円光寺 (世田谷区)
東京都世田谷区にある寺院
圓光寺(えんこうじ)は、東京都世田谷区にある浄土宗西山禅林寺派の寺院。浄土宗西山禅林寺派としては東京都内で唯一の寺院である[1]。
圓光寺 | |
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所在地 | 東京都世田谷区大蔵2-2-1 |
位置 | 北緯35度38分1.3秒 東経139度36分54.3秒 / 北緯35.633694度 東経139.615083度座標: 北緯35度38分1.3秒 東経139度36分54.3秒 / 北緯35.633694度 東経139.615083度 |
山号 | 月輪山 |
宗派 | 浄土宗西山禅林寺派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 明治20年(1887年)【大師堂設立年】 |
開基 | 安井隆道 |
中興年 | 明治41年(1908年)【寺号公称年】 |
公式サイト | 浄土宗西山禪林寺派・圓光寺 |
法人番号 | 3010905000124 |
歴史
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浄土宗の一派﹁浄土宗西山派﹂︵現在は西山浄土宗、浄土宗西山禅林寺派、浄土宗西山深草派の﹁西山三派﹂に分裂している。︶は、歴史的経緯もあり、関東以東の東日本には所属寺院が一つもなかった。愛知県碧海郡渡村︵現・岡崎市渡町︶の善国寺住職の安井隆道は、東京に寺院を設立すべく単身上京した[2]。
そして1887年︵明治20年︶、伝馬町牢屋敷跡地に寺を創建した。ただ当時の国策で寺院新設が禁止されていたので、光明寺にあった円光大師︵法然︶と見真大師︵親鸞︶の両大師像を祀る﹁大師堂﹂という体裁で創設したという。1908年︵明治41年︶にようやく寺号公称が認められ﹁圓光寺﹂を称することになった[2]。
伝馬町牢屋敷跡地は、他にも刑死者の菩提を弔う寺が置かれていた[3]こともあり、当寺には専属の墓地がなかった。そのため、せっかく法縁を結んでも、家族の墓のために別の寺の檀家になるケースが相次いでいた。そこで1916年︵大正5年︶、東京府北多摩郡砧村大字大蔵︵現・東京都世田谷区大蔵︶の現在地に墓地を設けた[2]。
1923年︵大正12年︶の関東大震災に罹災したため、1930年︵昭和5年︶に当寺の墓地がある現在地に移転した[4]。
交通アクセス
編集脚注
編集参考文献
編集- 『せたがや社寺と史跡(その三)』世田谷区教育委員会、1970年