久野誠
久野 誠(くの まこと、1952年12月19日[1][2] - ) は、CBCテレビの元アナウンサー。血液型はA型[1]。
くの まこと 久野 誠 | |
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プロフィール | |
出身地 |
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生年月日 | 1952年12月19日(71歳) |
血液型 | A |
最終学歴 | 早稲田大学教育学部 |
職歴 |
中部日本放送(1975年 - 2014年3月) →CBCテレビ(2014年4月 - 2017年12月。持株会社化に伴う転籍) |
活動期間 | 1975年 - |
ジャンル | バラエティ、スポーツ |
配偶者 | 既婚 |
公式サイト | CBCアナウンサー・久野誠 |
出演番組・活動 | |
出演中 | 多田しげおの気分爽快!!朝からP・O・N |
出演経歴 |
CBCドラゴンズナイター(プロ野球シーズン限定) サンデードラゴンズ ぱろぱろエブリデイ 久野誠のドラゴンズワールド ドラ魂KING |
来歴・人物
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三重県津市の出身[1][2][3]で、三重県立津高等学校から早稲田大学教育学部へ進学[2]。
大学卒業後の1975年に、アナウンサーとして中部日本放送に入社[3]︵同期に宇佐美百合子、相談役、CBCテレビ・CBCラジオ名誉会長の大石幼一、常勤監査役の伊藤直之︶。入社当初はほぼ同時期に入社した多田しげおや小堀勝啓に次ぐバラエティ番組担当アナウンサーとしてラジオ﹃オー!サンデー﹄やテレビ﹃ぱろぱろエブリデイ﹄などの司会を担当していた。その一方で、スポーツアナウンサーとしても活動。1979年より地元プロ野球球団・中日ドラゴンズ戦中継の実況︵初担当は1979年8月1日の対大洋戦のラジオ実況[4]︶や、ドラゴンズ情報番組の司会を担当している。(サンデードラゴンズ)の司会を担当していた頃は、﹁プロのドラゴンズファンです。﹂という発言をした事もある。JRN系︵TBSラジオがキー局として率いるラジオネットワーク︶・JNN系︵TBSテレビがキー局のテレビネットワーク︶全国ネットの実況も担当していたが、2000年代途中頃からは実況機会が減っており、ラジオかBS・CSテレビ︵BS-TBS、TBSチャンネル1、J SPORTS向け︶の担当中心となっている。2008年からはテレビの中継公式サイト内で担当アナウンサーリストを掲載しているが、ラジオの中継公式サイトとは異なり、久野は明記されていない[5]。
2004年10月16日に放送された、プロ野球日本シリーズ・中日対西武第1戦のテレビ中継[6] では、当初実況を担当していた塩見啓一が体調不良を訴え6回を最後に[7] 途中降板した[6][7] ため、久野が代行した[7][8]。
プロ野球以外では、大相撲中継︵CBCが主催する花相撲﹁大相撲王座決定戦﹂のテレビ中継︶やラジオの中央競馬中継なども担当。反面、サッカー及び地元Jリーグチームの名古屋グランパスエイトに関しては詳しくない︵ドラ魂KING内で発言︶
バラエティ番組の出演経験も豊富であることから、﹁色物的スポーツアナウンサー﹂を自称[3]。
2014年4月1日、中部日本放送の持株会社化に伴い、それまで在職していたほかのアナウンサーとともに、CBCテレビの社員となった。
面長な顔立ちから、共演者やリスナーから馬になぞらえたいじりをされることがある[9]
2017年の誕生日でCBCテレビの定年︵65歳︶に達したことから、同年12月31日付で定年退職。9月23日にCBCラジオで放送された﹃中日ドラゴンズ対横浜DeNAベイスターズ﹄戦中継の実況︵解説は高木守道と山田久志︶で、野球中継の実況担当から退いた[10]。定年退職2日前の12月29日には、16:00にCBCラジオで最後の定時ニュースを担当。同日18:00から放送された﹃ドラ魂KING﹄﹁年末スペシャル〜さらば久野誠、THEラストナイト〜﹂でのMCが、CBCアナウンサーとしての最後の仕事になった[11]。ただし、﹃多田しげおの気分爽快!!朝からP・O・N﹄︵CBCラジオ︶で毎週月曜日に放送している﹁久野誠のスポーツ川柳﹂には、定年退職後の2018年1月8日以降も引き続き出演しているほか[12]、﹁スポーツジャーリスト﹂という肩書で﹃ドラ魂KING﹄やイベントなどにも出演している。
