今出川院近衛
今出川院近衛︵いまでがわいんのこのえ、生没年不詳︶は、鎌倉時代中期の女流歌人。今出河院近衛とも表記される。
藤原北家師実流大炊御門家庶流の鷹司家[1]の出身で、父は大納言鷹司︵藤原︶伊平。陰明門院大炊御門麗子︵土御門天皇中宮︶は大叔母にあたる。今出川院西園寺嬉子︵亀山天皇中宮︶に仕える。
﹃続古今和歌集﹄以下の勅撰和歌集に26首入集。﹃和漢兼作集﹄には和歌だけでなく漢詩をも載せる。﹃徒然草﹄67段に以下のような記述があり、彼女が当時の歌壇において名声を得ていたことがわかる。
﹁今出川院近衛とて、集どもにあまた入りたる人は、若かりける時、常に百首の歌を詠みて、かの二つの社の御前の水にて書きて、手向けられけり。まことにやんごとなき誉れありて、人の口にある歌多し。作文・詞序など、いみじく書く人なり。﹂
︵今出川院近衛という名の歌人は、多くの歌集に歌を選ばれた女性であるが、若い頃から常に百首の歌を詠むような才媛で、岩本神社と橋本神社[2]の前の水で墨をすって歌を書いて、神社に奉納していた。これらの神社の本当に素晴らしいご利益があって、人の口にのぼるような良い歌を多く詠んだという。彼女は漢文や漢詩の序文なども上手に書く優れた人であった︶
脚注
編集参考文献
編集- 西尾実・安良岡康作校注『新訂徒然草』岩波文庫、1985年。
- 安田元久編 『鎌倉・室町人名事典』 新人物往来社、1990年。
- 芳賀登他監修 『日本女性人名辞典』 日本図書センター、1993年。