、Darkwaterさんの文章は﹁閔妃殺害の実行犯については、現場が騒然としていたため、確実な犯人というものはついに不明﹂ではないのですか?--APES 2010年2月13日 (土) 21:03 (UTC)
APESさん、説明ありがとうございます。とりあえず私は諸学説については詳しい人間ではないのでそこまでわからないのですが、有力な説などを紹介しながら、相違点を説明する記述になればいいと思います。内容はもちろんですがニュアンスでも批評らしい記述にならなければ、ドラマとしての本記事として適当なものになると思っております。--hat2867 2010年2月14日 (日) 06:18 (UTC)
hat2867さん、Bluebell さん、私が再投稿することに賛同をいただいているようで何よりです。APESさんがご指摘されているよう、日本人が殺害したという信頼できる一次・一級資料は私も寡聞にして知りませんが、﹁日本人犯人説﹂を唱えている人がいるのも確かで、これを根拠資料がないとばっさり切ってはLos688氏と同類になってしまいます︵仮に日本人を犯人とする信頼に足る資料が出てくれば乙未事変から修正すればよい。それが筋で混乱も招かない︶。よってグレーな記述に不満のある方もいらっしゃるかとも思いますが﹁確実な犯人というものはついに不明﹂という元記事の表記はそのまま生かしたいと思います。また、Bluebell さんの仰るよう閔妃,乙未事変の記事と重複になってしまっても︵紙の百科事典では閔妃,乙未事変の項を見よ。で済んでしまうことであっても︶、出典がないと不便というお声もごもっともですので、閔妃,乙未事変との整合性も取りながら、削除された元記事と同程度の長さで作りたいと思っています。再三主張している削除人の資質、あり方、望ましい姿勢等についてはwikiの本質にも関わる重要事項ですから、また別の機会にしっかり論じるべき事項ですが、閔妃関連記事については修正・再投稿ということで一応の同意をみたと考えます。数日にわたっての意見交換ありがとうございました。--Darkwater 2010年2月14日 (日) 14:39 (UTC)
乙未事変に関して出典を明記したうえで再度掲載しました。一応主流である朝鮮人犯行説の立場で書きました。︵出典も明記︶--210.224.111.90 2011年2月1日 (火) 04:52 (UTC)
乙未事変#事件の首謀者には﹁真相はいまだに明確ではない。﹂とあるのに、単なるテレビドラマでの描写への反証として断定的に書いていいんでしょうか。﹁主流である朝鮮人犯行説の立場﹂というあなたの発言も鑑みると、NOR/NPOVなどの観点から非常に疑問のある記述です。また、作中の描写が問題になったのであればどこで問題になったのかを検証可能な出典に基づいて記述すべきです。--彩華1226 2011年2月2日 (水) 19:40 (UTC)
記述の問題点としては
(一)﹁朝鮮人による犯行が主流説﹂→二次資料の提示がない。どこで主流とされ、誰が主流と言っているのか
(二)﹁純宗が(中略)証言しているので朝鮮人による犯行が主流﹂→そう言っている人は誰か。論拠となる出典がなければ特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成であり独自研究。 が挙げられます。--彩華1226 2011年2月2日 (水) 19:54 (UTC)
この事件は諸説あり未だ主犯は確定していません。なのに原作にないこの事件︵つまり物語進行上採り上げなくても問題ない︶を採り上げ一方の説の立場にたって話を進めるのは歴史を題材にした原作を基にしているドラマとしては如何な物かとは思います。朝鮮人犯行説の立場にたってこのドラマの非を鳴らすのも如何な物かとも思いますがせめて
・原作にない諸説あって未だ定まっていない内容を
・一方の側にたってそれが定説のように放送した
と言うことは﹁本作を巡る議論﹂として掲載してもよいのではと思います--220.43.176.31 2011年2月3日 (木) 11:56 (UTC)
何一つ、私の提示した問題についての解決策になっていませんが。﹁原作にない諸説あって未だ定まっていない内容を一方の側にたってそれが定説のように放送した﹂なら、誰がそう言っているのかを示すべきというのが今までの議論の着地点のはずです。--彩華1226 2011年2月3日 (木) 12:56 (UTC)
なお、三浦梧楼の閔妃殺害への関与については、明治末から昭和初期について扱った概説書である伊藤之雄﹃政党政治と天皇﹄︵2002年、講談社日本の歴史22︶に﹁朝鮮公使として閔妃殺害に関与﹂︵2010年の文庫版p.239︶との記述があり、主犯であったかどうかは別として三浦の関与については現在においても定説として定着していることがうかがえます。--彩華1226 2011年2月3日 (木) 13:08 (UTC)
