今枝蝶人
生涯
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徳島市生まれ。1915年︵大正4年︶に徳島師範学校を卒業して教師になる。その翌年から俳句を始め、1917年︵大正6年︶に臼田亜浪主宰の﹁石楠﹂に参加。後に最高幹部となる。1930年︵昭和5年︶に﹁鳴門﹂、1935年︵昭和10年︶に﹁海音﹂、戦後は1946年︵昭和21年︶に﹁向日葵﹂を創刊し主宰した。俳句観の相違から1965年︵昭和40年︶3月﹁向日葵﹂と決別。1965年︵昭和40年︶6月に﹁航標﹂を創刊主宰した。
第一句集は﹁草樹﹂︵昭和26年刊︶、第二句集は﹁幹﹂︵昭和41年刊︶、第三句集は﹁沙羅﹂︵昭和56年刊︶。
句碑は鳴門市の鳴門公園お茶園展望台と徳島市の藍場浜公園、中津峰山如意輪寺にある。
徳島県立文学書道館3階の文学常設展示室では、徳島ゆかりの文学者として紹介されている。
著書
編集- 『句集 草樹』石楠社、1951年。
- 『今枝蝶人第二句集 幹』航標俳句会、1966年。
- 『今枝蝶人』出版〈現代徳島詩歌選集 1〉、1974年。
- 『今枝蝶人第三句集 沙羅』航標俳句会、1981年。
- 『定本今枝蝶人句文集』航標俳句会、1990年。
- 今枝立青 編『今枝蝶人の一句』今枝立青、1998年。
参考文献
編集- 『現代俳句大事典』 三省堂