レノルド・シルキー
レノルド・オットー・シルキー(Renold Otto Schilke, 1910年6月30日 - 1982年9月5日)はアメリカの金管楽器製造会社「シルキー」の創業者。また、トランペット奏者。
来歴
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1910年6月30日、ウィスコンシン州グリーンベイにて音楽一家の下に生まれる。8歳の頃からコルネットを始め、11歳にはホルトンバンドのソリストとして参加している。また11歳で楽器を初めて製作している。
1927年にベルギーにあるブリュッセル音楽院で18世紀に活躍した楽器製作者ヴィクトール=シャルル・マイヨン︵Victor-Charles Mahillon︶の技術を学ぶ。翌年シカゴに戻ると、当時のシカゴ交響楽団首席トランペット奏者だったエドワード・ルウェリン︵Edward Llewellyn︶に師事した。また小さなマウスピース工房を興し、シカゴ響の金管奏者達にマウスピースを試してもらった。
1936年までしばらくシカゴを離れていたが、1936年にエドワードが他界すると再びシカゴ響に戻り、本格的に楽器製作に取り組み始める。また、この頃からシカゴ響に入っていたエルデン・ベンジ︵Elden Benge、ベンジの創設者︶の依頼により楽器をデザインしている。
プレイヤーとしてもシカゴ響の他にブラスアンサンブルを結成し、アドルフ・ハーセスと共にリサイタルをこなし、同時に楽器の宣伝も行った。
その後、シカゴ響に首席ホルン奏者として戻ってきたフィリップ・ファーカスと共に会社を設立。1956年にその半分から自身の会社を興した。それが今日のシルキーに至っている。
1981年には来日も果たしたが、1982年9月5日、アリゾナ州で亡くなる。72歳没。