この事件は三浦氏が関与していた事を証明する1級資料は出ていません。
ただ当時のロシア帝国の陸軍参謀本部中佐カルネイェフ氏の朝鮮旅行記﹃1895―1896年の南朝鮮旅行﹄の章には現場に居合わせて一部始終を見届けたロシアの建築家セレドニン・ソバチンに直接取材した聴書として
﹁午前3時、王宮を日本軍が包囲し始めた。日本軍の一部隊は北西門に配備され、北東門に集結したのは、日本人によって教育された朝鮮兵約300人である﹂
﹁最初の銃声を合図に数名が城壁をよじ登り内部に侵入し歩哨を追い散らして城門を開けると朝鮮兵が乱入し、たちまち王宮を占拠した﹂
﹁彼らは中庭を走り回って、王妃の所在を聞き出せると判断される人々を捕まえては打擲するも、誰一人として彼らの求める情報を与えた者はいなかった。王妃が女官の間に身を隠しているに違いないと考えた日本人︻但しソバチン氏はその人物の身なりから日本人と判断している。暗殺犯が自らの正体がばれるような服装を着て実行するかという疑問があり本当に日本人だったのかは断言できない。一応ここでは原文のままに書く︼たちは、か弱い宮廷婦人を手当たり次第に殺しだした。日本人らは婦人たちに襲いかかり、王妃の引渡しを要求するのだった。王妃と全ての女官たちは口裏を合わせて、王妃はここにいないと答えていた。しかし、哀れなる王妃の神経がもはや耐え切れなくなって、彼女が廊下へ逃げ出すと、一人の日本人が脱兎のごとくその後を追い、王妃を捕まえ刺し殺した。しばらく経って、日本人らは殺害した王妃を近くの林に運び出し、灯油を振り撒いた上に火を放って焼却した。1895年11月26日の流血劇は、こうして幕を閉じた。﹂
﹁日本人らが自らの虐殺を実行していた頃、南門からは日本兵とともに大院君が、そして彼とほぼ同時に三浦公使も王宮に入った。彼らは直ちに王の許に赴き、王妃からその称号を剥奪し、平民の身分に降格させることを宣する布告に署名するよう迫った。﹂
とあります。
当時の日露の関係から見て露は朝鮮側にたって行動するのが有利ですがそれでも朝鮮の兵300人の関与を認めています。
ニューヨーク・タイムズ 1908年4月5日号 ︵エール大学教授ジョージ・トランブル・ラッド博士の記事︶では
﹁故王妃暗殺の下手人は日本兵だという説については、三浦将軍︵公使︶が暗殺計画に荷担し、一部の日本人壮士たちが韓国兵を援助したことは、どうも事実のようだ。しかしこの王妃は、頭はよかったが朝鮮の玉座にとってすら恥となるほど最も残酷な人物の一人で、何年も国王の父、大院君と政争を続けており、この間両派閥の殺し合いはまるで毎年の挨拶交換のように行われてきたものだ。﹂
と言っておりここでも暗殺には韓国兵が関与していた事を述べています
広島で三浦梧楼を含む容疑者48名が召還され裁判中だというのに、朝鮮王朝は1895年10月19日に李周会・朴銑・尹錫禹の3名とその一族を処刑し、且つ翌年には趙羲淵・禹範善・李斗璜・李軫鎬・李範来・権濚鎮の6名の処刑を勅命で命じ、実行犯、禹範善︵閔妃殺害を目撃した息子の高宗・純宗の言、禹範善自身も暗殺を認める発言をしている。往電31号及び﹁朝鮮王妃事件関係資料﹂石塚英蔵書簡︶は、純宗が放った刺客(高永根・魯允明)に依り広島県呉市にて1903年︵明治36年︶11月24日暗殺されている。
日本側が結論を出す前に口封じのごとく朝鮮側関係者と目される人物達を裁判なしで処刑した朝鮮側の行為には疑問を感じます
二次資料としてこれらの価値は十分あり、これによりこの事件の主犯が誰であるのか未だ定説を見ていない理由です。
この事件は三浦氏関与の可能性はありますがドラマ内で証言するような﹁三浦梧楼公使率いる︵日本人たちによって︶暗殺された﹂というのは明らかに誤りであることは間違いないです
これらは﹁坂の上の雲の問題﹂に記述するより例えば﹁ドラマと史実の違い﹂という項目をもうけドラマではこう表現しているが実際は定説は定まっていない﹂とかいう風に表現した方が良いかと思いますが如何でしょうか--220.43.176.31 2011年2月4日 (金) 02:28 (UTC)
あなた個人の認識について問うているのではありません。“﹁三浦梧楼公使率いる︵日本人たちによって︶暗殺された﹂というのは明らかに誤りであることは間違いないです”と誰がどこで言っているのかを提示するよう言っているのです。
そもそも実行犯に韓国兵がいたから、犯人は日本人ではないという論理自体が成り立ちません。というのも、事件に関与した訓練隊は日本人教官により訓練が行われた韓国兵であり、公使館一等書記官であった杉村濬が回顧録﹃在韓苦心録﹄で訓練隊・大院君を利用して親ロ派︵及びそのリーダーである閔妃︶の排除を図ったクーデターで、殺害についてはその目的ではなかったと回顧しています。そして﹁余は実に其の計画者の一人たるを免れず、否寧ろ計画者の中心たる姿なりし﹂︵p183︶と述べています。--彩華1226 2011年2月4日 (金) 15:02 (UTC)
