五百城入彦皇子︵いおきいりびこのみこ、﹃日本書紀﹄に因る︶[1]は、古墳時代の皇族。景行天皇の子で、母は八坂入媛命。同母兄に成務天皇などがいるほか同母弟が5人、同母妹が5人、異母兄弟に日本武尊など68人いるといわれる︵うち名が伝わっているのは46人︶。父景行天皇は、それらの皇子たちをそれぞれの国や郡に封じたが、彼と成務・日本武尊の3人だけは封じなかったと、日本書紀に書かれている。そのうち日本武尊は熊襲征討に行かせたことから、彼は万一成務天皇に何かあった場合の予備だったと考えられる。子に品陀真若王︵応神天皇の皇后・仲姫命の父︶がいる。
気入彦命︵けいりひこのみこと︶は、景行天皇の皇子。
﹃新撰姓氏録﹄左京皇別上の御使︵みつかい︶朝臣条によれば、気入彦命は応神天皇の詔を奉じて、逃亡した宮室の雑使らを三河国で捕らえ、その功績によって御使︵みつかい︶連の氏姓を賜ったという。﹃新撰姓氏録﹄右京皇別下にも、御立︵みたち︶史︵ふひと︶が気入彦命の後裔と記されている。﹃古事記﹄﹃日本書紀﹄の双方にはこの皇子の名は見えないが、名前の類似点から五百城入彦皇子と同一人物と考える説もある[2]。
- ^ 『古事記』では五百木之入日子命(いおきのいりひこのみこと)。
- ^ 佐伯有清『新撰姓氏録の研究』考証編1より。