モーツァルトのための劇場
モーツァルトのための劇場︵モーツァルトのためのげきじょう、ドイツ語: Haus für Mozart︶、旧ザルツブルク祝祭小劇場︵Das Kleine Festspielhaus︶はオーストリアのザルツブルクにある劇場。2006年モーツァルト生誕250年を記念して﹁モーツァルトのための劇場﹂と改称された。なお日本では モーツァルトの家 とも呼ばれる。1960年に完成した隣接する祝祭大劇場とともに、ザルツブルク音楽祭の主会場である。
モーツァルトのための劇場 Haus für Mozart | |
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情報 | |
旧名称 | ザルツブルク祝祭小劇場 |
開館 | 1925年 |
収容人員 | 1,580(立席85)人 |
客席数 | 1,495席 |
用途 | コンサートホール、歌劇場 |
所在地 |
![]() ザルツブルク州ザルツブルク ホーフシュタールガッセ 1 |
位置 | 北緯47度47分52秒 東経13度02分33秒 / 北緯47.79778度 東経13.04250度座標: 北緯47度47分52秒 東経13度02分33秒 / 北緯47.79778度 東経13.04250度 |
外部リンク | https://www.salzburgerfestspiele.at/l/haus-fuer-mozart |
歴史
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1924年ザルツブルクの建築家エドワルト・ヒュッター︵Eduard Hütter︶により、ザルツブルク宮廷の旧厩舎が改築され、最初の 祝祭劇場を使用したフーゴ・フォン・ホーフマンスタールの神秘劇が、マックス・ラインハルトの演出で開催された。翌1925年には、すでにクレメンス・ホルツマイスター︵en:Clemens Holzmeister︶による改修が行われ、現在まで続く祝祭劇場の重要な利用目的、つまりドーム広場で開催される﹃イェーダーマン﹄(de:Jedermann)が雨天の場合の上演場所が確保された。同年、祝祭劇場でブルーノ・ワルター、カール・ムック︵de:Karl Muck︶、フランツ・シャルクの指揮による3回のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の公演が行われた。祝祭劇場でのはじめてのオペラ公演は、1927年ベートーヴェンの没後100周年にちなみ、フランツ・シャルク指揮、ウィーン国立歌劇場の出演で﹃フィデリオ﹄が上演された。1936年の改修記念として、再び﹃フィデリオ﹄がトスカニーニの指揮で上演された。ちなみに両方の公演ともロッテ・レーマン︵en:Lotte Lehmann︶がタイトル・ロール︵レオノーレ︶を歌った。1939年の改修記念として、カール・ベームの指揮によるリヒャルト・シュトラウスの﹃ばらの騎士﹄が上演された。
1960年祝祭大劇場の完成とともに、これまでの祝祭劇場は﹃祝祭小劇場﹄と改称され、モーツァルトの﹃コジ・ファン・トゥッテ﹄やリヒャルト・シュトラウスの﹃ナクソス島のアリアドネ﹄などの比較的小規模のオペラの舞台となった。1963年の改修記念として、ロリン・マゼールの指揮によるモーツァルトの﹃フィガロの結婚﹄が上演された。この時点でのホールの規模は1,324の座席と60の立ち見席である。
2006年ルクセンブルクの建築家フランソワ・ヴァレンティニ︵François Valentiny︶により最も新しい改修が行われ、これまで長年の課題であった、フェルゼンライトシューレと祝祭小劇場の同時使用が可能になった。︵従来までは同じロビーを利用していた。︶改修記念公演としてニコラウス・アーノンクールの指揮による﹃フィガロの結婚﹄が上演された。またモーツァルト生誕250年を記念して、﹃祝祭小劇場﹄は﹃モーツァルトのための劇場﹄︵Haus für Mozart、ハウス・フュア・モーツァルト︶と改称された。客席は拡張され、現在の座席数は1,495席、立ち見席85である。
なお日本では"Haus"を直訳して﹃モーツァルトの家﹄とも呼称されるが、﹃モーツァルトの生家﹄あるいは﹃モーツァルトの住居﹄と紛らわしいため、より的確な名称が望まれる。NHKでは﹃モーツァルト劇場﹄と呼んでいる。
左から大学教会︵コレーゲンキルヒェ︶、中央‥フランツィスカーナー 教会、ザンクト・ペーター教会、中央上‥ホーエンザルツブルク城、右‥新装なった﹃モーツァルトのための劇場﹄、その左にフェルゼンライトシューレの入口がある。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6c/Salzburg_Kollegienkirche_Festung_Festspielhaus.jpg/640px-Salzburg_Kollegienkirche_Festung_Festspielhaus.jpg)