ドラマ作品と閔妃事件についての関係ですが、第一部放送前に発行された﹁NHKスペシャルドラマ歴史ハンドブック 坂の上の雲﹂p.17に以下のような記述があります。
閔妃に不満を持つ大院君や開化勢力、日本などの諸外国に警戒され、1895年、大院君を中心とした開化派武装組織によって景福宮にて暗殺され、その遺体は武装組織により焼却された。
この記述、どこかで見覚えあると思ったのですが、以下に引用するWikipediaの﹁閔妃﹂での記述とほぼ同一︵同一部分に下線︶でした。
明成皇后に不満を持つ大院君や開化派勢力、日本などの諸外国に警戒され、1895年10月8日、大院君を中心とした開化派武装組織によって景福宮にて暗殺され、その遺体は武装組織により焼却された︵乙未事変︶[6]。
Wikipediaでの当該記述は“朝鮮王国1895年︵開国504年︶11月14日︵旧暦︶官報号外﹁裁判宣告書﹂”︵親日派政権が事件を穏便に解決するために行った裁判の判決︶を論拠としており、史料批判の一切行われていない一次資料に基づいたものです。一方、ドラマ本編の内容は学術の分野も含めた諮問委員の手を経て完成しており、信頼度の高い学術研究の成果が反映されているといえます。にも関わらず﹁ドラマでの説明が明らかな誤り﹂と特別な主張を行うのであれば、特別な証拠を提示すべきです。--彩華1226 2011年2月11日 (金) 16:54 (UTC)
- 特別な証拠の提示がありませんでしたので、第5回の記述については除去します。--彩華1226 2011年3月18日 (金) 17:09 (UTC)
ウィキプロジェクトの適用について
編集リリースされましたWikipedia:ウィキプロジェクト 大河ドラマの編集方針を、この記事でも採用すべきかと思います。理由としましては大河ドラマに近い扱いのテレビシリーズである事。当該ウィキプロジェクトで「このフォーマットは大河ドラマでの使用を前提としていますが、一部の時代劇においても使用することができるかもしれません」と述べられている事を挙げておきます。皆さんのご意見をお伺いします。--hat2867 2009年8月30日 (日) 16:24 (UTC)
- 特に反対もないようですので、告知テンプレートを貼る事にします。--hat2867 2009年9月13日 (日) 15:19 (UTC)
坂の上の雲 (テレビドラマ)における史実を曲げて日本軍の加害性を過度に強調する製作態度について
編集
日清戦争においては、その後の日中戦争とは異なり日本軍のおおむね民間人への加害は最小限であったとするのが適切な解釈だと考えます。これに対しては保坂正康などもこの立場をとっております。司馬史観もこれに則ったものだと考えます。
しかしながら第四回 2009年12月20日﹁日清開戦﹂ において、日本軍全体があたかも現地人に暴行を働き食料などを強制徴収し、現地人の反発を受けたたかのような印象を与えるシーンが描かれていました。本来このような描写は司馬遼太郎の原作にはないものであり、歴史を曲げて過度に諸外国に阿る(いわば自虐史観)ともとれるもので、この事実は大河ドラマのあり方として特異な製作態度だと考え特筆の価値があると考えますがいかがでしょうか。ログインユーザー氏によってWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 大河ドラマ#史実や原作との比較についてを根拠に削除が行われていますが、この問題は問題とされた瑣末な議論を超えて記述の価値があると考えますが請意見。--お館さま 2010年1月22日 (金) 23:55 (UTC)
ご意見の通り、記述の価値はあると考えます。Wikipedia:独自研究は載せないやWikipedia:中立的な観点に配慮して、Wikipedia:検証可能性を満たすように出典を明記して記述してください。期待しています。--アルビレオ 2010年1月23日 (土) 00:28 (UTC)
念のため、ですが﹁日本軍の暴行がなかった﹂ことの出典ではなく、﹁司馬遼太郎の原作にない描写をテレビドラマに入れた﹂ことの出典です。--アルビレオ 2010年1月23日 (土) 00:38 (UTC)
衝突している内容としてウィキプロジェクトが挙がっています。私見では独立した節に関しては、議論経過はともかくテンプレでは登場人物の記載についてしか規制していないはずですが、とりあえず穏便に済ませるためにもここではなく、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 大河ドラマで提案してはいかがでしょう。本作は大河ドラマではなくて、プロジェクトジャパンの一環のスペシャルドラマなので、やや立場が違う︵大河よりノンフィクション寄り︶のですが、一応プロジェクトは適応されていますし。削除依頼中でしばらくは編集自粛でしょうから、その間にお話されてはいかがでしょう。--hat2867 2010年1月23日 (土) 01:11 (UTC)