ちなみに、CBCテレビからの定年退職を間近に控えた2017年12月12日放送分の﹃ドラ魂KING﹄には、中日の投手時代から交流があった星野仙一︵当時は東北楽天ゴールデンイーグルス取締役副会長︶がスペシャルゲストで出演。1時間の生放送の全編にわたってインタビューを実施した[13][14]。星野が翌2018年1月4日に70歳で逝去したため、楽天球団がその旨を公式に発表した1月6日には、星野の訃報を伝えるTBS[15]および他系列の全国ネット向けテレビ番組[16]で、この時のインタビュー音源が﹁星野が公に発した生前最後の肉声﹂として引用された。久野自身も、1月14日にCBCラジオで放送された﹃追悼特別番組、夢と感動をありがとう!燃える男、星野仙一~最後のメッセージ~﹄で、前述した音源を交えながら鷲塚美知代と共に司会を務めている[17]。星野の後に中日の監督を2度務めていた高木の急逝︵2020年1月17日︶に際しても、CBCラジオで﹃追悼特別番組 さよなら高木守道、バックトスよ永遠に﹄︵同月21日に生放送︶の司会を任された。
なお、フリーアナウンサーで、元日本テレビアナウンサーの久野静香について、名字が同じであること、同じ中日ドラゴンズファンであること、共に東海3県出身︵久野静香は愛知県大府市出身︶であることから、親子ではないかという噂が流れていたが、2017年2月9日放送の﹁ドラ魂KING﹂で﹁娘ではない。子供は息子一人だけ。﹂と久野誠本人が否定している[18][19][20]。
活動リスト
編集出演番組
編集スポーツ中継(ラジオorテレビ)
編集
●サンデー競馬中継 みんなの競馬︵ラジオ。中京競馬の裏開催時の実況を担当。また、2012年3月まで進行を担当︶
●全国高校ラグビー大会︵テレビ、TBS系全国ネット。MBS・TBS他と共同制作。実況︶ ※MBS以外の制作参加局撤退︵2001年度︶を以て降板。
プロ野球中継
編集※1979年以降、実況を担当[4]。
- 『CBCドラゴンズナイター』ほかラジオ中継(JRN系全国ネット・各地方系列局ネット含む)
- 1988年のセントラル・リーグ優勝決定試合[4](1988年10月7日、中日対ヤクルト戦)
- 2010年のセントラル・リーグクライマックスシリーズファイナルステージ「中日対巨人」第3戦
- 2011年のセントラル・リーグクライマックスシリーズファイナルステージ「中日対ヤクルト」第3戦
- NTTコミュニケーションズ オールスターシリーズ2000 日米野球 第6戦(2000年11月9日。TBSラジオでも放送[21])
- 『燃えよドラゴンズ!』『J SPORTS STADIUM』『三重テレビナイター』ほかテレビ中継(CBCテレビ・TBS系地上波・TBSニュースバード・TBSチャンネル・BS-TBS・J SPORTS・三重テレビ。実況・ベンチリポート)
- 近藤真一による日本プロ野球史上初の初登板ノーヒットノーラン達成試合(1987年8月9日、中日対巨人戦。TBS系全国ネット) - ベンチリポーター・ヒーローインタビュアー[4]
- 『'84セ・リーグオールスター東西対抗』(1984年11月17日、13:00 - 14:54。TBS系全国ネット) - リポーター[22]
- 『'95日韓プロ野球スーパーゲーム第6戦』(1995年11月12日、14:00 - 15:24。TBS系全国ネット)[23]
- 1999年の日本シリーズ「中日対ダイエー」第5戦(TBS系全国ネット)
- 2004年の日本シリーズ「中日対西武」第1戦(TBS系全国ネット。#来歴・人物節も参照)
大相撲中継
編集※いずれも、「大相撲王座決定戦」中継(CBCテレビ制作・TBS系全国ネット)
- 名古屋市政100周年「大相撲王座決定戦〜戦国巴戦〜」(1989年10月7日・8日、15:30 - 16:54)[24]
- 平成四年大相撲王座決定戦〜天下分け目の勝抜き巴戦〜(1992年10月10日・11日、15:30 - 16:54)[25]
- 平成六年大相撲王座決定戦〜天下分け目の勝ち抜き巴戦〜(1994年10月8日・9日、15:30 - 16:54)[26]
- 平成七年大相撲王座決定戦〜天下分け目の勝抜き巴戦〜(1995年10月21日・22日、15:30 - 16:54)[27]
- 平成十年大相撲王座決定戦〜名古屋市総合体育館(1998年10月10日・11日、15:30 - 16:54)[28]
- 平成十一年大相撲王座決定戦〜天下分け目の勝ち抜き巴戦〜(1999年10月9日・10日、15:30 - 16:54)[29]
- 平成十二年大相撲王座決定戦〜天下分け目の勝ち抜き巴戦〜(2000年10月7日・8日、15:30 - 16:54)[30]
ラジオ
編集- オー!サンデー(入社から半年後、最初に担当した番組[31]。板東英二、野口小太郎らと出演)
- 久野誠のプレイボールまで待てない!!
