便衣兵
便衣兵(べんいへい)とは、一般市民と同じ私服・民族服などを着用し民間人に偽装して、各種敵対行為をする軍人のことである。
定義
編集南京事件に関して
編集「南京事件 (代表的なトピック)」および「南京事件論争」も参照
1937年の南京陥落の際には「南京安全区」に逃走した中国兵を、日本軍が便衣兵として多数摘発して逮捕・処刑したが、これについては、便衣兵の摘発が適格であったかなど、以下のように論議ある。1937年の日中戦争の際には中国国民党が、便衣兵による日本軍への襲撃を行っている[2]。
便衣兵に関する議論
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﹁便衣兵﹂の定義について、”軍服着用などの交戦者資格の有無のみならず”﹁害敵手段︵戦闘行為やテロ行為︶を行うもの﹂を﹁便衣兵﹂とみなすと戦前の国際法学者信夫淳平は説明する。つまり﹁便衣兵﹂の定義について、﹁交戦者たるの資格なきものにして害敵手段を行ふのであるから﹂とした[3]。また別の意見として、東中野修道は、︵軍服着用などの︶交戦者資格を満たしていない場合は︵そのまま︶非合法戦闘員︵﹁便衣兵﹂︶となり、戦時国際法に照らして処刑しても合法であり、虐殺ではないと主張した[4]。以下の、意見の相違は、正にこの定義が関わる。
●逃走した中国兵を、日本軍が便衣兵として多数摘発して逮捕・処刑したことを是認する考えの者
●東中野修道は﹁日本軍は便衣兵の厳正な摘出を行い、捕虜の資格が無い便衣兵のみを処刑したものだ。これが曲解されたものが南京大虐殺である﹂と主張している。
●小林よしのりは便衣兵戦術は日中戦争で中国軍が大いに採用していた、また一般市民に多大な被害をもたらす為に国際法で禁止されていた、と主張している。
●逃走した中国兵を、日本軍が便衣兵として多数摘発して逮捕・処刑したことを必ずしも是認しない考えの者
●﹁日中歴史共同研究﹂担当の北岡伸一は、﹁捕虜に対しては人道的な対応をするのが国際法の義務であって、軽微な不服従程度で殺してよいなどということはありえない。便衣隊についても、本来は兵士は軍服を着たまま降伏すべきであるが、軍服を脱いで民衆に紛れようとしたから殺してもよいというのは、とんでもない論理の飛躍である。﹂[5]と主張している。
●秦郁彦は﹁靴づれのある者、極めて姿勢の良い者、目つきの鋭い者﹂という基準で摘出した歩兵第七連隊の資料を挙げて﹁便衣兵選びは極めていい加減な基準だった﹂と言い、また、﹁青壮年は全て敗残兵または便衣兵とみなす﹂という歩六旅団の資料を挙げて﹁明確な証拠もない決め付け﹂だったと指摘している。さらに、日本軍の行動について﹁便衣兵としてつかまえた敵国人を処刑するには裁判をする義務がある。﹃便衣兵の疑いがある﹄というだけでまねごとだけでも裁判をやらずに処刑してしまったのは理解に苦しむ﹂と述べている。
●笠原十九司は秦の主張に加えて﹁普段着に着替えた元中国兵が攻撃してきたという資料は無い。彼らは便衣兵ではなく、敗残兵であるからハーグ陸戦条約で保護されるべきもの。その意味でも日本軍の処刑行為は国際法違反である。﹂と主張している。
●百田尚樹は、2014年2月、東京都知事選で南京事件については﹁日本兵による犯罪は少数あったものの、日本軍による“大虐殺”はなかった﹂とする久保有政の説を支持していると主張した[要出典]。その後も2018年に自著﹃日本国紀﹄において﹁便衣兵︵民間人に化けたゲリラ兵︶はいて、日本軍はそれを見つけるたびに処刑していたから、中には便衣兵と間違われて殺された民間人もいたかもしれない﹂︵p. 370︶、﹁一部の日本兵による殺人や強姦などの事件はあったが、それは大虐殺ではない。戦時中は平時よりも犯罪が増えるのは当たり前だから、南京で百例・二百例ほど事件が起きても大虐殺を証明しているわけではない。﹂﹁今の南京大虐殺の虚構をつくりあげたのは戦後日本のマスコミである。﹂と主張し、南京事件における論争に関しては一貫して便衣兵掃討であると主張して日本軍を擁護している[要出典]。
赤十字国際委員会による解釈指針
編集2009年8月12日、赤十字国際委員会(ICRC)は、紛争当事者に属する不正規軍の構成員とみなされるかどうかは、当該人物が「継続的戦闘任務」を負うか否かで決めるべきとする指針を発表した。すなわち、真の一般市民か、市民を装った兵隊かという区別は、その者が武装集団のために継続的戦闘任務を負うか否かで決定し、また一般市民であろうと実際に戦闘に参加している間は文民としての保護を失うとする。この指針に法的拘束力はないが、コロンビア、イスラエルなどが賛同している[6]。