上記記載内容を加筆されるのであれば、お館さまさんがご指摘の観点とは対立する立場からも、本ドラマへの批判が展開されていますので︵下記参照︶、Wikipedia:中立的な観点に配慮し、これらの点も加筆しなければならないでしょう。
●参考
●﹃週刊金曜日﹄2009年12月18日 780号 特集記事
●醍醐 聰 ﹁﹁これまでにないスケールのドラマ﹂への危惧 なぜいま、NHKが﹁坂の上の雲﹂なのか﹂
●﹁中塚明・奈良女子大学名誉教授に聞く 朝鮮侵略の事実を書かない﹁司馬史観﹂の危険性﹂
●堀田 圭 ﹁﹁イデオロギー利用﹂に無自覚な松山市 全小中学生に番組視聴を呼びかけ﹂
●﹁NHKは歴史の真実に目をふさぎ国民をどこに導くのか﹂京都民報Web、2009年12月14日
●﹁﹁日清戦争は侵略﹂ 史料から﹁坂雲﹂検証﹂愛媛新聞社ONLINE、2010年1月20日
●ブックレット ﹃検証﹁坂の上の雲﹂― その、あまりにも独善的・自国中心的なるもの ―﹄
--4行DA 2010年1月23日 (土) 02:20 (UTC)
貴重なご意見ありがとうございます。基本的には両説併記が望ましいとも思いますが。もう少し議論がまとまるまで静観します。なお敬称の﹁さん﹂は結構です。どうか﹁お館さま﹂と呼び捨て下さい。--お館さま 2010年1月23日 (土) 08:03 (UTC)
4行DAさんに賛成します。﹁史実を曲げて日本軍の加害性を過度に強調する製作態度﹂に限定せず、広く﹁作品についての議論﹂としてまとめてみてはいかがでしょうか。それから、やはり削除依頼中なので本文の編集はしばらくお待ちいただければ、と。--Bluebell 2010年1月23日 (土) 05:50 (UTC)
“坂の上の雲 (テレビドラマ)における史実を曲げて日本軍の加害性を過度に強調する製作態度”という表現自体がPOVではないかと考えます。Bluebellさん同様に項目名は変えるべきでと考えます。今回起こっている議論はドラマ化についての議論ですので、﹁ドラマ化をめぐる議論﹂との項目がふさわしいと思います。--彩華1226 2010年1月23日 (土) 10:46 (UTC)
立項者ですが、﹁ドラマ化をめぐる議論﹂では立項の趣意が曖昧になってしまいます。ドラマ化をめぐる議論﹂については別に立項してください。--お館さま 2010年1月23日 (土) 22:19 (UTC)
確かに﹁ドラマ化をめぐる議論﹂ですと立項時点の趣旨と違いますね。それによりますと﹁放送内容に問題があったか﹂という話なのでしょうから、﹁ドラマ化をめぐる議論﹂とは別節にするか、﹁本作をめぐる議論﹂などといった節で箇条書きなどにした方がいいのではないでしょうか。私個人としては現状では後者が望ましいかと思いますがいかがでしょう。--hat2867 2010年1月24日 (日) 11:32 (UTC)
立項者ですが、ここまで議論が進んで項目を変えると、回答してくださった方々の回答のピントがずれ、ご趣旨にも外れることになると思いますので、別項を立てていただくのがよいかと思います。あくまでも私の趣意としては、NHKが過度に諸外国の思惑や左よりの政治意見に配慮し、司馬先生の原作の意図を曲げているのではという問題提起です。--お館さま 2010年1月24日 (日) 22:20 (UTC)
確かにややズレがあるようですが、いずれも﹁本作についての議論﹂を記述する場合の話をしているのだと思います。方や﹁放送前から内容についての議論があった﹂。方や﹁放送内容について議論がある﹂という事ですよね。それをわざわざ別節に分けなくても、現状の想定分量としては﹁本作をめぐる議論﹂という節に統一して書くのがよろしいのではないでしょうか。大河ドラマ﹃天地人﹄のサブリミナル問題のような演出面の問題ではなく、いずれもストーリーの問題なのですから、統一された節内にある方が見やすいかと思います。
またご承知の事とは思いますが、﹁NHKが過度に諸外国の思惑や左よりの政治意見に配慮し、司馬先生の原作の意図を曲げているのではという問題﹂の出典もお忘れないようにお願い致します。この点で編集合戦というのはさすがに拙いので、回避していきたい所です。--hat2867 2010年1月25日 (月) 04:20 (UTC)
NHKが過度に諸外国の思惑や左よりの政治意見に配慮し、司馬先生の原作の意図を曲げているのではという問題﹂
は問題提起であり、これは出典がどうこうという性質のものではないでしょう。--お館さま 2010年1月25日 (月) 10:03 (UTC)
