仁海
951-1046, 平安時代中期の真言宗の僧
略歴
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高野山の雅真︵がしん︶に師事して得度し、その後石山寺元杲︵がんごう︶に灌頂を受けた。弘法大師︵空海︶より8代目の弟子にあたる[1]。991年︵正暦2年︶山科小野に牛皮山曼荼羅寺︵後の随心院︶を建立し[1]、小野流を開いた。1018年︵寛仁2年︶祈雨法を修して霊験を現したことにより権律師に任じられた。宮中の帰依を受け、神泉苑︵京都御池大宮西︶に請雨の法︵祈雨法︶を修すること9回、その度に霊験があり雨が降ったので、雨僧正とも呼ばれた[1]。その名声は中国の宋まで伝わった。この間、東大寺別当・東寺長者法務を歴任し僧正に至った。晩年には輦車の宣旨を賜っている。
真言宗各派で読誦する﹁胎蔵界礼懺﹂の撰者である。