ベトナム戦争における実例
編集詳細は「グエン・ヴァン・レムの処刑」を参照
1968年2月1日、ベトナム戦争におけるテト攻勢において、南ベトナムの国家警察総監グエン・ゴク・ロアン︵阮玉鸞︶はサイゴンの路上で、解放戦線の捕虜、グエン・ヴァン・レム︵阮文歛︶とされる、一般人の身形の人物を拳銃で即決処刑した。その場面は、カメラマンのエディ・アダムズに撮影され、国際社会に衝撃を与えた。アダムズはこの写真︵﹃サイゴンでの処刑﹄︶、で1969年度ピューリッツァー賞 ニュース速報写真部門を受賞した。
シリア内戦における実例
編集ブラックウォーターUSA社
編集軍服を着ることを許されない民間軍事会社ブラックウォーターUSA(アカデミ)はイラク戦争にも出兵し、便衣兵であるとする見方もある。
ロシア・ウクライナ戦争
編集ロシア軍、特にカディロフツィと呼ばれる私兵集団を軍に編入した部隊が民間人や一般車両に偽装して浸透作戦を行ったことが報道されている[要出典]。
イスラエルによるヨルダン川西岸地区
編集2024年1月30日、イスラエル軍の正規兵が医師や看護師などの医療関係者を装いヨルダン川西岸地区内の病院を襲撃し三名のパレスチナ人を殺害した。[1]
その他
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信夫淳平が﹃上海戦と国際法﹄で第一次上海事変における日本軍の行為を擁護して以降、日本軍の犠牲者を便衣隊、すなわち一般市民を装った兵士であったとする主張が見られる。
佐々木春隆﹃大陸打通作戦﹄によれば、第40師団が南部粤漢鉄道打通の作戦劈頭に挺身部隊として歩236連隊の1個大隊を派出するにあたり部隊全員に中国服を着用させた記事がある。佐々木本人が隊容検査に立ち会い、若い将校から﹁便衣着用は国際法に触れないか﹂という質問があったが﹁戦闘のための着用は触れるが今回は交戦を避けるための着用だ。攻撃時は脱ぎ捨てよ。﹂と説明したとある。佐々木の著書には日本軍の便衣挺身隊に関する記事が散見される。
第一次上海事変当時、現地で日中双方に取材していた記者のエドガー・スノーの﹃極東戦線﹄によると便衣兵の正体は青幇などの民族主義的かつ非合法な武装組織(いわゆる任侠団体)の構成員(武装した市民による民兵)で、それらから攻撃を受けると日本軍はそれを﹁中国軍の便衣兵﹂と認識していた様子が描かれている。
便衣兵もしくはそれに準ずる行為が登場する作品
編集脚注
編集- ^ 秦郁彦「南京事件」中公新書2009,p193
- ^ 福島民報・箭内正五郎記者(上海戦)「上海で昼にお金を使って働かせていた捕虜が夜になると謀反を起し、営舎に手榴弾を投げたり火をつけたりしたことがありました。その時、火事になり私もマントが燃えたことがありました。また、便衣兵が手榴弾を投げたのを見つけて殺しています。ですから市民の服を着て死んでいる者もいました」[要出典]
- ^ 信夫淳平「戦時国際法提要」上巻 第三項 私服狙撃者(便衣隊) 400頁
- ^ 秦郁彦 2007, pp. 274–275、東中野「「南京虐殺」の徹底検証」1998年 p.193-195
- ^ 『「日中歴史共同研究」を振り返る』北岡伸一、236頁
- ^ 『毎日新聞』2010年8月16日号 人権と外交:赤十字の試練/2 市民・戦闘員、揺らぐ境界 ウェブ魚拓による保存
- ^ デイリー・メール 2012年11月2日 Daniel Miller Syrian rebels branded 'war criminals' over video 'that shows them executing government soldiers'
- ^ 『読売新聞』2012年11月4日 シリア「反体制派が処刑」映像、ネットに流れる
参考文献
編集- 星山隆「南京事件70年ー収束しない論争」財団法人世界平和研究所,2007年
- デイヴィッド アスキュー「南京アトロシティ研究の国際化 Kitamura Minoru, The Politics of Nanjing: An Impartial Investigationの検証」立命館文學 609, 557-564, 2008年。