Wikipediaは問題提起をする場ではありません︵ウィキペディアは独自の考えを発表する場ではありません、ウィキペディアは演説台ではありません︶。問題提起をやりたいのであればふさわしい他の場所でやるべきです。検証可能性・出典の明記を原則とし、あくまで﹁こうした議論︵批判︶があった﹂という形式で記述する必要があります。--彩華1226 2010年1月25日 (月) 14:35 (UTC)
ノートの使い方を勘違いされているようですねHelp:ノートページをご確認ください。--お館さま 2010年1月25日 (月) 23:11 (UTC)
︿史実を曲げて﹀ではなく、︿原作にないことの付け加え﹀だけの議論にできませんか。そうすれば、高橋是清がらみの真之たちの横浜見学︵第1話︶や、アメリカ先住民との邂逅︵第5話︶とか、そういう問題もかかわってくるのではないですか。 --ねこぱんだ 2010年1月25日 (月) 23:38 (UTC)
彩華1226様の仰る通りなのではないかなーと思います。問題提起をWikipediaの記事上でやるのは歓迎されないはずです。もちろん出典があるのであれば、︿史実を曲げて﹀でも︿原作にないことの付け加え﹀も全てとは言いませんが歓迎される記述になると思います。ちなみに、原作にないからといって一つ一つ取り上げて行くのには消極的です。そもそも原作そのままに映像化するという事の方が珍しく、多少の脚色は特筆すべき事項ではないと考えるからです。--hat2867 2010年1月26日 (火) 02:08 (UTC)
史実というのは国家間で解釈の分かれる問題ですから、wikiにおいては使用しない方がいいと思います。あくまでドラマの創作ということのみ限定で。ただし、意見の分かれる問題に関し、片方に寄ったと判断される原作にはないエピソードが追加されたことは、上記の横浜見学や、先住民との邂逅とは違い多少の脚色とは言えないので、別途に記述する必要性があると思います。その際は、左派系︵週刊金曜日等︶、右派系︵チャンネル桜等︶でのライター、コメンテーターの具体名と代表的発言を上げて同数程度に両論を記せば良いと思います。--Thikupon 2010年1月26日 (火) 15:38 (UTC)
ノートの使い方については、お館さまが勘違いされているようです。Help:ノートページの関連項目にあるWikipedia:ノートページでの慣習的な決まりをご覧ください。概ね彩華1226さんのコメントされた内容が書かれています。
Hat2867さんが述べられているようにドラマでの多少の脚色は特筆すべき事項と考えます。ただし、信頼でき、多少の脚色について普通は書かない情報源に﹁原作にないことが付け加えられている﹂ことが書かれているのであれば特筆性があると見做して良いでしょう。その意味からも出典の明記は必須です。--アルビレオ 2010年1月30日 (土) 05:28 (UTC)
アルビレオ様。文脈的に恐らくは誤記とお察ししますが︵違ったらごめんなさい︶、私の意見は﹁ドラマでの多少の脚色は特筆すべき事項﹂ではなくて﹁ドラマでの多少の脚色は特筆すべき事項ではない﹂です。どうぞご理解下さいますよう。--hat2867 2010年1月31日 (日) 14:59 (UTC)
ご指摘の通り﹁ドラマでの多少の脚色は特筆すべき事項ではない﹂のつもりでした。お恥ずかしい。--アルビレオ 2010年2月1日 (月) 13:07 (UTC)
議論が停止してから4ヶ月が経過しております。とりあえず多数派意見に対しての反論が見られませんので、﹁本作に関わる議論﹂という節に変更しておきます。--hat2867 2010年5月31日 (月) 15:38 (UTC)
よく考えたらどこで問題になったかの出典がないんですよね、現状の記述だと。このままだと特定の立場を導く事実の合成になるかと思いますので、ぜひどこで誰が問題視したかの出典を付記いただきたいです。--彩華1226 2010年6月25日 (金) 12:48 (UTC)
改めて、どこで問題になったのか、誰が問題視したのかについて出典の要求を行います。これまでの指摘のとおり﹁ドラマでの多少の脚色は特筆すべき事項ではない﹂ので、特筆に価する内容であることを示す必要があります。現状ではやはり﹁史実と違うという指摘︵独自研究︶﹂でしかないと考えます。--彩華1226 2011年2月2日 (水) 20:10 (UTC)
出典のない状態がしばらく続いたため、当該節を削除させて頂きました。現状では、即座に該当部分のみを削った状態で復活しています。
まず﹁本作への批判﹂ですが、現在の本文を見ると批判に当たる文が見当たりません。せいぜいが﹁原作と違う﹂﹁史実と違う﹂という指摘のみです。この節題は不適当でしょう。
