佐々木行綱
日本の声楽家
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佐々木 行綱︵ささき ゆきつな、1926年︵大正15年︶3月14日 - 2017年︵平成29年︶9月6日︶は、日本の声楽家︵バス︶、オペラ歌手、音楽教育者、音楽評論家。音楽教育者、作曲家の佐々木すぐる[1]の三男[2]。
佐々木 行綱 | |
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生誕 | 1926年3月14日 |
出身地 |
![]() |
死没 |
2017年9月6日(91歳没)![]() |
学歴 | 東京音楽学校 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 |
声楽家(バス) オペラ歌手 音楽教育者 音楽評論家 |
経歴
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東京出身。幼少時はボーイソプラノの童謡歌手であり、代表曲は﹃四っつの兄ちゃん﹄﹃犬と小僧さん﹄﹃兵隊あそび﹄などがある[2]。1944年︵昭和19年︶東京音楽学校声楽科に入学。木下保、中山悌一に師事。1948年︵昭和23年︶卒業。同年同校研究科に進み、柴田睦陸に師事。1950年︵昭和25年︶修了[1]。畑中良輔を代表に結成された第二次東京交声楽団に参加し、その先頭に立って歌唱技能を磨く[1]。1951年︵昭和26年︶芸大歌劇研究部 ベルリオーズ﹃ファウストの劫罰﹄︵日本初演︶ブランデルでデビュー。1952年︵昭和27年︶二期会旗揚げ公演 プッチーニ﹃ラ・ボエーム﹄巡査部長を務めるなど、二期会を中心に、以後数多くのオペラで活躍した。
歌手としての活動と同時に音楽教育に力を注ぎ、二期会に創設された﹁研究生制度﹂︵音大卒業生をプロの声楽家に育成し、新会員として活動させていく︶の仕事を担い、一方では、大学教官として学生の研究指導の仕事に精力的に携わっていった[1]。1963年︵昭和38年︶東京芸術大学講師となる。1964年︵昭和39年︶城多又兵衛を理事長に、須永義雄︵音声学博士︶、柴田睦陸等が立ち上げた﹃発声指導法研究会﹄に参加。この団体は1971年︵昭和46年︶に﹃日本声楽発声学会﹄と改称して現在に至っている。佐々木は1967年︵昭和42年︶に山形大学助教授となり、1976年︵昭和51年︶教授、1992年︵平成4年︶定年退官[1]まで数多くの学生を指導・育成した。
また、音楽評論家として、1953年︵昭和28年︶の﹃音楽の友﹄への寄稿を皮切りに、﹃音楽芸術﹄﹃音楽現代﹄等の誌上で活躍した。中でも﹃レコード芸術﹄の声楽評を1956年︵昭和31年︶から1995年︵平成7年︶まで約40年にわたり畑中良輔とともに担当し[3]、音楽評論の第一人者としての地位を築いたことは特筆に値する。
2017年︵平成29年︶9月6日死去。91歳没。
オペラ出演歴
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昭和音楽大学オペラ情報センターの記録[4]による。
●1951年11 - 12月 東京芸術大学歌劇研究部 ベルリオーズ﹃ファウストの劫罰﹄ブランデル
●1952年2月 二期会 プッチーニ﹃ラ・ボエーム﹄巡査部長
●1952年11 - 12月 東京芸術大学、藤原歌劇団、長門美保歌劇団、二期会、東京オペラ協会、関西オペラグループ モーツアルト﹃フィガロの結婚﹄バルトロ
●1953年1月 藤原歌劇団 ビゼー﹃カルメン﹄スニガ
