ハンス・フォン・ビューロー


Hans Guido Freiherr von Bülow [ˈbyːloˑ], 183018 - 1894212
ハンス・フォン・ビューロー
Hans von Bülow
基本情報
出生名 Hans Guido Freiherr von Bülow
生誕 1830年1月8日
出身地 ザクセン王国の旗 ザクセン王国ドレスデン
死没 (1894-02-12) 1894年2月12日(64歳没)
エジプトの旗 エジプトカイロ
学歴 ライプツィヒ大学
ジャンル クラシック音楽
職業 指揮者
ピアニスト
担当楽器 指揮
ピアノ
コジマ・ワーグナー(1877年)
ヨハネス・ブラームス(1876年)

有名なドイツの作曲家ヨハン・ゼバスティアン・バッハルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンヨハネス・ブラームスを総称して「ドイツ3B」と名付けたことでも知られる[1][2]

略歴

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9

18572186618691865186718693

188041882

[3]189018942126410

近代的指揮法の創始

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31881

使918

ピアニストとして

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ビューローはピアノの名手としても活躍し、リストのピアノソナタロ短調ハンガリー幻想曲、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番などを初演したほか、ブラームスのピアノ協奏曲の演奏でもソリストを務めている(指揮はブラームス本人)。リストのピアノソナタの評価をめぐっては、これを擁護する立場から、のちに同じ陣営となるハンスリックと新聞紙上で論争を繰り広げている。ビューローは多くのピアノ曲を残してもいるが、そのほとんどはリストほどの超絶技巧を用いていない。

なお、ビューローのピアノの仕上げの教育をしたのがリストであり、リストはカール・チェルニーの愛弟子で、チェルニーはベートーヴェンの直弟子であることから、ベートーヴェンの演奏法を受け継いでいると自負していたようである。

作曲した作品

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ビューローの逸話

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B

32

7

1102

24

1





1891211894


脚注・参考文献

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脚注

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  1. ^ ビューローの以前に、同じくドイツの作曲家であったペーター・コルネリウスが「ドイツ3B」を定めているが、これは「バッハ、ベートーヴェン、ベルリオーズ」のことであり(ベルリオーズはフランス人である)、現在最も浸透している「バッハ、ベートーヴェン、ブラームス」に置き換えた人物がビューローであった。またリヒャルト・ワーグナーは一度「ドイツ3B」を「バッハ、ベートーヴェン、ブルックナー」(ブルックナーはオーストリア人である)と提案したとされるが定かではない。いずれにせよ現在浸透している「ドイツ3B」とは「バッハ、ベートーヴェン、ブラームス」のことを指す。
  2. ^ Slonimsky, p. 99
  3. ^ Wöhrle J, Haas F, "Hans von Bülow: Creativity and Neurological Disease in a Famous Pianist and Conductor", in Bogousslavsky J, Hennerici MG (eds): Neurological Disorders in Famous Artists – Part 2. Front Neurol Neurosci. Basel, Karger, 2007, vol. 22, pp. 193–205

参考文献

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  • Warrack, John; Sadie, Stanley ed. (1980). “Hans von Bülow”. The New Grove Dictionary of Music and Musicians, vol. 20. London: Macmillan Publishers Ltd.. ISBN 1561591742 
  • ニコラス・スロニムスキーSlonimsky's Book of Musical Anecdotes. New York; Schirmer Books, 1998.

外部リンク

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先代
マイニンゲン宮廷楽団
初代音楽監督
1880年 - 1885年
次代
フリッツ・シュタインバッハ