次に﹁史実との差異﹂ですが、これについては要議論と言った所でしょう。たとえば﹃義経﹄では史実・伝説との差異をわざわざ記述しています。恐らくこれは数多く制作された﹁源平モノ﹂との差別化を図ろうとしているものと思われ、物語解説に一役買っているものと思われます。ただし上で言われているように、些細な差異やまた新たに創作する態度はドラマとして一般的なものです。現在の記述はそういった意味で特筆性に欠けると思いますが、いかがでしょうか。--hat2867 2011年10月28日 (金) 06:14 (UTC)
Hat2867さんの見解に同意します。件の場面ですが従軍記者である正岡子規と軍医である森鴎外が出会うところだと思いますが、両人に交友があったのは事実のようですが実際にあったのかどうかは判らないです。ドラマであってもドキュメンタリーではないので、脚色について史実とは違うといった異論があるといった事を適切な出典もなく書き連ねるのは切がないことでしょうし、特筆性があるとはいえないです。--Sky Wing Sky 2011年10月28日 (金) 13:45 (UTC)
特筆性を示す出典がいまだ付与されていない現状、改めて当該節を削除するのが妥当だと存じますがいかがでしょうか。--126.114.152.172 2011年12月13日 (火) 22:20 (UTC)
以降反論が出ていない事も鑑みて、除去妥当と考えます。--hat2867 2011年12月14日 (水) 02:54 (UTC)
明確な反対がないようですので、当該節を削除しました。--126.114.144.214 2011年12月17日 (土) 10:37 (UTC)
見ていませんでしたが、出典のついている記述を除去することには反対です。出典のない部分だけ除去してください。--アルビレオ 2012年1月8日 (日) 05:38 (UTC)
出典のついている記述とありますが、いずれも上記の通り特筆性を示す出典ではなく、﹁原作と違う﹂﹁史実と違う﹂という事の出典です。本作は歴史小説﹃坂の上の雲﹄を原作としていますが、時代劇とはそもそも原作に脚色を加える事は特別な事ではなく、特筆性に欠けるというのが主旨になります。--hat2867 2012年1月10日 (火) 00:46 (UTC)
﹁時代劇とはそもそも原作に脚色を加える事は特別な事ではない﹂はその通りですが、にもかかわらずわざわざ言及されていること自体が特筆性のある証拠でしょう。また、ノートで議論になること自体が特筆性のある証拠であるとも言えます。逆に聞きたいのですが、﹁特筆性を示す出典﹂とはなんでしょうか。私は出典が示せることだけでもある程度特筆性を満たしていると考えます。--アルビレオ 2012年1月10日 (火) 20:43 (UTC)
横槍をいれてすいません。この件の批判ですが﹁正論﹂誌のものです。﹁正論﹂誌はご存知かと思いますが、産経新聞社が発行するオピニオン誌ですが、﹁保守﹂誌を自認しており、またNHK批判︵それと民主党政権と朝日新聞なども︶を毎号のようにしています。いわばNHKに批判的な立場からすれば﹁全て癪にしゃわる﹂といった状況です。さらに問題なのは、﹁正論﹂誌のどの頁なのかが記述されていないことです。これはオピニオン誌ですから幅広い立場の方が寄稿されている︵編集部自体の記事もありますが︶ので、誰が書いたのかが不明です。よって現在でも﹁出典﹂は明記しているとはいえません。読者が全て目を通さないと判らず。やはり頁がないと検証しようもありません。また特筆性ですが、議論になっているのですが、まあある程度はあるとは思いますが、書きすぎるとただのNHK批判の片棒になりかねないし、他の大河ドラマでもありますが、史実との違いをいちいち書くのは避けるべきとする議論が多く、ことさら書く必要性もないともいえます。--Sky Wing Sky 2012年1月10日 (火) 22:37 (UTC)
私自身は実は出典が﹁正論﹂誌だということで、もうそれ以上誰が書いたのか興味はないし、そもそも読む価値のある記事ではないと思う人間です。しかし、それでも﹁正論﹂誌を読む人間もそれなりにいるわけで、その主張をなかったことにするのは間違いだと思いますし、自分の意見とは違う意見だからこそ書いてあってほしいのです。。ページが書かれていないというのは確かに問題でしょうが、それをもって﹁出典が明記されているとは言えない﹂というのはまた極論でしょう。単にノートで﹁筆者とページが書かれていないので書いてください﹂としておけば良い話だと思います。--アルビレオ 2012年1月12日 (木) 11:05 (UTC)