- 土曜天国(兵藤ゆきと担当)
- ばつぐんジョッキー
- もぎたてのカボチャたち(多田しげおと担当)
- 0時半です松坂屋ですカトレヤミュージックです(1979年 - 1980年)
- ツー快!お昼ドキッ(火曜日)
- 久野誠のドラゴンズワールド
- ごごイチ
- ドラ魂KING
- 多田しげおの気分爽快!!朝からP・O・N
- 追悼特別番組 さよなら高木守道、バックトスよ永遠に(2020年1月21日)
テレビ
編集- おはようクジラ(TBS系全国ネット。「プロ野球応援バトル」を担当。久野はこの番組の為にドラゴンズブルーのタキシードを30万円をかけて作った)
- サンデードラゴンズ(1983年10月 - 1997年3月、2001年10月 - 2003年3月、司会、後にご意見番)
- ぱろぱろエブリデイ
- 探偵!ナイトスクープ(「ぱろぱろエブリデイ」内のさすらいのドッチャーに会いたいという依頼に対して、当時の実況担当として他系列の番組ながら特別出演。中京地区ではもちろんライバル局のメ〜テレで放送された。)
出演ラジオCM
編集- JA共済
- パチンコスロットの夢屋
- サークルKサンクス 名古屋グランパス優勝セールのナレーション(2010年11月29日 - 12月3日)
- まごころ畳
- 服部家具センター
- 堀田土地
- スズキアリーナ三河豊田
- オーギヤ
- ユピテル
- 天然温泉みどり館
出演映画
編集- 『ミスター・ベースボール』(日本プロ野球を題材にした、日本・アメリカ合衆国二カ国の合作映画) - 実況アナ 役
ディスコグラフィ
編集※特記ない限り、CDメディア。
- 燃えよドラゴンズ!!'88:1988年9月21日発売(唯一のカセットテープ) - 6万枚を売り上げた[32]
- 燃えよドラゴンズ!!'91:1991年4月21日発売のアルバム『燃えよドラゴンズ!!'91大竜界』に収録
- 燃えよドラゴンズ!往年の名選手編:1991年4月21日発売のアルバム『燃えよドラゴンズ!!'91大竜界』に収録
- 燃えよドラゴンズ!'91(シングルバージョン):1991年6月21日発売
- 燃えよドラゴンズ!平成FIVE:1993年9月25日発売
- 燃えよドラゴンズ!'99優勝記念盤:1999年10月30日発売(ナレーションとしてのみの参加)
- 燃えよドラゴンズ!2000(ミレニアム):2000年7月21日発売(歌唱は板東英二で、久野はCBCアナウンサーズの一員としてバックコーラスに参加)
連載
編集- 久野誠の「取材ノートお見せします」(『ぴあ中部版WEB』内コラム。2013年連載開始。#外部リンク参照)
脚注
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(一)^ abc生年月日・血液型・出身県については、CBC公式サイト内プロフィールを参照。
(二)^ abc生年月日・出身県・出身大学は、﹃12球団全選手カラー百科名鑑2005﹄P241に掲載された、CBCのプロ野球アナウンサー一覧表を参照。
(三)^ abc外部リンク﹃久野誠の﹁取材ノートお見せします﹂﹄より、プロフィールを参照。
(四)^ abcd久野誠の﹁取材ノートお見せします﹂第六回 ﹁1988年の優勝実況﹂ - ﹃ぴあ中部版WEB﹄内連載コラム
(五)^ 参考リンク
●2008年当時のCBCテレビプロ野球中継公式サイト︵インターネット・アーカイブ2008年10月6日付保存キャッシュ︶
