別れの歌 (シュヴァーベン地方民謡)
﹃別れの歌﹄︵わかれのうた、ドイツ語: Abschied︶は、ドイツ民謡で、そのドイツ語歌詞の1行目から﹃ムシデン﹄︵ドイツ語: Muß i denn︶とも呼ばれている。
客船アルコナ号の初航海を祝して、﹃別れの歌﹄を演奏する海運会社の 音楽隊︵1985年、ロストックにて︶
日本でも明治時代以来よく歌われてきている歌で、日本語では
●夏目利江訳‥﹃別れ﹄の題で﹁さらばさらば、我がふるさと、ふるさと遠く 旅ゆく...﹂
●岡本敏明訳‥﹃別れ﹄の題で﹁さらば さらば わが友、しばしの別れぞ いまは...﹂
●堀内敬三訳‥﹃別れ﹄の題で﹁遠く 遠く 家を後に、寂しきたびに立つ我...﹂
●山本学治訳‥﹃別れ﹄の題で﹃遠い町へ 今日旅立つ、旅立つ おまえを残し...﹂
●三輪義方訳︵文部省﹃女学唱歌︵二︶﹄、1901年︶‥﹃やさしの山吹﹄の題で﹁清き水に枝ひじて、花咲く山吹あれ...﹂ [1]
などの歌詞翻訳が行われている[2] [3]。
もともとは、ドイツ南西部にあるシュヴァーベン地方のシュヴァーベン語による民謡で、歌詞は兵士が愛する女性を後にして出征して、また故郷へ戻ってくる時には結婚しようという内容である。別説に、ドイツ手工業の伝統に従った職人修行に出るため故郷を離れる若者が、恋人へ別れを告げる内容ともいわれる。
現在歌われているドイツ語の歌は、﹁ローレライ﹂なども作曲したフリードリヒ・ジルヒャーが採譜・編曲して1827年に発表した本に載っている。彼の友人のハインリッヒ・ヴァグナー︵ Heinrich Wagner、1783–1863︶が歌詞の2番、3番を1824年に付け足したとある。
三番まである歌詞の一番は、次の通り [4]。
ドイツ語歌詞 | 直訳 |
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Muß i' denn, muß i' denn Kann i' auch net allweil bei dir sein, Wenn i' komm', wenn i' komm', |
ぼくはどうしても どうしても
この町から外へ出かけなければならない、
いとしいきみをここに置いて。
ぼくが帰ってくる時は、
ぼくが再び帰ってくる時は、
いとしいきみのところへ戻ってくるよ。
きみといつも一緒にいられないけど、
きみと一緒にいるのがぼくの喜び。
ぼくが帰ってくる時は、
ぼくが再び帰ってくる時は、
いとしいきみのところへ戻ってくるよ。
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19世紀後半にドイツ軍の軍歌としても取り入れられるようになり、今でも海軍は出港の際に、この曲を演奏する。
20世紀になってマレーネ・ディートリヒ、ナナ・ムスクーリなどが歌っている。アメリカ合衆国のエルヴィス・プレスリーも﹃Wooden Heart(Wooden Heart)﹄︵日本語題名‥さらばふるさと︶の題名で、1960年に英語・ドイツ語まじりで歌っているのでも有名である。
なお、日本語出だしが﹁そののさゆり、なでしこ﹂で始まる似たような内容の﹃故郷を離るる歌﹄も元々は﹃最後の晩﹄︵Der letzte Abend︶というドイツ民謡であったといわれていて、日本語歌詞では﹁さらばふるさと﹂が繰り返される。中学校の卒業式で歌われたと記憶する人々もいる。
脚注
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(一)^ 我国初の女学生用教科書﹃女学唱歌﹄
(二)^ 別れの歌=ムシデン
(三)^ Muss i denn zum Städtele hinaus - My Favorite Lyrics
(四)^ Muss i denn, zum Städtele hinaus (English translation) -ドイツ文学者で東北大学教授を務めた、武田昭︵1916年生まれ︶の訳では、﹁わしはこの町から出かけにゃならぬが、/お前は、恋人よ、ここにおってくれ!/わしが再びもどってくれば、/お前の許へかえってこよう。/いつもお前の許にゃおれぬが、/わしの心はお前の所。/も一度かえってくる時にゃ、/恋人、お前の所へもどろ!﹂。武田昭﹃歴史的にみた――ドイツ民謡﹄東洋出版 1979年1月、99-100頁。
参照項目
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●宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟 - 劇中、艦長の沖田十三所有のレコードを再生するシーンで流れたほか、終盤には岡本敏明訳版の歌詞で歌われるシーンもある。
●獣人雪男 - オープニングテーマに旋律が流用されているほか、登場人物がドイツ語の歌詞で歌うシーンがある。
●U・ボート - 潜水艦U96が出航する場面で、軍楽隊が演奏する。なお物語の終盤、帰還の際に演奏されているのは、オーストリア起源の﹃アルブレヒト大公行進曲﹄である。