インデントを戻します。その﹁主張﹂ですが、確かに価値はあるとはおもいますが、この議論のタイトルが﹁史実を曲げて日本軍の加害性を過度に強調する製作態度について﹂という時点で、偏った立場からによる指摘の可能性もあり、またウィキペディアを使ったNHK批判の虞があるので避けるべきだというものです。指摘があるというなら本家の坂の上の雲#評価にある、司馬による創作の部分もあるといったような体裁で書くほうがよいですし、現状では﹁日本軍は悪いことをしなかったはずなのに、けしからん﹂といった感想をもたれる危険もあります。だからこそ出典頁は必要であるし、独自研究ではないという証明になります。実際、示された出典を見たら恣意的に変えてあったという記述もあります。当方が反対するのは﹁自分とは違う意見だから﹂ではなく、その﹁違う意見﹂が﹁独自研究﹂という危険があるからです。すなわち﹁正論﹂に書いていると主張はしていても、実は個人ブログの孫引きという可能性があるわけです。それに場面の指摘は﹁正論﹂だけど、﹁地の民間人に対する暴行・略奪等の行為は皆無で、食物が必要な場合には必ず対価を支払っていた、規律の高さが国際社会より高い評価を受けていたなどという歴史的事実がある﹂といった批判的評価は﹁正論﹂のものではなく、直接作品に関係のない引用をしています。このあたりは独自研究を補強する意図があるかのように思われます。もし書くのであれば﹁このような場面について、日本軍のそのような行為はなかったという指摘もある︵引用‥正論何号何ページ︶﹂であるのが自然ですが、場面の出典が﹁正論﹂で、その評価が保阪正康氏の﹁あの戦争は何だったのか﹂と児島襄氏の﹃大山巌﹄からの引用によるものでは不自然さをぬぐえないので、独自研究を書く為にこのようにしたのではないかといえます。
とりあえず﹁筆者とページが書かれていないので書いて﹂としておきますので、一週間しても記述に変化がなければ件の記事は外すか、前述のように﹁評価﹂という別項目をつくった上で﹁サラット﹂記述するスタイルにすればいいと思います。書くとすれば﹁現地人の反発を受ける日本軍将校に従軍記者の正岡子規が反発しているところで、森鴎外と出会うといった原作にはないシーンについて批判がある﹂といった程度でよいと思います。--Sky Wing Sky 2012年1月12日 (木) 13:52 (UTC)
︵追記︶最初に問題の記述が表れたのは、2010年1月22日のお館さまさんによる﹁事実と異なる描写﹂で、正論の出典が付いたのは2010年2月6日の甘粕さんの編集です。ほかにも史実と違うといったものが﹁偏向内容﹂といった項目で作成されています。これらを見ると出典によるものではなくウィキペディア投稿者個人の﹁独自研究﹂ではないかといった虞がぬぐえません。まさか最初から記述を補強する為に﹁正論﹂を持ち出してきただけということに衝撃を受けました。こうなったら、原作にもなく史実ではない部分もあるといった軽い扱いでいいのではないかと感じました。出典云々どころか独自研究のまんまですから。--Sky Wing Sky 2012年1月12日 (木) 14:24 (UTC)
誤記を訂正します。続きの議論については改めて下記でお願いします。 --Sky Wing Sky 2012年1月12日 (木) 14:35 (UTC)
袁克定の出演者
編集袁克定の出演者は恐らく呉宗憲ではありません。このジャッキー・ウーというのひとは 日本人です。テレビドラマの『塚原卜伝』の牧元鬼の役者とは同じ人です。 --Jerryalexander1993 2011年10月21日 (金) 09:14 (UTC)
本作への批判、原作との差異などの節について総括
編集
長くなりましたので新規に提案します。現在の﹁本作への批判、原作との差異など﹂ですが、出典があっても、その批判がドラマに対するものではない、本作への批判といってもドラマの1エピソードだけに対するものしかない。などの問題があるように感じます。そこで提案ですが、現状のままでよいのか削除すべきか、はたまた原作との差異を(出典を示した上で︶加筆するのがよいかの意見を募りたいと思います。提案者としては適切な出典がないのですからとりあえず削除して適切な出典を得られた上で﹁原作との差異ならびに評価﹂を書くのがよいのではないかという意見です。--Sky Wing Sky 2012年1月12日 (木) 14:47 (UTC)
少なくとも現在の文章のままでは客観的に﹁特筆性がなく︵前半︶、ドラマに関係がない︵後半︶﹂ように見えます。後半︵﹁日清戦争における日本軍は……﹂︶については独自研究の可能性があり、除去すべきと考えます。前半︵第四回﹁日清開戦﹂の劇中で……︶についてはSky Wing Sky様の意見に同意します。繰り返しますが、﹁史実・原作と違う﹂程度の指摘はいくらでも可能であり、あくまで﹁〜という描写には問題があるのではないか﹂という記述に価値があるのだと思います。
それと、記述する節についてですが、作品内容の小節内に移すのが妥当と考えます。--hat2867 2012年1月13日 (金) 15:38 (UTC)