●2008年当時のCBCラジオプロ野球中継公式サイト︵インターネット・アーカイブ2008年10月6日付保存キャッシュ︶
(六)^ ab終わってしまいました……︵﹃魅惑のアナウンス室﹄内で配信された、塩見のブログ2006年10月27日付更新分。インターネット・アーカイブ2006年11月14日付保存キャッシュ︶
(七)^ abc﹃魅惑のアナウンス室﹄内で配信された、塩見のウェブ日記2004年10月19日付更新分︵インターネット・アーカイブ2004年11月9日付保存キャッシュ︶
(八)^ 日本シリーズで、塩見の体調不良により代行したことは﹃12球団全選手カラー百科名鑑2005﹄P242でも記述されている︵第1戦テレビ中継であることについては明記せず︶。
(九)^ ﹃多田しげおの気分爽快﹄で多田の代役で出演した際、金曜特集で女性ジョッキーの取材や動物 (特に馬) の歯医者への取材を行なった。
(十)^ 森野選手引退に久野アナ実況引退、いろいろあったスポーツ川柳 ラジチューブ 2017年9月27日
(11)^ さらば久野誠アナウンサー。最後は感謝の言葉で ラジチューブ 2017年12月31日
(12)^ ﹃多田しげおの気分爽快!!朝からP・O・N﹄公式サイト2018年1月8日 付記事﹁今週のスポーツ川柳MVP﹂
(13)^ ﹃ドラ魂KING﹄公式ブログ2017年12月12日付記事﹁星野仙一さん、生出演でした!﹂
(14)^ 久野の定年退職記念と﹁CBCラジオ 冬のスペシャルウィーク﹂を兼ねた特別企画として、星野の出演が実現。
(15)^ CBCでも放送された﹃情報7days ニュースキャスター﹄では、星野が﹃ドラ魂KING﹄へ出演した際に撮影された久野とのツーショット写真も紹介された。
(16)^ ﹃サタデーステーション﹄︵テレビ朝日制作、CBCの放送対象地域である東海地方ではメ〜テレで同時ネット︶
(17)^ 1月14日 星野仙一さん追悼特別番組を放送します。 ラジチューブ 2018年1月9日
(18)^ “久野静香アナの結婚相手の夫(旦那)や父親の噂やバイクは?(日本テレビ退社) | 女性アナウンサー大図鑑”. 女性アナウンサー大図鑑 (2023年1月18日). 2023年9月16日閲覧。
(19)^ “久野静香アナの父は久野誠アナ?噂を検証! | 情報ナビゲーター”. 情報ナビゲーター (2022年7月17日). 2023年9月16日閲覧。
(20)^ “久野静香アナの父親は有名人?旦那と離婚した理由と再婚相手も調査!| It's never too late⭐︎”. It's never too late⭐︎ (2022年5月18日). 2023年9月16日閲覧。
(21)^ 2000年日米野球当時のTBSラジオプロ野球中継公式サイト内オンエア予定表︵インターネット・アーカイブ2000年12月17日付保存キャッシュ︶
(22)^ ﹃TBS50年史﹄DVD-ROM﹃ハイブリッド検索編﹄より、﹁テレビ番組﹂→﹁ジャンル別リスト﹂→﹁スポーツ﹂→﹃︹野球︺ ’84セ・リーグオールスター東西対抗﹄を参照︵﹃﹄内番組名は、原資料よりコピペ・引用︶。番組情報下部の出演者リストの中に﹁久野誠‥Rep﹂の記述あり。
(23)^ ﹃TBS50年史﹄DVD-ROM﹃ハイブリッド検索編﹄より、﹁テレビ番組﹂→﹁ジャンル別リスト﹂→﹁スポーツ﹂→﹃︹野球︺ ’95日韓プロ野球スーパーゲーム第6戦﹄を参照︵﹃﹄内番組名は、原資料よりコピペ・引用︶。
