ミネルウァ
ローマ神話の女神
(ミネルヴァから転送)
ミネルウァ(ラテン語: Minerva)は、音楽・詩・医学・知恵・商業・製織・工芸・魔術を司るローマ神話の女神[1][2]。
ミネルウァ | |
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知恵の女神, 戦争の女神, 芸術の女神 | |
シンボル | フクロウ, オリーブ, 槍, 紡錘 |
親 | ユーピテル, メーティス |
ギリシア神話 | アテーナー |
ローマでの信仰
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ミネルウァは、ユーピテル、ユーノーと共にローマのカピトリーノ三柱神とされた。
ミネルウァには女神としての側面がいくつかあり、"Minerva Medica"︵ミネルウァ・メディカ︶とされた場合、彼女は医師と医療を司る女神であった。"Minerva Achaea"︵ミネルウァ・アカイア︶とされた場合、彼女の聖堂︵ディオメーデースのものとされる奉納品と武器が保存されている︶があるプッリャ州ルチェーラで信奉された存在である[5][6]。
バースのローマ浴場跡で見つかった"スリス-ミネルウァ"の 頭像
﹃祭暦﹄の三巻においてオウィディウスは彼女を、"goddess of a thousand works."︵千の仕事の女神︶と呼んだ。ミネルウァはイタリア全土で信奉されていたが、唯一ローマにおいてはアテーナーの好戦的性格が共有され、戦いを司るようになった。また、ミネルウァ信仰はブリタンニアにも持ち込まれ、知恵を司る土着の女神スリスと同一化されるなどした。
ローマ人は3月19日から23日の彼女の祭典の内、︵中性の複数形で︶"Quinquatria"と呼ばれる19日を祝い、職人の祝日とした。また、その縮小版である" the Minusculae Quinquatria"は、6月13日に宗教上大きな役割を果たすアウロス奏者によって行われた。紀元前207年、アウェンティーヌスにある彼女の寺院への奉納品を作るため、詩人と役者のギルドが作られた︵ルキウス・リウィウス・アンドロニクスも参加していた︶。
現代での使用
編集大学及び教育施設
編集政府・協会など
編集公共施設
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●チェスター - ミネルウァ神殿が存在している。
●バンガロール - 最も交通量の多い環状交差点の名がミネルウァ交差点である。この名前は、かつてその場所に存在した映画館の名からとられている。
●グアダラハラ - ロペス・マテオス、ロペス・コティーヤ、アグスティン・ヤネス、コルテス湾通りの交差点のロータリーに﹁正義、叡智、そして力がこの高潔な都市を守護している。﹂という文句の彫られた台座に立つミネルウァ像が置かれている。
●ミネアポリス - ミネアポリス中央図書館に像が飾られている。
●パヴィーア - 駅の近くに像が飾られており、市のランドマークとなっている。
●グラスゴー - ミッチェル図書館ドーム上に像が飾られている。
●ブルックリン区 - 区内の最高地点に7フィートのミネルウァ像が飾られている。
●ポートランド - 記念広場に銅像が横たわっている。
脚注
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(一)^ Candau, Francisco J. Cevallos (1994). Coded Encounters: Writing, Gender, and Ethnicity in Colonial Latin America. University of Massachusetts Press. pp. 215. ISBN 0870238868
(二)^ “デジタル大辞泉の解説”. コトバンク. 2018年2月4日閲覧。
(三)^ “OVID, FASTI BOOK 6 - Theoi Classical Texts Library”. www.theoi.com. 2022年5月30日閲覧。
(四)^ 山北篤監修﹃西洋神名事典﹄新紀元社、p.246。
(五)^ Aristotle Mirab. Narrat. 117
(六)^ Schmitz, Leonhard (1867). “Achaea (2)”. In Smith, William. Dictionary of Greek and Roman Biography and Mythology. 1. Boston. pp. 8
(七)^ AC.at Archived 2012年3月16日, at the Wayback Machine.
(八)^ www.albany.edu
参考文献
編集非日本語文献
編集- Origins of English History 第十章(Chapter Ten)を参照
- Romans in Britain - Roman religion and beliefs "The Roman Gods"(ローマの神々)を参照
- 本記事は、パブリック・ドメインである「Dictionary of Greek and Roman Biography and Mythology」ウィリアム・スミス著 (1870) を基にしている。(1090頁を参照)