申し訳ありません。議論を見逃したままで編集を行なってしまいました。前半についてはページ番号の記述や﹁誰が﹂の部分の改善が一向に見られていないことから、とりあえず除去についても賛同します。また、今後こうした記述が復活することについては否定的な考えです。﹁本作への批判﹂は左翼にしろ保守派にしろ、その政治的立場からの言説の域を出ないもので、適切な出典があったところで掲載されるべきではないものなのではないかと。--彩華1226 2012年1月13日 (金) 17:49 (UTC)
彩華1226さんが除去した後半部分は、本作品と直接の関係がないので除去に賛成です。しかし前半部分は本作品に対する直接の批判がマスコミに載ったのだから、出典の提示に不備があっても除去には反対です。ただし、現状の記述は出典のリンク先を見ないとどのような立場からの批判かがわからないので、﹁産業経済新聞社のオピニオン誌﹁正論﹂は、第4回﹁日清開戦﹂中で、原作にはない日本軍が中国国内で現地人に暴行を働いて食料などを強制徴収し反発を受けるシーンを描いたと批判した。﹄のような文にすることが望ましいと考えます。なお、私自身は﹁正論﹂誌を読む気はなくこの批判の内容を全く読んでいないので、この文が正しいかどうかは保証しませんが、いかにも﹁正論﹂誌が書きそうな内容だとは思います。--アルビレオ 2012年1月13日 (金) 19:37 (UTC)
前半部は本作に対する公的メディア掲載の批判ですので記述が妨げられるべきものではありません。なお後半部については本作品に対する批判でないので削除ということになりますね・・・。前半部記載に際しては媒体名を付すことについても支持。まぁ、私論部は別として、上記アルビレオさんの見解に全面的に賛成です。--Truesight 2012年1月14日 (土) 05:32 (UTC)
報告長らく結論をみない問題であることからコメント依頼を実施しましたのでお知らせします。--Truesight 2012年1月14日 (土) 05:59 (UTC)
とりあえず、正論2010年3月号の見出しで﹃坂の上の雲﹄について触れていると思われるのは連載コラムの中村粲氏の﹁NHKウォッチング﹂、本間一誠氏︵私立皇學館高校教頭︶の寄稿、潮匡人氏のコラムでしょうか。しかし、以前に4行DAさんが指摘されているように左翼連中のドラマ批判についても複数の公刊された情報源があるわけです。私はこれらを出典とした記述を書こうとは毫も思いませんし、それらの記事を読む気もありません。ひとりよがりな政治的主張は勝手に述べさせていればいいものであって、Wikipediaで宣伝してあげるようなものではないからです。﹁NHKウォッチング﹂はドラマの内容以前にNHKそのものを批判する立場からの連載コラムですし、本間氏は中村氏の死後、﹁一筆啓誅 NHK殿﹂という同趣旨のコラムを連載されています。両氏の立脚する立場からいえば、権威のある出典となりえないのではないかと思います。--彩華1226 2012年1月14日 (土) 13:30 (UTC)
政治的主張だから書くべきでないというのはおかしな意見で、そのような彩華1226さんの意見では共産主義、社会主義、民主主義なんていう記事はWikipediaでは書けないということになります。Wikipediaで禁じているのは政治的主張で記載の取捨選択を行うことであって、ここでまさに彩華1226さんが行おうとしていることです。--Truesight 2012年1月20日 (金) 15:21 (UTC)
私が言いたいことは当ドラマへの政治的な批判を掲載するのであれば、ウヨサヨ両論を併記するか、どちらも書かないかで、どちらも書く必要がないということであり、テレビドラマ記事とは全く異なる政治思想の記事を例示されても困ります。また、現状では誰がどう批判しているのかが全く検証不可能であり、出典が書いてあるからかろうじて残せているにすぎないと考えます。読まなくなって数年が経った正論誌を今さら読む気もありませんし、出典を示すのは記述する側ですので、私としてはあくまで“ページ番号の記述や﹁誰が﹂の部分”の改善を待つばかりです。--彩華1226 2012年1月22日 (日) 14:43 (UTC)
外部リンク修正
編集
編集者の皆さんこんにちは、
﹁坂の上の雲 (テレビドラマ)﹂上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。
●http://www.nhk.or.jp/sakanoue/にアーカイブ︵https://web.archive.org/web/20110829091525/http://www9.nhk.or.jp/sakanoue/︶を追加
編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。
ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月29日 (金) 14:47 (UTC)