(24)^ ﹃TBS50年史﹄DVD-ROM﹃ハイブリッド検索編﹄より、﹁テレビ番組﹂→﹁ジャンル別リスト﹂→﹁スポーツ﹂→﹃︹相撲︺ 名古屋市制100周年﹁大相撲王座決定戦~戦国巴戦~﹂﹄を参照︵﹃﹄内番組名は、原資料よりコピペ・引用︶。
(25)^ ﹃TBS50年史﹄DVD-ROM﹃ハイブリッド検索編﹄より、﹁テレビ番組﹂→﹁ジャンル別リスト﹂→﹁スポーツ﹂→﹃︹相撲︺ 平成四年大相撲王座決定戦~天下分け目の勝抜き巴戦~﹄を参照︵﹃﹄内番組名は、原資料よりコピペ・引用︶。
(26)^ ﹃TBS50年史﹄DVD-ROM﹃ハイブリッド検索編﹄より、﹁テレビ番組﹂→﹁ジャンル別リスト﹂→﹁スポーツ﹂→﹃︹相撲︺ 平成六年大相撲王座決定戦~天下分け目の勝ち抜き巴戦~﹄を参照︵﹃﹄内番組名は、原資料よりコピペ・引用︶。
(27)^ ﹃TBS50年史﹄DVD-ROM﹃ハイブリッド検索編﹄より、﹁テレビ番組﹂→﹁ジャンル別リスト﹂→﹁スポーツ﹂→﹃︹相撲︺ 平成七年大相撲王座決定戦~天下分け目の勝抜き巴戦~﹄を参照︵﹃﹄内番組名は、原資料よりコピペ・引用︶。
(28)^ ﹃TBS50年史﹄DVD-ROM﹃ハイブリッド検索編﹄より、﹁テレビ番組﹂→﹁ジャンル別リスト﹂→﹁スポーツ﹂→﹃︹相撲︺ 平成十年大相撲王座決定戦~名古屋市総合体育館﹄を参照︵﹃﹄内番組名は、原資料よりコピペ・引用︶。
(29)^ ﹃TBS50年史﹄DVD-ROM﹃ハイブリッド検索編﹄より、﹁テレビ番組﹂→﹁ジャンル別リスト﹂→﹁スポーツ﹂→﹃︹相撲︺ 平成十一年大相撲王座決定戦~天下分け目の勝ち抜き巴戦~﹄を参照︵﹃﹄内番組名は、原資料よりコピペ・引用︶。
(30)^ ﹃TBS50年史﹄DVD-ROM﹃ハイブリッド検索編﹄より、﹁テレビ番組﹂→﹁ジャンル別リスト﹂→﹁スポーツ﹂→﹃︹相撲︺ 平成十二年大相撲王座決定戦~天下分け目の勝ち抜き巴戦~﹄を参照︵﹃﹄内番組名は、原資料よりコピペ・引用︶。
(31)^ 外部リンク﹃伊藤敦基のこの人にLOGIN 久野誠﹄を参照。
(32)^ ﹁﹃燃えよドラゴンズ'91﹄のCD発売﹂﹃中部財界﹄1991年8月号、87頁。NDLJP:2773998/44
参考資料
編集- TBS50年史(2002年1月、東京放送編・発行)…国立国会図書館サーチの書誌情報
- 付録DVD-ROM『ハイブリッド検索編』
- テレビ番組データベース
- 付録DVD-ROM『ハイブリッド検索編』
- 12球団全選手カラー百科名鑑2005(『ホームラン』2005年3月号増刊。2005年3月31日、日本スポーツ出版社発行)
- 各種外部リンク
関連項目
編集- 三重県出身の人物一覧
- 早稲田大学の人物一覧
- 加藤吉治郎 - 『オー!サンデー』のディレクター・『ぱろぱろエブリディ』のチーフディレクター
外部リンク
編集- CBC公式サイト内プロフィール - ウェイバックマシン(2002年7月27日アーカイブ分)(以下は、インターネットアーカイブの保存アーカイブから
- 久野誠の「取材ノートお見せします」 - 『ぴあ中部版WEB』内連載コラム(トップページ)
- 伊藤敦基のこの人にLOGIN 久野誠 - 伊藤敦基(CBCアナウンサー)が同局アナウンサーへのインタビューを行ったCBC公式サイト上の企画(2006年8月7日掲載、第24回)。 ※リンク先は、インターネット・アーカイブ2007年10月26日付保存キャッシュ。