ラウール・レヴィ
Raoul Lévy ラウール・レヴィ | |
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本名 | ラウール・J・レヴィ |
別名義 |
R. J. Lévy R. Lévy Raoul J. Lévy |
生年月日 | 1922年4月14日 |
没年月日 | 1966年12月31日(44歳没) |
出生地 |
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死没地 |
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民族 | ユダヤ人 |
職業 | 映画プロデューサー、脚本家、映画監督 |
ジャンル | 映画 |
活動期間 | 1945年 - 1967年 |
活動内容 |
1945年 RKOで製作助手 1950年 イエナ・プロデュクション設立 1951年 映画プロデューサーデビュー 1956年 『素直な悪女』ヒット 1965年 イエナ・プロデュクション倒産 1965年 監督としてデビュー |
主な作品 | |
『素直な悪女』 『野性の誘惑』 『彼女について私が知っている二、三の事柄』 |
来歴・人物
編集
1922年︵大正13年︶4月14日、ベルギー・アントウェルペンに生まれる。
1945年︵昭和20年︶、アメリカに渡り、RKOで製作助手を経験、メキシコでの撮影に参加。ヨーロッパに戻ってからは、アンソニー・マン監督やアラン・ドワン監督らのBムーヴィーを得意とするプロデューサーエドワード・スモールの欧州代理人をしていた。
1950年︵昭和25年︶、﹁イエナ・プロデュクション﹂社を設立、映画製作を開始した。
1955年︵昭和30年︶、第8回カンヌ国際映画祭でロジェ・ヴァディム監督とその妻で女優のブリジット・バルドーと出会い、﹃素直な悪女﹄の製作を決意。みずからの手でヴァディムのあたためていた脚本を書き換えて、当時の最新技術であるカラー映画、シネマスコープで翌1956年公開、アメリカナイズされたこの映画は大ヒットを記録する。当時まだ34歳であった若手プロデューサーの登場と成功が、ヌーヴェルヴァーグの作家が製作者サイドに注目されるための経済的根拠となった。
1962年︵昭和37年︶、クリスチャン=ジャック監督、アラン・ドロン主演で着手した70ミリ超大作﹃Marco Polo﹄は、その後、﹃荒野の七人﹄のホルスト・ブッフホルツに主役を交代、監督もドニス・ド・ラ・パテリエールに交代して、さらに共同監督としてニコラス・レイの超大作﹃北京の55日﹄︵義和団の乱、1963年︶のスペインロケを仕切ったB班監督ノエル・ハワードを招き、またレヴィみずからも一部演出に乗り出すという混乱を経て、﹃La fabuleuse aventure de Marco Polo (L'echequier de Dieu)﹄︵邦題﹃マルコ・ポーロ 大冒険﹄︶として1965年︵昭和40年︶8月6日、ようやくフランスを皮切りに公開するも惨敗、﹁イエナ・プロデュクション﹂社は破産した。
1965年︵昭和40年︶8月11日、﹃マルコ・ポーロ﹄公開の1週後にあたるこの日、初監督作﹃二人の殺し屋﹄を公開した。主演エディ・コンスタンティーヌ、撮影監督はラウール・クタールを初の起用。レヴィのプロデュース作品の撮影は、﹃素直な悪女﹄から﹃マルコ・ポーロ﹄まで、監督が変わっても例外なくアルマン・ティラールが支えて来たのだが﹃マルコ・ポーロ﹄をもって決別、﹁イエナ﹂社破産以降の本作を含む遺作に至る3作品では、いずれもクタールと組むこととなった。
1966年︵昭和41年︶8月20日、監督第二作﹃ザ・スパイ﹄が西ドイツ先行で公開。フランスは11月。主演に引っ張り出したモンゴメリー・クリフトは4年振りの映画出演であったが、クリフトにとって本作が遺作となった。音楽にはセルジュ・ゲンスブールを起用、ジャン=リュック・ゴダールが俳優としてノンクレジットで出演している。
同年12月31日、フランス・サントロペのホテルで拳銃自殺、死去した。満44歳没。
没後の1967年︵昭和42年︶3月17日、﹃野性の誘惑﹄のマリナ・ヴラディを主演に起用したレヴィ最後のプロデュース作、ゴダール﹃彼女について私が知っている二、三の事柄﹄がパリで公開された。本作には大きな役でレヴィは出演しており、彼の最後の姿を観ることができる。ゴダールがのちに発表した﹃ゴダールのマリア﹄︵1984年︶の原題︵Je vous salue, Marie︶は、レヴィの﹃二人の殺し屋﹄︵Je vous salue, mafia !︶のもじりである。またアラン・ドロンはみずから製作・主演の映画﹃ボルサリーノ﹄︵1969年︶をレヴィに捧げた。
フィルモグラフィー
編集監督
編集脚本
編集- 『素直な悪女』 Et Dieu... créa la femme 1956年 - ロジェ・ヴァディム監督
- 『マルコ・ポーロ 大冒険』 La fabuleuse aventure de Marco Polo (L'echequier de Dieu) 1963年 - 1965年 - ドニス・ド・ラ・パテリエール / ノエル・ハワード監督、フランス・イタリア・ユーゴスラヴィア・アフガニスタン合作
- 『二人の殺し屋』 Je vous salue, mafia ! 1965年 監督作
- 『ザ・スパイ』 The Defector(L'Espion) 1966年 監督作
製作
編集- Identité judiciaire 1951年 - エルヴェ・ブロンベルジェ監督 ※第4回カンヌ国際映画祭コンペティション出品
- 『素直な悪女』 Et Dieu... créa la femme 1956年 - ロジェ・ヴァディム監督
- 『野性の誘惑』 La Sorcière 1956年 - アンドレ・ミシェル André Michel監督、マリナ・ヴラディ主演、フランス・イタリア・スウェーデン合作
- 『グランド・カナル 大運河』 Sait-on jamais 1957年 - ロジェ・ヴァディム監督
- 『月夜の宝石』 Les Bijoutiers du clair de lune 1958年 - ロジェ・ヴァディム監督
- 『可愛い悪魔』 En cas de malheur 1958年 - クロード・オータン=ララ監督
- 『バベット戦争へ行く』 Babette s'en va-t-en guerre 1959年 - クリスチャン=ジャック監督
- 『サンフランシスコの娘たち』 Les Régates de San Francisco 1959年 - クロード・オータン=ララ監督、フランス・イタリア合作
- 『雨のしのび逢い』 Moderato cantabile 1960年 - ピーター・ブルック監督、マルグリット・デュラス原作脚本 ※第13回カンヌ国際映画祭女優賞受賞(ジャンヌ・モロー)
- 『真実』 La vérité 1960年 - アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督
- 『マルコ・ポーロ 大冒険』 La fabuleuse aventure de Marco Polo (L'echequier de Dieu) 1963年 - 1965年 - ドニス・ド・ラ・パテリエール/ノエル・ハワード監督
- 『二人の殺し屋』 1965年 監督作
- 『ザ・スパイ』 1966年 監督作
- 『彼女について私が知っている二、三の事柄』 2 ou 3 choses que je sais d'elle 1967年 - ジャン=リュック・ゴダール監督、マリナ・ヴラディ主演、アナトール・ドーマン共同製作
出演
編集- 『素直な悪女』 Et Dieu... créa la femme 1956年 - ロジェ・ヴァディム監督、カメオ出演
- 『彼女について私が知っている二、三の事柄』 2 ou 3 choses que je sais d'elle 1967年 - ジャン=リュック・ゴダール監督、アメリカ人ジョン・ボーガス役