冷泉為広
室町時代後期から戦国時代の公卿・歌人。正二位・権大納言、民部卿。上冷泉家6代。出家
冷泉為広 | |
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時代 | 室町時代後期 - 戦国時代 |
生誕 | 宝徳2年(1450年) |
死没 | 大永6年7月23日(1526年8月30日) |
改名 | 為広→宗清(号) |
官位 | 正二位、権大納言 |
主君 | 足利義澄 |
氏族 | 上冷泉家 |
父母 | 父:冷泉為富 |
妻 | 丹波重長の娘 |
子 | 為和、応猷、尊俊、孝我、将軍家女房 |
経歴
編集文献における記載
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﹃耳嚢﹄巻之一﹁為広塚の事﹂に以下の記述がある。
加賀・能登の境に、冷泉為広の歌塚といへる物有し由。左に記す。
季世尓残牟
為広塚加能
跡動無建碑
如斯にて歌に詠じ侍れば、
すゑの代に残さんがため広塚のあと動ぎなくたつる石ふみ
系譜
編集注記のないものは「御子左系図」『続群書類従』巻第148所収による。