六百番歌合(ろっぴゃくばんうたあわせ)とは、鎌倉時代藤原良経主催でなされた歌合。判者藤原俊成の判詞「源氏見ざる歌詠みは遺恨の事なり」などで知られ、後の千五百番歌合とならび歌合の最高峰と評される。

概要

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出詠歌人

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左方
藤原良経中山兼宗
藤原定家(御子左家)
顕昭藤原季経藤原経家藤原有家(六条家)
右方
慈円藤原家房
寂蓮藤原隆信藤原家隆(御子左家)
藤原経家(六条家)

脚注

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  1. ^ 拾遺愚草』謌合百首「建久四年 三年給題、今年雖憚身、依別儀猶被召此哥」

関連項目

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