●1953年2月 藤原歌劇団 ヴェルディ﹃椿姫﹄オヴィニー侯爵
●1953年3月 二期會 フロトー﹃マルタ﹄リッチモンドの役人
●1953年3月 藤原歌劇団 ビゼー﹃カルメン﹄ツニガ
●1953年5月 藤原歌劇團 ヴェルディ﹃リゴレット﹄スパラフチーレ
●1953年5月 二期会 フロトー﹃マルタ﹄リッチモンドの役人
●1953年6月 藤原歌劇團、二期會、東京ヴォーカル・グループ ヴェルディ﹃リゴレット﹄スパラフチーレ
●1953年7月 二期會 モーツアルト﹃フィガロの結婚﹄バルトロ
●1953年10 - 11月 二期會 ヴェルディ﹃オテロ﹄ロドヴィーコ
●1953年11 - 12月 二期会 フロトー﹃マルタ﹄トリスタン卿
●1953年12月 二期會 ヴェルディ﹃椿姫﹄オビニ侯爵
●1954年2月 二期會 ビゼー﹃カルメン﹄ツニガ
●1954年5 - 6月 日本樂劇協会、二期会 山田耕筰﹃黒船﹄奉行
●1954年7月 二期会 ブリテン﹃ルクリーシア﹄コラティナス
●1954年12月 二期会 メノッティ﹃アマールと夜の訪問者﹄バルタザール
●1955年1月 二期會 清水脩﹃修善寺物語﹄金窪兵衛尉行親
●1955年2月 二期會 ビゼー﹃カルメン﹄ツニガ
●1955年3月 大阪勤労者音楽協議会3月例会 第1回公演 團伊玖磨﹃ききみみずきん﹄なぎの木
●1955年6月 二期会 モーツアルト﹃魔笛﹄ザラストロ
●1955年9月 NHK交響楽団 スメタナ﹃売られた花嫁﹄ミヒャ
●1955年10 - 11月 藤原歌劇団、二期会、江口・宮舞踊団 團伊玖磨﹃ききみみずきん﹄なぎの木
●1956年3月 二期会 モーツアルト﹃フィガロの結婚﹄バルトロ
●1956年4 - 6月 二期会 モーツアルト﹃フィガロの結婚﹄バルトロ
●1956年10 - 11月 都民劇場 リヒャルト・シュトラウス﹃ばらの騎士﹄︵日本初演︶警部
●1956年11 - 12月 二期会 ビゼー﹃カルメン﹄ツニガ
●1957年4 - 6月 二期会、グルリットオペラ協会、藤原歌劇団 ヴェルディ﹃椿姫﹄オビニー
●1957年6 - 7月 二期会 モーツアルト﹃ドン・ジョヴァンニ﹄騎士長
●1957年10月 二期会研究生第1期生卒業公演 石桁眞禮生﹃卒塔婆小町﹄巡査
●1957年12月 - 1958年1月 二期会 プッチーニ﹃お蝶夫人﹄神主
●1958年5月 1958年度大阪国際芸術祭 團伊玖磨﹃ききみみ頭巾﹄なぎの木
●1958年7月 二期会研究生第2回オペラ試演会 モーツアルト﹃劇場支配人﹄フランク氏
●1958年11 - 12月 都民劇場 ドビュッシー﹃ペレアスとメリザンド﹄アルケル
●1959年4月 二期会 ヴェルディ﹃椿姫﹄オビニー侯爵
●1959年7月 二期会 ヴェルディ﹃椿姫﹄オビニー
●1959年8月 二期会 ヴェルディ﹃アイーダ﹄国王
●1959年11月 音楽サークル オネゲル﹃火刑台上のジャンヌ・ダルク﹄︵日本初演︶一つの声・先ぶれ№2
●1960年1月 二期会 ウェーバー﹃魔弾の射手﹄クーノ
●1960年3月 横浜勤労者音楽協議会 ヴェルディ﹃リゴレット﹄スパラフチーレ
●1960年11月 二期会 ニコライ﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄ライヒ氏
●1962年5 - 6月 二期会 ブリテン﹃真夏の夜の夢﹄シーシアス
●1963年7月 二期会 清水脩﹃修善寺物語﹄金窪兵衛尉行親
●1966年2月 新芸術家協会 團伊玖磨﹃夕鶴﹄惣ど
●1967年3 - 4月 日生劇場、二期会 ヘンデル﹃ジュリアス・シーザー﹄ニレヌス